25. 最強とは幻想か
◇◇◇
覇華は、PCを閉じた。
一方、怪我人の後輩はと言えば、ショックを受けたのか、黙りこくってしまった。
いまさら、和希は、自分が犯罪者であることなど言わなければよかったかと思った。
しかし、もう遅い。
「しばらくは警戒が必要だよね……。
極力身の周りに気をつけて、大人しくしてなよ」
「……そう、ですね……」
うわの空で応える和希に、
「思ってないでしょー」と、覇華は突っ込んだ。
「闘う、って顔してるんだけど」
「……………」
ふわりとした覇華の顔立ち。その無垢に見える表情の中で、瞳の光だけはきらきらと強くて。
「だめだよー。
敵の本体が捕まらないうちは、自分の身を守ることに専念してよ。
なんだったら 一回、実家に帰ってもいいじゃない」
こちらを見つめる覇華のまっすぐな瞳から、和希は目をそらした。
「……指図される、いわれはないです」
すっかり蚊帳の外になってしまった慶史が戸惑いながら和希と覇華を交互に見やっている。
「どうして?」
「別に、自分を正義だとか勘違いしてません。
……しなきゃ、いけない、っていうか」
しないと、自分が守れない、というか。
自分から、攻撃していかないと。
うーん、わかんないなー、と覇華はうなった。
「別にカズくん、それが楽しいわけじゃないんでしょ?
悪い人捕まえたりどうにかしたりなんて警察に任せてさ。
闘いたければ、道場の中だけで、楽しく組手してればいいじゃない」
「本当にそう思います?」
「なんで?」
「強くなりたいと志す人間なら誰しも思うんじゃないですか?
競技で強くても意味がないって。
それ自体そもそも、武道や格闘技が内包した、『業』なんじゃないでしょうか」
……武道や格闘技で精神的にも強くなると、始める前の人間はみな思う。
だが、武道や格闘技で、むしろ、精神的に弱くなることだってある。
格闘技をしていなければ知らずに済んだ、自分の弱さ、醜さを直視させられ、不安定極まりない状態で揺さぶられ続けるのだから。
自分はアイツより、強いのか、弱いのか。
……ノールール、実戦なら、どうなのか。
世界中の格闘技人口の中で、自分のランキングは、何位だろうか。
『いざというとき』が来た時、本当に自分の力は役にたつのか。
結局誰も守れなくて、何のための黒帯なんだと笑い物にされ、蔑まれるんじゃないだろうか。
……漠然とした不安はいつでも残るのだ。
身を守るために必要だったからとはいえ、結局はひとを傷つけるための技に、美学だとか人の道だとかを
(そうしなければ危険な存在であり、平和な社会の中で生き残ってこれなかったからではあるが)
こじつけ、美しく仕立てあげた矛盾。
今自分を支配しているものは、その『業』かもしれない、と、和希は少し思っていた。
「意味がない、って何?」
覇華は和希を見つめる。
――――――――――ゾクリ、と背筋に戦慄が走る。
なにも恐怖の要素のない、かわいらしいその目。なのに、彼女と組手した時を、思い出させられた。
対峙した瞬間、もうどこにも斬り込める隙がなかった。あのときの、冷や汗。
「あたし、嫌いなんだ。『最強の格闘技』なんていう宗教も、その信者も」
絶対女王のそのセリフは、全格闘技人口の大半に喧嘩を売るものだ。
かわいい顔に似合わない傲慢なセリフさえ、女王を女王たらしめる要素となってしまっている。
「試してみなくちゃ信じられないの?
素人いたぶって、自分の強さなんてわかるの?
悪人を目の前にしても、殴るだけ殴って、法の裁きを受けさせることもできない力が実用的なの?」
「理屈じゃ自分を納得させられないこともあるじゃないですか……」
「何をそんなに焦ってるの?」
「…焦ってる?」
「一分一秒でも、早く、一人でも倒さなきゃって、カズくんそんな感じなんだもの。
おびえてるみたい」
「……いえ」
焦っている、と言われればそうかもしれない。
……自分が動けば、警察より一足先に犯罪者を狩ることができて、一人でも二人でも被害者を減らすことができる。
つまり、自分が休むということは、みすみす彼らを野放しにしているということ。
いま、こうしている間にも、誰か、が犠牲になっているのでは……?
その想像に、おびえていると言えば、おびえているけれども。
「蹴りのレベルが落ちてるよね。形も崩れてるし」
覇華から唐突にかけられた言葉に、一瞬、和希の肩がびくっとした。
「あ、まぁ、それはテコンドーの基本の蹴りからは……その、他の格闘技の道場やジムも回ってみたから……」
慌てて表情を取り繕ったが、ひきつり笑いになったかもしれない。
不穏な空気を感じたか、さりげなく、慶史が和希と覇華の間に入ろうとしたが入れない。
「回ってみて、うんちくでも詳しくなった?」
かわいい顔して、覇華はさらに容赦ない。
「当てることしか考えてないでしょー。
素人は、当たればなんとかなるもんね」
「まず、当たらなきゃ意味がないんじゃないでしょうか?」
少々むっとしたのが、和希の口調に出てしまった。
「そっか」
覇華は目を伏せた。
――――後から考えれば、本人としては、何ら挑発する意図はなかったのだろう。
それはただ、溜息のように、言葉を漏らしただけだったのだ。
「そうやって守りに入っちゃうの、あの時から、成長してないんだね」
――――しかし。
気がついたら和希の手は、覇華の襟首をつかみ上げていた。
「泣かしますよ」
と和希の口は低い声で囁く。
「三条さん!?」
一瞬反応が遅れた慶史がようやく、覇華の襟首を握りしめる和希の手をつかむ。
「やめてくださいっ。
男相手ならともかく、女性でしょ!?」
慶史に言われるより早く、和希は、覇華の顔が紅潮していることに気付いた。
うっかり首を絞めあげてしまったかと、慌てて和希は手元を緩めるが、全くそのような心配はいらなかったのだ。
にっこりと笑って、
「ね、じゃ明日組手する?」と女王は誘うのだから。
「…………え?」
和希の頭がついていかない。
「ノールールがいい? 泣かすんでしょ。カズくんがやりたい形に合わせるよー」
女王は、至極無邪気に、ただ嬉しげに、言った。
和希は、脱力した。
自分は挑発されたように感じ、火花が散るように果たし合いという選択を叩きつけたつもりなのに……
なぜ、この人はこんなに純粋に嬉しそうなのだろう。
強敵と闘える喜び、というのともまた違う。
はしゃいじゃって、まるで、女友達と久しぶりにご飯を食べに行く約束でも取り付けたみたいじゃないか……。
「……調子乗ってると、本気で、泣かしますよ」
低い声で呟きながら、和希はひどく、胸が焼けつくような思いがした。
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