27. 黒帯はどうして黒いのか。
◇◇◇
翌朝、日曜日。
まだ早い時間。
今井慶史は、鴨川にかかる、荒神橋のたもとの河川敷で待っていた。
しばらくすると……
スポーツ用らしいTシャツ、ジャージに、スニーカー、という、ランニングにでも出かけるような気軽な恰好で、三条和希は現れた。
慶史がぺこりとお辞儀をすると、怪訝そうな顔でこちらをみやる。
やはり歓迎はしていなかったかと慶史の身に緊張が走った時、
「ケガ、大丈夫?」
何気なく和希は訪ねてきた。
こくり、と、慶史はうなずいた。
浅い傷ばかりだったようで、先輩に手当てしてもらったガーゼ等は自分で貼り替えたが、もうほとんど痛まない。
「そ」
芝生のうえで。彼女はいつもと同じようにストレッチを始め、開脚してぺたんと胸を地面につける。
綺麗で無駄な肉のない体だが、意外と胸は豊かで、その弾む肉が地面と体に挟まれて少しはみ出す。
その辺をつい見てしまってから、慌てて和希から目をそらして、慶史は溜息をついた。
「……なんで、喧嘩じゃなきゃいけなかったんですか?」
和希は無言でストレッチを続ける。
慶史も負けずに言葉をつないだ。
「せっかく牧ノ瀬覇華さんがいるんですよ?
三条さんだって、強いんでしょう。
強い選手同士が、わざわざ壊しあうようなこと、しなくていいじゃないですか」
反応はない。さらに慶史は続けた。
「普通に、道着を着て防具つけた、ルール通りの試合でいいじゃないですか。
もったいないですよ」
「審判がいないよ」
根負けした様に、和希は返事を返す。
「本当なら闘っちゃいけない2人だし。
向こうだって丁度、オイタが過ぎた私のことはシメときたかったんでしょ」
「それでも、軽いスパーリングでもいいじゃないですか。
フルコンタクトの上に防具のない状態でやりあうって相当危ないでしょ?
顔に傷とか残ったら」
「……今井君、さ」
和希はやや強い口調で遮って言う。
「念のため訊くけどさ。
止めたいのは、私や覇華さんが、女だから?」
「…………」
まただ。
いきなり、この、冷たい口調。
和希はそばにあったベンチの背をそっと掴むと、後ろ方向への蹴りあげを始めた。
かなりの速さで、すごい高さにまで上がる足。
……バレエのような、本当に見とれるような美しさだけど。
「もしこれが『男のプライドをかけた闘い』、だったら、君ら男は喜んだんだろうけどね。
そういうの、女に入ってこられると穢れると思ってんだ?」
そんなんじゃない。
心臓がドキドキして、うまく言葉が口から出てこない。
男も女も関係ない、当たり前に、人が人を心配する気持ちだと、言えばいいだろうか?
いや、慶史の中では、それではウソになる。
どうしても、男と女が全く同じには思えない自分がいるから。
しかしそれは、先輩にとっては許せないものなのだろうか……?
「道着が白いのは、そもそも死に装束だからだ」
蹴りあげを終えて、姿勢を変えながら、ぽつり、と、和希は呟いた。
死に装束。
その言葉が慶史の胸に突き刺さる。
「黒帯が黒いのは、年数を重ねた汚れを誇る意味だ。
武道のプライドなんてくだらないだろ?
だけど、そういう生き方が染みついてんだ。
私も、覇華さんも」
和希の言葉が終るか終らないかのタイミングで、河川敷の入口のところに、スタイリッシュな自動車がすっと入ってきて停まった。
運転席から覇華が、道着ではなく、これも私服姿で下りてきた。
自在に蹴りを放てるようにだろうか、カーゴパンツのようなものをはいている。
(……二人とも、“死に装束”じゃないのに)
と、先輩に突っ込みたい気持ちになる。
助手席からは、……昨日、和希と慶史を助けてくれた男性(といっても自分たちと変わらない年頃だろう)が降りてきた。
イケメンでにこやかで、首をはね落とすような昨日の蹴りとはどうしても結びつかない。
和希は彼に、ぺこりと頭を下げ、慶史もあわててそれにならった。
「ほら、向こうも喧嘩する気だろ?」
「…………」
和希は、もう、慶史の方を見ようともしない。
覇華はといえば、にこやかに、あくまでも気軽な態度だ。
「おっはよー。
ストレッチ終わった?」
「……もう、アップまでしてきた感じですね」
肩をのばしながら、和希は言う。「まぁ、喧嘩にストレッチがあったら変ですよね」
「大丈夫だよ。待つし」
「別に大丈夫です。急な喧嘩には慣れてるんで。……そこの彼は、今日は?」
「あ、はじめの号令、掛けてもらおうと思って」
「そんなものが必要ですか?」
「あたし『礼』しないと、気持ちよく闘えないんだ」
「それなら、合わせます」
深呼吸をして、ぴょん、ぴょん、と、和希は自分の体を揺すった。
「私は大丈夫です、もう」
「了解」
覇華についてきた男性が、うなずいた。こちらも、普通に私服だ。
「じゃあ、はじめます。
といってもー、俺は審判じゃないので。
あくまでも勝敗は二人で決めてください」
またもや、慶史は蚊帳の外になってしまった。
向かいあい、礼をし合う三条和希と牧ノ瀬覇華。
慶史の胸に不安が暗雲のようにたれこめる。
どちらが勝つとか負けるとか、慶史にはどうでもいいのだ。
どちらにもケガさえなければ。
けれど、おそらく和希の脳裏に、そんな決着はあり得ない。
あたりまえに。
……男が、……女の子の心配をすることは、そんなにいけないことなんだろうか?
「チュンビ―――ッ(準備)!!」
男性の声がかかる。
そして、横身に構えてしまう、二人。
……?
慶史は気付いた。和希の体勢が、この間見せてくれたものと違う。
覇華は両手を下げてリラックスした体勢であるのに対して、和希は後ろの手の拳を、額の高さまで上げている。
格闘雑誌によれば、覇華が162cm。
三条和希は172cm。
間合い遠く、圧倒的に身長差のある相手を前にして……和希はガードを上げているのだ。
「シ――――――――――、ジャッ(開始)!!」
◇◇◇




