33. 今井慶史のつくりかた
◇◇◇
歩き始めた道のり。
ふたりはしばらく無口だった。
慶史は、結局昨日自転車を回収し損ねてしまったらしい。
新入生ということは自転車も買ったばっかりだろうに、戻ってくるといいが。
(……それにしても。
なぜ彼はここまでついてくるんだろう?)
和希は隣の後輩を見て、改めて思った。
入学してからの、まだ1か月たらずの期間の付き合いである。
サークルでは世話をするが、サークル以外で会いもしないし、練習やら学校生活の話やらしかしていない。
やや控えめでおとなしいが、そんなに手がかかるタイプでもないから、和希としては、頼られれば助言をするぐらいだ。
別に尊敬されるようなことも、深い恩義を感じられるようなこともしていない。
目の前の先輩が犯罪者だと知って、さっさと逃げても何ら問題はないし、普通はそうするだろう。
それなのに、なぜわざわざ、牧ノ瀬覇華と自分との試合にまで立ち会った?
(そもそもこの子は、一体どういう子なんだろう)
自分で自覚しているどもり癖。
同級生と冷やかされてもスルーの事なかれ主義(そしてその、トラウマ)。
そうかと思えば、見知らぬ野郎どもの中に自転車で突っ込む度胸。遠目から和希とわかったのだろうかと疑問を持ったが、そういえば午前中に会っているのだから服でわかるか。
それから、人ひとり抱え込んで殴る蹴るのサンドバッグになる、覚悟。
「……君は、どんな風な生い立ちだったの?」
「え?」
ふと思った言葉が口をついて出てしまっていたと気づいて一瞬慌てたが、…言ってしまったものは仕方がない。
「普通の子はどんな風にそだつのか、知りたいんだけど」
「普通の子?
俺が普通の標準かはわからないんですけど……」
戸惑う慶史。
だが、生い立ちについて、少し話をしてくれた。
滋賀と福井の境界付近、冬は雪深い地の生まれ。
高校は地元から通える唯一の高校。
両親は同級生同士で、20代で結婚。
結婚後の夫婦仲はいたって良好。
たまに話題に出てくる妹は、3歳下で現在高校1年生。
慶史と同じようにずっと剣道をしていたが、最近は徒手格闘にも手を出し始めたそうだ。
それで、牧ノ瀬覇華のファン、と。
「受験生が2人重なったので、受験までは大変でしたね。
両親は妹の受験の方につききりなんで、俺は基本一人で何とかするしかありませんでした」
「両親かりだして?
そんなに不安があったの?」
「いえ、妹の成績は俺より全然良いので、試験そのものにまったく不安はなかったんですけど。
事務関係がもう壊滅的にダメなので、書類とか受験に必要なものの管理がまったく」
「へぇ…きょうだいでもタイプが違うんだね。
君は、そっちはだいぶ慎重そう」
「慎重になってるのになんか忘れるんですけどね……。
特に重要なやつを」
「ああ、緊張のあまりどこかに盲点ができるタイプね。わかる」
「そんなにわかりやすいですか……」
憮然とする後輩に、何だか力が抜けてしまって。
ふふっと和希のほうも笑ってしまった。
今井慶史は、普通の子なんだと思う。
和希のような育ち方の人間としてはうらやましいけれど。
和希のような人間にあえて積極的にかかわる理由は、よくわからない。
生い立ちを聞いてさらに思った。この後輩はどういう子なんだろう、と。
私は先輩として、この子に何ができるだろう?
「大学は楽しい?
慣れてきた?」
もっとこういう話もすれば良かった、と思いながら、和希は場違いなことを尋ねた。
「え、はい。
どうにか、ですね……。
一応クラスはまぁまぁ仲が良くて。
ただ」
「ただ?」
「クラスに女の子が一人だけいて………
どうしたらセクハラにならずに、みんな仲良くって実現できるのかなって、迷うときがあります」
「すごい抽象的で状況がいまいちわからない」
「その一人だけの女子が、めちゃくちゃ頭がいい子なんですけど、見た目、美人でキラキラしているんですね」
「うん。美人さんか」
キラキラという4文字で、なんとなく雰囲気が伝わった。
「で、男が何言ってもそつなくかわすタイプで。
野郎どもとしては高嶺の花として遠巻きにする組と、積極的におっさん化?してデレデレしてる組とができまして。
なんていうのか……後者が、男同士でライバル関係になるのを避けてだと思うんですけど、彼女への接し方がセクハラなんですよね。
真面目なアプローチは抜け駆けだからズルい、みたいな感覚なのか、逆に彼女を、セクハラし合うことで同盟化してる状態というか……」
「ふんふん。
で、いま君はそれを唯一彼女から愚痴られる立場的なやつか」
――――いきなり後輩の顔が、わかりやすく真っ赤になった。
「……な、なんでわかるんですか?」
そこまで驚くものかと、正直こちらが驚く。
「いや……だってそれ、本人が言わないとわからないだろ。
信頼されてるんだね」
「……た、たぶん、俺が試験対策委員だからっていうのはあると思いますけど…」
なるほど。
入学早々、みんなのためにめんどくさい仕事を引き受ける良い奴と思われたのか。
異性の相談相手を捕まえる女について、ネットでは、相談女、といった叩かれ方をすることもあるが、身を守る手段のひとつとしては正直責められないと思う。
女にみんな女友達がいるわけじゃないのは和希がいい例だし。
「この間、セクハラで将来が……っていう話をしていたのは、その子から聞いたの?」
「ええ、まぁ……」
なるほど、確かに同じ年頃でも男と女ではそのあたりの問題への関心度が違う。納得した。
そういえば確か、情報学科の1回生ですごい美人がいるという話が、和希の属する工業化学科のほうまで届いていた。
その子なのかな。
慶史は赤面したまま戻らない。……反応がすごく甘酸っぱい。
まぁ、和希にとっては、基本的に自分に興味のある男の方が脅威であり恐怖であり、むしろ他に好きな女や気になる女がいる男の方が安心できる。
これで慶史の評価を変えることはないが。
――――――なんだかんだでいい青春してんなコイツ。
と、少しやきもちを焼いたのは内緒だ。
「男同士の、妙に悪ぶる予定調和というか不文律ってあるよね。
正しいことが気恥ずかしい、女と仲良かったり尻に敷かれてる風なのはかっこ悪い、みたいな。それもある?」
「え? ああ……そうですね」
「そっか。
私の経験上、それは女からはなかなか壊せなくて徒労に終わることが多くて。なぜだか、同じ男から言われるほうがずっと効くから……。
君がそれを意識的に壊してあげると良いのかな、と思った」
「は、はい……!」
「それでね、あそこがうち」
そう言って和希は会話をぶったぎりながら、目の前に見えてきた古いマンションを指さした。
◇◇◇




