11. 夜語り
「……三条さん?」
ただでさえ歩きの速い和希が、いつもよりずっと速足で歩いていたのに、追いついてきた後ろの人間は、どうやら走ってきたらしい。
まだいら立ちと動揺が収まらない和希は、わざとふかくため息をついて振り返った。
「別についてくることないのに」
「あ、いえ、その……」
例によって、和希が教育係のはずの今井慶史が、受験勉強の運動ブランクをまだ回復できていない今井慶史が、持久力切れ気味でぜいはぁ肩で息をしている。
なぜだか予想がついてしまった自分が恐いが、なんで新入生のはずの彼が先輩のはずのこちらを追いかけてくるんだ?
「あの、俺……」
「謝ろうとしたらイラつくからやめて。
君のせいでもないことで」
「え、あ、あの……」
「時間くれる? 頼むから」
そういうとまた彼に背中を向けて歩き出した。
謝ろうとしたかどうかはわからない。
ただ、弱い立場の人間が強いものに対して、礼儀正しくあろうとするあまり──あるいは身を守ろうとするあまり──往々にして、自分が何ひとつ悪くないことを謝ってしまうことがよくある。
遠い昔の自分も、そうした。
それは結局何も守りはしなかった。
「…じ、時間って…?」
まだ追ってくる気配。
そのへろへろで、和希のペースについてこれるんだろうか。
「ひとりで考える時間」
気配で察しておおよその距離は約2mと少し。
言葉を吐きながら和希は前へ歩く。
「落ち着く時間。
落としどころを自分で見つける時間。
『君ら』と話せるようになる自分を整え直すまでの時間」
学生たちとすれ違いながら、和希は言葉を口にした。
小さくはない声に、幾人もの学生たちが振り返っていく。
聞き取れない可能性も考えなくはなかった。
むしろ聞き取れても言っていることがわからない可能性も高い。
ただ、ニュアンスが伝わればいい。『いまは』ひとりにしてくれというニュアンスが。
「………あ、の……」
まだ後ろからかすかに聞こえる慶史の声に、和希は足を止める。
振り返って戻るように言ってもいいだろう。
そう、思った瞬間、
「………最後、何て言いました?」
和希の右肩側から、慶史が唐突に顔を出す。
追いついたはいいが、まったく落ち着かない息で。
ぜいはぁしながら、和希を見る。
そうか。時間をくれと言ったのは、伝わっていないのか。
そしてどうでもいいがその荒い息は不審者っぽいぞ。
と、心中で和希は突っ込んだ。
「……君。
いつも、体育館のところに自転車止めてるだろ?」
「え、は、そう、ですけど……」
「戻ろうか」
「え?」
後ろを振り向く慶史に「いや、こっち」と和希は来た方向から左に直角に90度の方向…西を指さした。
「同じルート通ったら日比谷さんたちと会うから。
一本西のこっちの通りを行こう」
「あ、……ええと? は、はい…!?」
「なんでそんな驚くの。
急ぐよ」
1000年の昔、ここは平安京(の東の端)。
主要な道は、基本碁盤の目を描くように並行直角に走っている。
体育館方面に行くには迂回することになるが、それぐらい我慢してもらおう。
和希は西に向けて大股で歩き出した。後ろの後輩の気配を感じながら。
◇ ◇ ◇
「まず、大きな声を出して悪かった、さっきは」
「いえ、それは……。
今回はまだましな結果でよかった、って思っていました」
「まだまし?」
意外な言葉が返ってきて、一瞬和希は面食らう。
あれぐらいの質問で怒るなんて大人げない、ぐらいの評価だろうと思っていたのに。<まだまし>とは?
「どういうこと?」
「言った方がいいですか?」
「意味が分からないから、できれば」
「ですよね。
高校時代の頃ですけど。
俺、同じ質問されて、女子を泣かしたことがありまして……」
「それは……」
予想外の答えに、和希は絶句する。
「引いてます?」
「……いや、その」
「そこから先聞きます?」
「…………えっと。
聞いてよければ?」
自分でも若干迷いながらで疑問形に似た語尾になってしまった。
暗くてよくわからないが、慶史の口元が少し笑った気がする。
「なんていうか……よくそういうネタで、いじられる側だったんですね、高校時代。
しかも大体、何かとっさに言おうとすると、どもるんですよね。
うまい切り返し方もよくわからないし」
確かに。
慶史と話していて、「え、あの」的な言葉がよく出てくる。
緊張すると若干の吃音があるようだ。
女子からもいじりやすそう、という感じが全体的にある。
清潔感はあるもののカースト上位で君臨する系ではない。
「だけど。とりあえず、俺が余計なことを言うまいとあわあわしている間に、女の子の方がすごく嫌がって否定してくれるんですよ。
だんだん、それが一番被害が少ないなって思うようになりまして…」
「一般的によくやる考え方だね」
アルカイックスマイルで誤魔化す、或いは無視するというやつだ。
はっきりとNOを表明するのは日本人として『空気が読めない』扱いにされるから。
「高校1年生のときの、学級委員長、男女ひとりずつ出たんです。俺と、同じクラスの女の子。
そしたら、ふたりで行動する頻度が上がるじゃないですか。
一緒に仕事していれば、当たり前なのに。なんだかんだ、周囲が言い出すんですよ……」
「付き合ってんの的な言葉」
「高校生なので、もう少し露骨でしたね。
とりあえず余計な軋轢は避けるようにして、ただ無視して、黙々と一緒に仕事してた…………つもりだったんですけど」
嫌な記憶を思い返すからか、ふっと、慶史の表情に影が差した気がした。
「ある時、先生抜きでクラスのみんなで打ち合わせをしてたんですけど。
そうしたら、また、言われだして。
なんだろう、もう付き合っている前提ぐらいの言葉。
その場には、クラス全員いるわけじゃないですか。
その場でさらし者状態で。
もう一人の委員長が、泣き出したんです」




