19. 不文律はいつも後出し
◇◇◇
「どうしたんですか?三条さん。顔が真っ青ですよ?」
「いや……」
心配げに和希の顔を覗き込む慶史から、和希は顔をそむけた。また来るね、と、言い残して、覇華は去った。
彼女の求めるものは大体わかった。
所属している道場に戻り、昇段しろと。
黒帯にふさわしい品行方正を、と。
そして、捕まるようなことをもうするなというのだろうか。
和希はため息をつく。
(捕まったら、どうなるんだろうなぁ……)
フルコンの黒帯を持っている。キックボクシングや中国武術や、いろいろな流派もまわってきた。柔道経験もある。
なので、もし捕まったとしても、「格闘技をやっている19歳女の凶行」と報じられ、テコンドー家として報道はされないのではないかもしれない。
……そういう問題じゃない、か。
180度開脚して地面に胸をつけながら、和希は、そっと、同じく柔軟する慶史を見やった。
視線に気づいたらしい慶史は、無理してにこっと微笑んだ。
「さっきの人、ものすごく強い人なんですよね?
妹がすごく追いかけてて」
「そうか。
……妹、詳しすぎだろ」
「意外と大きくなくてスラッとしていて、ちょっとびっくりしました。
すごく綺麗で……武道家とか格闘家には見えないですよね」
「まあ、ね」
「三条さんと、どっちが強いんですか?」
和希は少し、考えて、
「ノールールなら、たぶん、私」
と、答えた。
「階級が違うしね……」と、付け加えて。
そう、身長も、体重も全然違う。
和希の体重は平時58㎏。覇華は平時50㎏あるかないかぐらいなんじゃないだろうか。
普通は危なくて試合を組めない体重差だ。
大柄な女子が、体重が合う相手がいなくて対戦相手に困るというのは格闘技でよく聞く話だが、和希の体重ではまだ、女子の対戦相手に困りはしない。
練習ででもなければ、覇華とスパーリングすることはなかっただろう。
『そんな態度じゃ、一生懸命努力してる子たちに失礼じゃねぇか』
『お前こそ、女を見下してやしないか?』
日比谷の言葉が耳によみがえり、吐き気がした。
どうして、私を女にカテゴライズする。女に縛り付ける。
好きで女にうまれたわけじゃない。
それでも、体の性別に合わせて、女という性別を選んで生きているのは、自己責任、なのか?
それに付随する<女>もすべて一緒くたに背負わされるのも、女として生きている自己責任?
できない方が悪い、ということ?
気分が悪い。吐き気がする。
自分を決めつけるものから、ただ自由になりたいと思うのは、罪なのか?
……知っている。
悔しいのは、求められているものに答えたい気持ちがあるから。
その求めに、答えられない自分がいるから。
自分が悪いと思うから。
「ねぇ……今井君さぁ」
「なんですか?」
「君は、人の何を見て、女だと判断する?」
「へ?」
慶史はしばしきょとんとして、「ええっと……」と焦って考え出した。
「たとえば。
君が思う女の要件を満たしていない女は、何を以って、自分が女だと証明すればいいと思う?」
そこまで言って和希は、何訊いてんだ自分、と、自分に呆れてしまった。
ついこの間まで高校生だった、和希のことなど何も知らない彼に。
苦笑いして体を起こし、
「いいよ、変なこと訊いて、悪かったね」
と、和希が言うと……
「待ってください。
あのですね……」
慶史は、真剣な顔をして、和希の前にしゃがみこんで考え始めた。
そうされると逆に困る。
「……や、あの。
そこまで深刻なアレじゃないし……」
「でも……」
「忘れてくれ」
ややいらっときて、強めの口調で和希は否定した。
慶史の肩がびくっとしたのを見て、しまった、と思った。
怖がらせるつもりはなかったのだが……どうしていつもこうなってしまうんだろう……
一瞬……気まずい沈黙が流れた。
和希は、心を整えようと、立ち上がると、ゆっくりと、足を前後に構える。
そうして丁寧に、片足をたたみ腹に引き寄せた。
「……あのさぁ」
「はい?」
「昔、さっきの覇華さんの道場に練習に行ったんだけど」
「あ、は、はい……」
目標は自分と同じ背の相手を想定しての頭部。
そこに対して、膝は真っすぐ向ける。
上段回し蹴りの軌道をスローモーションでなぞる。
「確か私のいっこ上で同じぐらいの身長の男子がいて。
トオルって呼ばれてたっけか」
だんだん、蹴り足を伸ばして見せていく。
「組手してさ。
横蹴りも回し蹴りもかかと落としも、私より遥かにうまいんだけど、なーんか妙に、呼吸がわかった。相性だったのかな。
うまく説明できないけど。
受験勉強で練習不足だったりしたのかもだけど。
結果として、ぼこぼこにしちゃったんだ」
イメージした相手のこめかみを、上足底でとらえ、そのままピタリと止まる。
「本番では、自分の参加した枠で優勝したらしいんだけど……。
いっこ下で女の私に負けたことについて、大人たちに無神経にアレコレからかわれて。
道場やめちゃったんだってさ」
「……三条さん」
和希は綺麗に足をたたんでいき、足をすっと置いた。
今度は、斜め後ろの上方向に。上段後ろ回し蹴りの形を作っていく。
「後から大人に言われてさー、それも『なんで負けてやらなかった?』、だよ。
死ぬほど腹立ったよ。男子の顔立てて空気読んで負けろってかって。
ただ産まれた性別で生きているだけなのに、勝手に女として取るべき行動が知らないところで不文律として決められていて。
そんなの聞いたこともないのに、常識だろとか、ちょっと考えればわかるだろ、って押し付けてくる」
インパクトの瞬間、くいっ、と、腰を返す。
そうして、また、ゆっくりと戻していき…足を置いて、ため息をついた。
「それを、理不尽だろって跳ね飛ばせないんだよ」
そう、それが一番嫌なんだ。
「地味に、削られるんだ。
男は男で、<男であること>を強いられて必死なのも知ってるし。
あとそもそも、男が女にしてほしいもの……受け流すとか、にこにこ笑って受け入れるとか、細やかに気を配るとか、それ以外……のことをしてあげるのも、自分に欠けすぎてるのを、自覚しているから」
「あ、あの、いいですか」
慶史がそっと手を上げた。
「俺が思うものと違ったら申し訳ないのですが……たぶん、べつに要らなくないですか」
「は?」
自分が感情的で断片的な言い回しになったからか、後輩もまた随分もってまわった言い方をするのに、変な声が出てしまった。
「だからその…思うんですけど……
三条さんが、男が女に求めていると思ってるものは、もしかして、別に欠けたままでいいものなんじゃないかと思って……」
何を言うかと思ったら……。
話が通じていない気がして、眩暈がした。
いや、何とかして先輩を慰めようとしているとも思える。
どう反応をしたものかと、しばし和希は迷う。もう後輩を脅えさせるのは嫌だ。
いや……もう練習開始か。時間がない。
少し考えて。
「私のことを知らないからね、君は」と、和希は返した。
◇◇◇




