10. 悪魔の質問
◇◇◇
「…4月■日に短距離走。走った本数とタイム、覚えてる?」
「あ、メモしています。
練習内容も」
「じゃ、それで記入して。次、4月▲日――――――」
「なにやってんの?三条?」
慶史の隣に座った新橋が声をかけてくる。
練習後のサークルメンバーでの食事。
場所は例によって、学生食堂のひとつ。
テーブルに向かい合わせに座っていち早く食事を終えた和希と慶史が、二人で額を突き合わせて密に会話をしていたのが、新橋は気になったらしい。
慶史の手元のノートを覗き込む。
何の変哲もないそのキャンパスノートは、1ページを左右に2分割、上下に7分割し、上から各枠に日付が振られていた。
それも練習日だけではなく、月曜日を頭にしてすべての日付が振られており、練習日の練習内容を細かく書き込んである。
「練習記録?
出席簿と一緒に、こっちでつけているけど」
「い、いえ、個人用のです」
まだ特に恥ずかしいことも書いていないはずだが、反射的にか慶史は慌ててすっと体にノートを伏せて隠す。
和希が説明を継いだ。
「自分の練習を管理するための記録が必要かなと思ったんです。
今井くんは高校の部活で自分の練習ノートをつけて、自宅での筋トレも含めて顧問にも毎回見せていたそうです。
私も、高校時代、フルコンとテコンドーとサッカーの練習内容を管理する記録簿を自分でつけていたので」
とはいえ、高校の時のように時間もそんなに割けなければ毎日チェックする顧問もいないので、続けるためには極力簡略化することが必要だと和希は考えた。
そのため手帳のページ構成を参考にし、1ページ1週間分というボリュームとする。
左右に2分割しているのは、このサークルでの練習と、そのほかでの運動・筋トレ、という区分になる。
兼部を前提としたものだ。
「え。でも今は別に三条もそういうのつけてなかったじゃん。
なんでいきなり?」
「この間の土曜日、マシンでの筋トレが入ったじゃないですか」
ここでの『マシン』とは、大型の筋力トレーニング用マシンのことだ。
この大学のトレーニング施設には、サンドバッグやリング、型の練習用の大きな鏡のほかに、筋トレ用の各種マシンが並んでいる。
武道場等もほど近いことから、どの日のどの時間に行っても、誰かしら、武道・格闘技系の部活・サークル加盟者が練習を行っており、和希自身、そこに入り浸っていた時期もあった。
「ああ、まぁ。
つかいかたを覚えようね的な感じだったけど。
最終的に意外と新入生来たね」
「はい。そういうのがはいってくると、休養期間とか自分で管理する必要があるんじゃないか、って、三条さんにお声をかけていただきまして」
慶史が口をはさんだ。
「それでお話して、とりあえず記録をつけてみては、と言っていただいたので」
慶史は、机にへばりつくようにしてノートをつけている。
書きたいことがオーバーしてしまっているのらしい。何度も消しては書いてを繰り返している。
「あの、二人は仲いいんですね」
一人の新入生男子が、和希と慶史を交互に見ながら探るように言う。
仲いいか?
