32. なれそめ
「どうして三条さんは、テコンドーを始めたんですか?」
「話せば長くなるけど……療養の一環で」
「療養?」
「詳しくは言えないけど。」
どこまで言うべきだろうか、と和希はしばらく考え、彼はその間待ってくれた。
「……小学6年から数年間、療養と、点々と場所を移動すること、両方が必要な時期があって。
そのころ、いろんな支援者の家を、短いスパンで動いていた。
体が弱っていたから動かした方がいいって話が医師からあったときに、その時お世話になっていた一家が朝鮮人だったんだ」
「えっ」
何故かびっくりする慶史に、一瞬、(……ん?)と思った和希だったが。
……あ、そうか。この呼び方、一般的じゃないんだな。
「『朝鮮籍』の人の意味で言ったんだ。
もともと朝鮮が日本に併合されてた期間は、日本人として日本の中で生きていたけど、戦後に日本国籍を喪失した人たちがたくさんいて。
それが便宜上『朝鮮籍』ってされたんだ。
大韓民国と北朝鮮に分かれる前の、ワン・コリアの籍ってこと」
「あ、そういう意味なんですね。
でも言語は」
「日本で産まれ育ってるから完璧に日本語オンリーだね。朝鮮語は学校で初めて習うものみたい」
「あ、それもそうか。普通、そうなりますよね」
「そこの家は、代々空手を教えていた家だったんだけど、子どもたちがITFテコンドーを習っていてさ。
私も一緒にやることになったんだ。
まぁ、単純に私に向いてたみたい。
ほんとに、それからもお世話になる家を変わって、あちこち点々としながらだから、道場に通えない時もあったんだけど、型とか組手の動画見て、家で練習して」
組手で自分より大きい男子を圧倒できたとき、やった、と思った。
強くなれば、倒せるんだ。
強くなれば、あいつらにも勝てるんだ、と……。
「心の支えになったんですね」
「まぁ、その時はだけど……。
優しい人たちとは言っても人の家だし、家族みたいに甘えるわけにもいかない。
テレビ権とかマンガとか遠慮してしまうし、そうすると、自分ひとりでできることだけが楽しみになっていくよね」
「楽しかったんですね」
「それは…楽しかった、かな」
すくなくとも、人間関係でいえば、自分の特殊な事情を周囲に押し付けたり、あちこち突っかかりまくり迷惑をかけまくったことは確かだ。
だけど。楽しかった。
間違いなく、テコンドーや格闘技があったから自分は生きてこられた。
「それがどうして」
慶史は踏み込む。「傷害事件なんて……」
話したものか迷う。
丁寧に全部話せば、自分のことを全部言わざるを得なくなる。
どこまで話せるだろうか。
「……きっかけはたまたまネットの書き込みをみたこと。
たまたま知っている土地での犯行を示唆する書き込みだった。
たまたまそこに行ってみたら性犯罪者がいて、そいつを倒して、被害に遭おうとしていた女の子は事なきをえた」
「そんなことが……」
「その半年後に、近くで誘拐殺人事件が起きた」
「え?」
「私はその頃ネットを見ていなかった。
ネットにわざわざ予告なんてしてたかわからないし、していたとしても、私が探しても見つからなかったかもしれない。
万が一それを見つけたとしても、気が変わって犯行日時を変えられたら私にはどうにもできなかったかもしれない。
だけど、そのとき私は何もしていなかった。
救えたのか救えなかったのか、わかる機会は永遠に失った」
「そ、そんなの………三条さんは事件に何も関係ないじゃないですか……」
「でも、私は、救った実績があった。
つまり少なくとも自分は救う力を持ってた。
受験勉強なんかにかまけないで、もっと時間を使って、同じような犯行予告がないか、同じような性犯罪者がいないか探していたら」
「……………」
「殺された女の子には申し訳ないんだけど、罪悪感というよりも、悔しさだね。
自分以外の自分を殺されたような。
あいつらに好き放題されている、悔しさ、怒り、それから恐怖。
正義より、自分だけじゃない自分の身を守るために、狩らなきゃいけないと思った」
ひきつる後輩の顔。
殺された女の子には悪いが、和希は自分を責めてはいない。自分を責めるのは加害行為だけで充分だ。
その代わり、これから狩る、と誓った。
「素人でも、できることはあるんだよ。
大学に入ってから、自分ひとりで独占できるネット環境ができた。探していたら、どんどんコツがわかり始めた。
性犯罪者をリスト化して、ネットストーキングして、SNSを駆使してわかる情報をどんどん追加して……。
そうしたら、ネット上で情報提供者や情報を精査してくれる人手が出てきてくれて、一気に身元のわかる敵が増えた。
あとは、その中で実際に犯行に及ぶ気配のある奴のところに私が行って、犯行に及んだところで狩ればいいだけ」
「それで、道場から離れがちに……。
で、でも、警察に協力を依頼するとか」
「精査のためには人手がいる。
その人手は、不起訴になって野放しにされるかもわからない警察じゃ協力してくれない。
私が直接ぶちのめす、それが効いて、協力してくれていた」
「そんな……」
反論材料を失った後輩は、それでも悲しげな、痛ましそうな顔をしていた。
「さて、そろそろ、ここを出よう」
和希は立ち上がる。
道場の人間が、そろそろ誰か来るはずだ。
「そろそろ、私に呆れたろ。
帰っていいよ」
「い、いえ……その……」
慶史も、立ち上がる。
しばらく言葉を失っていた顔を、ぐっと締めた。
「まだ、ついていきます」
「そう」
和希は振り返る。
「だったら、うちまでついておいで」
◇◇◇




