第五話:4
神族は約1500年前、世界から姿を消した。
世間ではよく知られていないが、事実神族にしか見えないアジリーズの口から語られたのは神族という種族が表舞台から姿を消した過程と、そして現在についてだった。
1500年ほども前、つまりこの英雄のカルカが悪を滅ぼしておよそ500年後に、神族は一度絶滅したのだという――世間的には。
実際にはアジリーズのご先祖様である数名の神族が、なんらかの理由で表舞台に立てなくなった他種族を連れて自分たちだけの都市を作り上げ、そこで細々と暮らしていたらしいが。
外界との接触をほぼ拒んで自給自足の生活をしていた彼らの生活は素朴で、それは身を隠さねばならない他種族のためもあり、そして神族の血を守るためでもあった。
神族は一匹狼であるゆえに、子を生す機会が少ない。同じ場所で暮らすことで、その機会を強制的に増やしたということである。
神族が他人と生活だなどと、と本での知識しか持っていない私は感じてしまうのだが、アジリーズもそこは少しばかり眉を下げて頷いた。
曰く、その祖先は神族の中でも変わり者たちだった、と。
その変わり者たちは神族という種族に疑問を持ち――種族至上主義というか天上天下唯我独尊というか――、自分たちで名付けた『神族』という呼称を厭い、確かに他の種族よりも古くに興ったというそれに基づいて『古き民』と自らを名付け、少数ながらまだ生きていた同種族と、弱い他種族と共同生活を営む道を選んだそうだ。
極端に言えば弱いものは死ね、という思想を持っているらしい神族には珍しく、その表舞台に立てなくなった他種族には分け隔てなく、それこそ謂れのない罪に問われ、しかし抗う力を持たぬ弱者や邪魔者扱いされた王族など多種多様に含まれた。
途中で度々同じく身を隠さねばならない者たちを引き入れたりしながら現在までも続いた都市は、今では巷で語られる夢か伝説のようなものであった。
しかしもともと少なかった神族――いや、古き民は、その繁殖能力の低さも手伝って年々数を減らしていっている。
今ではアジリーズを入れて9人しかおらず、他種族との子もいないわけではないが、純血が途絶えてしまうのは悲しいことだ。
そんな折、英雄の、つまり古き民の女の復活が伝わってきた。
血を途絶えさせないためにも、是が非でも引き入れたいとアジリーズ本人がやってきたのだそうだ。
「……つまり、あれかい?私にあんたと結婚を前提にお付き合いしろ、ってことかい?」
死に絶えたはずの神族…古き民がいるという理由はわかった。
そしてアジリーズの恐ろしい目的も。
私が単刀直入に尋ねると、初めて動揺を滲ませてアジリーズが身じろぐ。
「そう…だ。……図々しい願いだとはわかっている。だから、とりあえず己と一緒に町に来て欲しい。己も…ナルミが望む夫になれる様努力する。古き民として、それが途絶えるのはお前も本意ではないはずだ。」
本意か本意でないかと尋ねられれば、まあ本意ではないが…古き民が絶滅するのは、自然の摂理だとも思ってしまう。
もしこれが日本人が滅亡する、とかだったら私も協力しようと思うのだが(例え自分がものすごい過去の世界から呼び出された、という設定でも)、いかんせん私は古き民ではない。
とりあえず町に行って、アジリーズと少しずつ仲を深めていくとはぞっとしない。
私には夫がいたのだ、最愛の夫が。それがすでに天に召されているとはいえ、裏切るような真似はしたくない。
「…本意ではないが、ねぇ。私には夫がいたんだよ、アジリーズ。」
神族は夫婦仲が大変よろしい種族だ、と本で読んだ。
それが間違いでないなら、この言葉は大きな影響力を持つはずだ。
案の定、アジリーズはベルを見た時と同じくらい目を見開いて驚きを顕わにする。
「夫…が…」
「そうさ。心から愛した夫がいた。だからあんたを夫とすることはできない。多分。」
多分、と付け足したのは、アジリーズがこれを付け足さなければ今にも死にそうな顔色になっていたからだ。
余程のショックを受けたのか、彼は呻きともため息ともつかないものを吐き出しながら両手で顔を覆った。
