23. 後輩の目
◇◇◇
……今井慶史が目覚めたときは、見知らぬ布団で寝ていた。
目の前に、天井の蛍光灯の煌々とした灯り。
見知らぬ、不思議な色遣いの空間……。
傍らでは、誰かが、こちらを覗き込んでいた。ぼやけて細かくまでは見えない。
「あの……?」
体を起こそうとすると、あちこちに痛みが走った。
「気分が悪くはない? 吐き気や、めまいがするとか」
声で、相手が、先輩の三条和希だと知った。
「……いえ」
痛みの先を見ると、腕にくるくると包帯。
その下にガーゼが埋もれている。
体のあちこちの傷も、手当をしてあるらしい。
「頭にもダメージはあっただろ。何か、体に違和感を感じたら、すぐ言って」
「あの、ここは……」
「私の……一応まだ在籍してる道場。
急に走らせたせいかもだけど、君が気分悪そうだったんで、近くなのと鍵持ってたから連れてきたんだ。
今日の練習時間はもう終わってたから。
骨は折れていないと思うけど……少し、眠ってたよ」
「そうなんですね……」
布団は泊まり込む時用にでも置いているのだろうか。
枕元を探ると、メガネに触れた。
布団の上で、枕に乗っかるように少し体を起こし。
慶史は、部屋の中を見回す。
剣道場のような、一面木で作られた厳かな感じではない。
壁の一面が鏡で、それ以外の壁は白く、床は木のようだが、そのうえにジグソー式のクッションカーペットが敷いてある。
部屋の四方には、大きなキックミットらしいものが並べられていたり、防具がそろえられていたり、つるされた大きな大きなサンドバッグなどが。
「巻き込んで悪かったね」
「え、あ、その…いえ」
「まぁ、お茶でも淹れるけどさ」
なんと、水道ガスもあるらしい。壁の端の方のミニキッチンらしいところに三条和希は向かった。
そうして、電気ケトルやマグカップらしいものを準備しながら、こちらに背中を向けたまま言葉を続ける。
「どこか行く途中だったの? 今日は」
「……いえ。自転車で、ちょっと買い物に出てて……
それで……あれに出くわして、走ったら間に合わないと思って、とっさに自転車で」
「そっか。災難だったよね」
「いえ、あの……」
「自転車は置いてこざるを得なかった。
回収されちゃうかもしれないし、あとで取りに行こうね」
「え、ええ……………あの」
「ああなってた理由は訊かないでくれるかな」
急に、少し尖ったようなニュアンスが含まれて、慶史はびくっとする。
「ニ度とこういう目に遭わせたくないんで」
先輩はすぐに優しい声音に戻ったが、
「…………」
完全に、問わなければいけない質問を封じられてしまった気がした。
「今後、ああいう状況で私を偶然見かけても、そのまま他人のふりをして通りすぎてくれないか。
私の立場はわかるよね?
私は、君の先輩。
私のせいで、君にけがを負わせるわけにはいかないんだ」
穏やかで優しげだが、有無を言わせない迫力を、静かに感じさせる口調。
思わず、慶史は一瞬、うなずきそうになった。
が……ぐっと腹に力を入れて。
「それって……」
と、返した。
「つまり。
先輩だったら、後輩を危ない目に遭わせるようなこと自体しちゃいけない、ってことになりませんか?」
「…………?」
振り返った和希の、鋭い目に射られた。
「どういう意味?」
ぞっとするほど冷たい声で。
「あ、いえ、あの……」
再びてんぱって、言葉に詰まる慶史。
しゅー……っ、と、ケトルのお湯の湧く気配。
……と、部屋の呼び鈴らしき音が唐突に鳴る。
思わず、慶史は、和希と顔を見合わせた。
そろ、と、和希は、ドアのほうに向かう……。
和希がドアを開けると、その玄関先に、今朝見た笑顔が、再びあった。
「……覇華さん」和希がつぶやく。
牧ノ瀬覇華は、にっこり、慶史にも笑いかけてくれた。
今朝の服装に、バッグを斜め掛けにしている。
少しの躊躇を見せたのち、
「さっきは、どうも」和希は、ぺこりと、覇華に頭を下げた。
「加勢に来たの、あなたの門下生ですよね。
あのステップ、日本であなたしか使えないと思っていました」
「あたししかなんて、大げさだなぁ。最近みんな研究してるでしょ。動画なんていくらでも上がってるんだし」
「再現できるかどうかは別でしょ」
肩をすくめながら発する和希の言葉に、何となく慶史は、嫉妬のニュアンスを感じた気がした。
『ノールールなら、たぶん、私』
昼に聞いたばかりの和希のその言葉が、慶史の耳によみがえる。
「何しにきたんですか?」
投げやり気味に和希は言葉を投げる。
「んーとねぇ。カズくんがあたしに聞きたいこと、あるんじゃないかと思って」
にこにこしながら、牧ノ瀬覇華は言った。
殺気を放ち気味に彼女を見据える三条和希との温度差がすごい。。。
「………どこまで知っているんですか?
