18. 微笑む最強
「かーずくん。先輩たちとの話、終わったー?」
歩いてきた和希に、ちょっと斜めに首を傾けて、牧ノ瀬覇華は声をかけてきた。
すらりとして、顔が小さい。そしてかわいい。
こうしてみると、ごく普通の23歳…いや、見た目は10代と言われてもおかしくない。
皆と会話をしたのだろうか?
周囲の様子からすると、準備運動していた野郎どもは、すでに軒並みデレデレしているようだ。
「わざわざ私ごときにかまわなくても。
京都観光でもしてくればいいんじゃないですか?」
「ね。昇段は、もうした?」
「……いいえ」
「じゃあ。WTFに移籍したっていう噂はほんと?」
「誰がそんなことを?」
冗談っぽく、覇華は笑った。
「もうー。ガセかぁ。心配しちゃった。
東京の師範方の中には『WTFにお金で引き抜かれたんじゃないのか!』なんてキレちゃってるひとがいたりとかしてさー」
いやいや、天下のオリンピック競技様でもイチ赤帯引き抜いてるような金なんて余ってないでしょ、と、心中和希は呟いた。
いまさらな説明だが、テコンドーには2種類ある。
ひとつはWTFルール。オリンピック競技であり、韓国で盛んである。
和希や覇華がやっているのが、ITF。テコンドーのルーツである空手により近い形。主にヨーロッパや北朝鮮で盛んである。
「一体、何しにきたんですか?」
「名前は出せないけど……人に頼まれたんだ。
カズくんに、昇段試験を受けさせてって」
「は? いや、なんで……」
同じ競技をしていると言っても、関西と関東だ。
会ったのも、全国大会など特別なイベントの時ぐらいでそこまで数多くはない。
もう直接会うことはないだろうとさえ思っていたのに。
「一体、何でまた覇華さんに、そんな話が……?」
「最近、道場から遠のいちゃってるんでしょ? 師範も指導員も、戻ってくるように説得したけど無理だったって。
だから、最後の手段で、あたしの言うことなら聞くんじゃないかってことじゃない?」
確かに、スター選手牧ノ瀬覇華様から直接何かを頼まれてあっさり断れる人間もそうはいないわけだが。
「……だからって」
和希は吐息をもらした。
「一介の色帯のことなんて、スターのあなたが気にすることじゃないでしょう?」
「もったいないなー。
世界を相手にできる力があるのに?」
「……貧乏人なもんで。
世界大会にいけるようなお金がないんですよ」
スポンサーがつくような武道・格闘技など、むしろ少ない。
多くの武道家、格闘家は、仕事を持ち、それで稼いだ金と、調整して作った余暇をもって練習し、試合に臨む。
それはつまり、世界大会参戦にともなう高額の旅費も自腹ということだ。
貧乏学生にはつらすぎる出費である。
「でも、上層部の人たちが恥を忍んで、あたしに頼むって言うのは、どういうことだろうね?」
「…………さぁ?」
「評価してるってことだよ。
若くて、才能も実力もあって、身長にも恵まれて、どこまで強くなるか未知数。
そんな存在が、むざむざ競技から離れようとしているんだよ?
もったいなさ過ぎて、涙が出るような話でしょ?」
「買いかぶりすぎです。意味がわかりません」
謙遜してみた。
「誇りに思うことじゃん。
カズくんのこと、認めてるんだよ?
テコンドー全体の宝だと思ってる」
「……それは覇華さんでしょ?」
思わず、吐き捨てるように、和希は切り返してしまった。
「全ての技術がそろっていて。丁寧な指導ができて。人望も統率力もあって。各大会の運営にも携わって。
誰からも好かれて、憧れられる絶対女王。そんなあなたが」
むきになる和希に、
「あたしが、絶対女王、ねぇ……」
くすくす、と笑って、すっと、覇華は近寄って、そっと和希にささやく。
「思ってないくせに」
「なっ………」
「あたしより、どんな男より、自分が一番強くなきゃいやなくせに。そうでしょカズくん」
びくり、と思わず肩が動きそうになるのを、和希はすんでのところで抑えた。
「……なんのことでしょうか……?」
「拳で人を裁きたがる人って、そうじゃないかなーって」
にこり。と、覇華は微笑む。
「さばく……?」
「そう。違う?」
一瞬、血の気が引いた。
何のことを言っているのか、一つしか思い浮かばなかった。
(まさか、私と気づかれた?)
覇華の顔を見ても見ても、あまりにも、平常と変わらなさすぎて、わからない。
返事に、喉がかすれてしまいそうで焦る。焦る。焦る。
「…………さぁ。
どうなんでしょうか?」
やっと、そう返したが、いつの間にか和希は、手の中にじっとりと冷や汗をかいていた。
牧ノ瀬覇華、現在三段。
その圧倒的強さで、現在、ITFテコンドーのアイコンとなっている。
組織を背負っている女だ。
武道そのものの名誉を汚しかねない『テコンドー家の不祥事』を、決して、見逃せない立場でもある。
「ね。もっと、カズくんの実力を生かすべきとこがあるんじゃない?」
普段と変わらぬ23歳の女の子の声で、言うその言葉を聞いた時、和希の背中を、冷たい汗が伝っていった。
◇◇◇