私は手持ち無沙汰になってお茶のカップを取り上げ、少しだけ口をつけつつアジリーズを眺める。
顔は私の夫より良い。断然アジリーズの方が良い。そりゃそうだ、作り物の様な端整さなのだから、神族という奴は。
身長も間違いなく夫よりある。というか軒並み地球産の人間はアジリーズより背が低いだろう。この身体でさえ女とは思えない高身長をしているのだ。
年齢は…どうなのだろう、とりあえず若そうではあるが。
「アジリーズ、あんたいくつだい?」
「………102だ」
両手の隙間から漏れた声は弱々しいが聞き取れなくはない。
102とは、私が94でぽっくり逝ったから案外釣り合いが取れているじゃないか。
「へぇ。近いんだねぇ。」
独り言のように呟くが、アジリーズから反応はない。どうやら本気で落ち込んでいるようだ。
まあそりゃそうだろう、希望が無かったところに差しこんだ一筋の光が、近付いたと思ったら目の前で消えていったようなものだから。
しばしお茶を飲んだりベルを撫でたりしていたが、復活する気配のないアジリーズにさすがに焦れて来た。
とりあえずはアジリーズの目的が本当にコレだったらしいとはわかったし、それなら私が中身でも問題はないだろう。
体は神…古き民だし、血も2000年前のビンテージもの、純血と思って間違いない。
夫からそうそう心変わりするとは思えないが、餌としては十分だ。
「なあアジリーズ。夫がいるとは言ったけどね、それは正確じゃないんだよ。」
ぴくり、とアジリーズの肩が動いた。
覆っていた手を退けて、不安そうな顔をしてこちらを見上げてくる。
年齢はアジリーズの方が上のはずだが(私の実年齢からして、だ)、どこか年下に感じてしまうのは、実はカルカがもうちょっと歳が行っていたりするから、だとかあるのだろうか。
「……英雄は復活させられた。魂を呼び戻された。……確認したいんだが、アジリーズ、あんたたちが欲しいのは古き民の女であって、英雄ではないんだね?」
言っている最中に、カルカ自身はこれをどう思うだろうか、とふとよぎる。
カルカは神族の見本のような性格だっただろうか、夫はいただろうか。種族の為ならアジリーズを夫にしようと思えただろうか…
「…言い方は悪いが、つまるところそうだ。」
ぎこちなく肯定するのは、やはり常識的に考えてそれが非常識な願いだとわかっているからだろう。
なんだか貴族や王のような、血筋云々の問題にこの世界で巻き込まれるなんて思っていなかったが…それなら。
「それなら問題はない。私はね、アジリーズ。古き民ではあるんだが、英雄ではないんだよ。」
目を丸くしたアジリーズに、ベル以外に…というか、ベル以上に詳しく、私に起こった全てについて説明していく。
他の世界から、という件ではさすがに絶句していたアジリーズだったが、魂の存在が信じられているこの世界では案外受け入れやすい話題らしく、彼もだんだん興味深そうな表情に変わっていった。
「…その、夫というのは…」
「元の世界ではいたのさ。もちろん深く愛しているよ?でも…もうずいぶん前に死んでしまってね。もしかしたら、アジリーズ、あんたたちが私に協力してくれるなら…ねぇ?」
よくもぬけぬけとそんなことが言えたものだ。
私は夫以外を愛するつもりなど皆無で、アジリーズを見ても男としてというより、外見のこともあって息子か孫レベルでしか見られないのに。年齢はあっちの方が上だが。
私が渾身の色目を使って小首を傾げると、ひゅっと短く息をのんだアジリーズが、片手で口元を抑えて目をそらす。真っ赤に染まる頬が可愛らしい。
ローガンには効かなかったお色気が本家本元の神族に通じるとは意外である。
「……協力、とは…?」
目をそらされたまま、真っ赤な顔で尋ねてくるアジリーズにふと微笑んで、私は一つ頷く。
「私は、古き民の能力からこの世界の常識まで、全てが無い状態だ。もちろん本を読んだりして知識を集めてはいるんだが…足りなさ過ぎてねぇ。」
そこまで言えば通じたのか、顔は少々赤いアジリーズだが元のようにこちらを真っ直ぐに見詰めてくる。