それになんで今日のことや昨日のこと、いちいち把握を……」
「うん、話すから」
そう言って、覇華は靴を脱いで上がると、慶史の寝ている布団のすぐそばに、ちょこんと座った。
「あたしにも、お茶ちょうだい?」
ふらつきもなくこれ以上寝ていなくても大丈夫そうだったので、慶史は布団を畳み、座り、和希からマグカップ入りのお茶を受け取った。
温かいほうじ茶だった。美味しい。
覇華もそれをすする。
和希は自分の分は淹れなかったらしい。
そのままどかっと床に座って、「それでお話を……」と覇華を促す。
「うん。
まずは、カズくんから白状した方がいいことあると思うんだけどな」
「どのことでしょうか?」
「後輩の前で言いたくないならいいけど。
巻き込んでおいて隠し続けるなんて、卑怯だと思うなー」
「……………そうは言っても」
ちらりと、和希がこちらを見る。
慶史は「秘密は守ります」と即答した。
「……先に、覇華さんがどこまでご存知か、伺えますか?」
あ、そうくるのね、と意表を突かれたらしい覇華は呟いた。
「あたしが知ってるのは……。
まず、昨日みたいな乱闘が、時々京都で起きてること。どうやら、性被害が未然に防がれたらしい、っていうこと。
それと、去年から、男性を対象にした傷害事件が続いていること。
年齢素性はバラバラだけど、共通点としては、被害者がのちに性犯罪の罪状で逮捕され、実名で報道される。
そして被害者の多くは、『いきなり顔の高さまで足が上がってきて正面から顔面に引っ掛けるような蹴り』を受けている。
カズくんの得意な、あの蹴りだよね」
「……蹴りのことまで報道されてたんですか」
ふとため息をつくと、和希は立ち上がった。
何をするのかと思うと、もう一つマグカップを取り出し、
ザアアアッ……
と音をたてて、しこたまインスタントコーヒーの粒を注ぐ……。
そのうえからお湯を注ぎ、そのカップを手に、こちらに戻ってきたが…
(あれ、どれだけカフェインはいってるんだろう……?)
その地獄のような黒さに慶史はドン引きせざるを得ない。
和希はあぐらをかくと、コーヒーの粒がまだ浮いたままのどろどろコーヒーを、強い酒を一気飲みするように、ぐい、とあおった。
さすがにコーヒーは一気飲みしきれないが、ひとのみでもう、大きなマグカップの半分なくなっている……。
ほう、と息をつくと、また和希はあおった。
カラになったカップを床に置く。
先輩の綺麗な顔に赤みがさしたのを、酔ったような紅潮だと感じ、慶史は見つめた。
――――女であることをどうこうと彼女は言ったが、慶史の目から見れば、しなやかな長い手足と体、整った顔に鋭い眼差しは、目を奪われるほど色気のあるものだった。
激しい蹴りでさえ、芸術品のようにセクシーだ。
その形のいい唇を、和希が開く。
「覇華さんがおっしゃりたいとおり。
その犯人はすべて私です」