教育係としては普通だと思うが…。
そんな風に思いながら和希が慶史のほうに目をやると。
「付き合ってるんですか?」
同じ声で無礼な言葉が飛んできた。
一瞬何をいわれたのかわからず、和希は硬直する。
いきなり新橋が馬鹿笑いする。
日比谷がつられて笑う。
ほかの者たちもつられて笑っていく。和希の頭の中がぐるぐるする。
「そ、そんなん、、、今井くん可哀相……」
「いや、もしかしてお似合いかも……どうなの?」
ひーひー笑いながら言う新橋やサークルの連中に、和希と同じくフリーズしていたらしい慶史は、なにか言わないといけないと思ったのか。
「あ、え、、え、その……そ、んな、はずが。。。」
うろたえにうろたえてどもりながら言葉を発する。
それを見てまた笑う連中。
和希は無言で、それを見ていたが、荒いため息をひとつつくと。
「一つ聞きたいんだが」
尖った声をざわめきにぶつけてかき消させた。
「お、おい、三条……」
日比谷がたしなめようとするその声にかぶせて。
「それは私が女だから言っているのか?」
和希は冷たい声で新入生に向けて言った。
「え、いや、その、そういうわけでは……?」
「じゃあ、私が男でも同じことを言ったか? 日比谷さんと新橋さんに同じことを言うか?」
空気を読んでいない奴から、再び、笑い声が起きる。
が、新入生は顔面蒼白で和希の言葉を受けて、言葉を返そうと口を開く。
「そ、その、女性差別とかじゃなく、…性別が男と女だったから…。
ほんと、何気なく聞いただけで…」
「つまり、私が男だったら、そういうことを聞かず、純粋に先輩としての評価をしてくれたんだ?」
「ええ、あの…?」
「私が男に産まれていれば良かった」
「そ、そういうわけじゃなくて……」
「男と女の間で恋愛感情が発生するのがデフォルトのようなことを言うのは、悪気はなかろうが、いずれかの性別をある集団から排除しようとする働きを産む」
再び日比谷が「三条もうおまえ黙れ」と言うが、和希はそれを無視した。
「道場含め男社会生きてきた女としては、その手の質問は本当に数えきれないぐらいされてて、相当嫌気がさしているんだ。
付き合っていないしこれからも付き合うことはないと言えば、相手の男性をディスったことにされる。
あいまいに濁せば、付き合っていることにされて勝手に冷やかされる。
自分を貶めて否定すれば気があることにされる。
しかも女の方が相手の男性に気があるかないかで、相手の男性の評価が決まってしまう。
こちらが決めたことにされてしまう。
本当に八方ふさがりで、逃げ場のない、悪魔の質問だよ」
そう言い切ると。
新入生はすっかり脅え切った表情で椅子ごと後ずさった。
……しまった。
さして社会の経験もない新入生に対して先輩の権威を振りかざしてしまった。
『付き合ってるんですか』の問いを無理ゲーにしているのは、多くの場合、悪気のない周囲の囃し立てだ。
馬鹿笑いしたサークルの他の連中に対して斬りこめばよかったのに。
しまった……。
しらけ切った空気の中での日比谷の号令後、盆を持って立ち上がる和希は、何故か慶史に「大丈夫ですか」と気遣われてしまった。
そんな状態に見えただろうか。
食器を返したところで。
「三条、頼むからビビらせるなよ……」
日比谷が声をかけてきた。
大声のお説教が始まるかと思ったが、さすがに新入生たちがいるところではしないか。
そう、和希が考えていると日比谷が言葉を継いだ。
「せっかくあいつ、おまえに興味を持っていたのに……」と。
「は?」混乱する和希。
「おまえの曲芸?見て、いいなと思ったんだって。
三条さん、付き合っている人いるのかって、俺も聞かれてたんだよ。
新しい出会いになればいいなって、俺らの方は思ってた。
せっかく好意をもってくれてた相手に、おまえ………」
曲芸とはこのまえのサマーソルトキックか。
しかし…相手が好意を持ってくれているかもとかいうのをいちいち察しなきゃいけないのか?
そもそも男の好意にはすべて答えないといけないのか?
反論は即座に浮かんだが、なぜか口に出せなくて、離れていく日比谷の背中を見ながら和希はもやもやを持て余した……。
話したこともなかった相手の好意とやらに、混乱していた。そして、困惑していた。
「あのさぁ、三条……」
今度は新橋が声をかけてくる。
教育係を任命しておきながら、全力で馬鹿笑いしやがって。
そう思うと、ふつふつと新橋に怒りがわいてくる。
「新橋さん、もしかして」
新橋に絡み口調で和希はささやいた。
「今井君のこと、桜井の代わりにくっつけようとか、余計なこと考えたんじゃないでしょうね?」
「え?、い、いやいやいやそんなことは…っ!」
「『教育係』以外のことは絶対にしませんから」
慌てて何か言い訳を述べようとする新橋の話を聞く気にもならず、和希は階段を駆け下りていった。
「三条さん!」
かけられる慶史の声は、既に遠かった。