真剣なそのまなざしに、確かな手ごたえを感じる。
「この世界で、古き民として必要な…そして、普通のヒトであれば知っていなければならない知識の全てを、私に教えてほしい。もっと言えば英雄として当然の知識も欲しいが…それは無理だろう?」
微かに眉を寄せたアジリーズの反応に、最後の英雄として、は難しいことを悟る。
そりゃそうだ、2000年の時間は神族にしても長く、そしてその頃の神族は世界に散っている孤高の民族だ。
「最後の条件については承諾しかねる。英雄は我々にとってもよくわからない存在、の域を出ない。能力としては間違いなく己たちなど歯牙にもかけない程度だとはわかるが…。…だが、それ以外は無理ではない。最善を尽くすと約束できる。」
力強く言い切ったアジリーズに、私はにやりと笑った。
「そうかい。それなら、そうだね。夫がいたからすぐとはいえないが…出来るだけアジリーズを好きになれるよう、私も努力してみよう。夫婦となるのが無理でも、子作り程度には協力できるだろうしねぇ。」
愛がなくとも子は出来る。そして、この身体は私のものではない。最悪、それでも血は途絶えない。
などと身勝手なことを考えていると、顔面蒼白になったアジリーズに怒られた。
私としても近親婚は無いと思っていたが、アジリーズはやはり神族――古き民。夫婦仲が超絶良い種族柄、夫婦でもないのに契るなど冗談ではない、と言われてしまった。
…その考え方が、さらに絶滅へ導く一端になったとしか考えられないのだが…そういうものか。
まあ愛の無い家庭に生まれた子供も可哀想ではある。もちろん自分の子が嫌いなわけではないから子育ては愛情を持つつもりだが…それでもダメ、だそうだ。
「まあそれでも私は構わないんだが…夫がいた私がアジリーズを好きになる可能性、そんなに高くは無いんだよ?そこんとこわかってるんだろうね?」
「ああ。己を好きに…いや、愛して良いと思える存在になれるよう、努力は惜しまない。どうかよろしく頼む、ナルミ。」
真摯に見つめられ、今更ながら、ああ、これもまた厄介な条件だったかもしれない、と私は早々に後悔した。
私は情に脆いのだ、もしかしたら流される可能性もある。
まあその時はなるようになるか、と内心で溜息をつき、私はアジリーズに手を差し出した。
「契約成立だ。こちらこそよろしく頼むよ、アジリーズ。」
しっかりと握りしめられた手を握り返して微笑むと、アジリーズもつられたように微笑む。
さすが神族…じゃない…という否定を何度繰り返しただろう、面倒すぎるんだが。とにかく、さすがの種族性。
微笑みが神々しい。
「ところで、あんたたちの町に行くって話だが。悪いけど今は無理だ。」
「え…?」
協力するという話じゃなかったのか、と虚を突かれた顔になるアジリーズ。
どうも、私の秘密を話してから感情表現が豊かだ。
そう思いながらも、私が知識を欲する理由である、この世界で出来た友人の力になりたい、を話す。
それが行動理由なのだから、彼ら連合軍と行動を共にするのは第一条件である。
「アジリーズは私の顧問として付いて来てくれればいい。間違いではないし、彼らも恐らく承諾してくれるだろう。」
2000年前とは違う、今の古き民の知識を教えてもらうように、とでも理由をつければ大丈夫だと彼に言えば、しばしの逡巡の後諦めたように頷いてくれる。
まあ私に好かれようと思っているなら、これを断るのは有り得ないが。
それに、神族という英雄の一族は強力な力を有しているのは折り紙つきである。すでにイーリス達に姿を見られているうえで、姿を隠し続けるメリットは少ない。
「……あんたたちの町にいるっていう、身を隠さなければならないヒトビト。そういう話は伏せておく。アジリーズも、私が英雄ではないって話は他言無用で頼むよ。ああ、ベルは知っているがね?」
なあベル、と膝の上で丸まっている毛玉を撫でると、床に垂れていた尻尾がゆらゆらと揺れた。
なんだかんだ、ようやく私は道が定まったようである。
鳴海おばあちゃん、異世界で若い恋人を得る。(誇大表現が含まれます)