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【断章-01】紅の断罪者、遠き日の残火 / BLEEDING VERDICT  作者: 星乃ふみ


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第03話:鋼の揺籠、偽りの残光 / THE FIRST BUG

 数日間の空白。

 接合手術の地獄から生き延びて家に戻ると、サクラが泣きそうな顔で飛びついてきた。


「お兄ちゃん! もう、会えないかとおもった…」

「……ああ、悪かったな。戻ったぞ」


 彼は神経を直接焼かれるような激痛を押し殺し、不器用な手つきでサクラの頭を撫でようとして──冷たい鉄の指先が彼女の髪に触れる直前で、ハッとして手を止めた。


 かつての、泥にまみれていても温かかった兄の腕はない。

 そこにあるのは、鈍い銀色の光を放ち、時折不気味な駆動音を立てる、無機質な鉄の塊だ。


「……お兄ちゃん、その腕……どうしたの?」


 サクラは、変わり果てた兄の右腕を見つめ、目を丸くした。

 その声は震えている。


 ヤマトは、その「異形」を隠そうとしたが、当然隠しきれる大きさではない。ひきつった笑みを浮かべ、咄嗟に慣れない嘘を吐いた。


「……ああ。その……ちょっと、凄い力を手に入れたんだ。俺の仕事を認めた役人が、もっと働けるようにって、この腕にしてくれたんだ」


 この腕を手に入れるために、自ら肉を断ち、骨を砕き、隣人に頭を下げてパンを差し出したこと。

 子供一人の命と引き換えにするような「呪い」を肩に埋め込んだこと。


 そんな地獄を、この小さな妹が知る必要はない。


「これがあれば、もうお腹を空かせなくて済む。お前を、この暗いスラムから連れ出してやれるんだ」

「……いたく、ないの?」


 サクラの瞳に涙が溜まる。

 彼女が見ているのは「凄い力」などではなく、兄が支払ったであろう代償の大きさだった。


 ヤマトは、奥歯を噛み締めて、手術後も残る激痛を黙殺した。


「痛くないさ。……ほら、見てろ」


 ヤマトは、深く息を吐き出し、意識を右肩の深淵へと集中させた。

 生身の左手で、義手の接合部分をトントンと軽く叩く。


 すると、無骨な鉄の義手──ジャンク・ドライブの隙間から、まるで真夏の夜の蛍が集うように、幻想的な青白い光がパチパチとはじけ、周囲を照らした。


「わあ……きれい」


 サクラが、その光景に吸い込まれるように目を輝かせる。


「この腕があれば、俺はなんだってできる。こんな小さな光なんて比べものにならないくらい、もっとすごいものを見せてやるよ」


 その言葉の裏には、この鉄の塊を維持するために、これからどれほどの汚濁に手を染めねばならないかという残酷な覚悟が隠されていた。


 だが、幼い妹は、兄が右腕と引き換えに背負った「業」を、すべて赦すかのように柔らかく微笑んだ。


「お兄ちゃん……この腕、かっこいいね」


 サクラのその一言は、闇医者のメスよりも深くヤマトの心臓を貫いた。

「バケモノ」だと蔑まれる恐怖を抱え、血を吐く思いで手に入れた異形を、世界でただ一人、彼女だけが肯定してくれたのだ。


「……そっか」


 ヤマトの頬には、いつの間にか涙が伝っていた。

 彼は涙を拭うことも忘れ、青い光に照らされたサクラの笑顔を、ただ、心の奥底に刻み続けた。



 ◇



 ──月日は流れ、泥の中にいた少年は、「スラムの狂犬」へと変貌していた。


 スラムという底辺の世界ですら、大人も子供も関係なく、そこには平然と「差別」が存在した。

 持たざる者同士がさらに下の存在を見つけ出すことで、辛うじて己の尊厳を保とうとする醜い生存本能。


 貧困の極みであるスラムにおいて、異物として鈍い銀光を放つヤマトの右腕は一際目立ち、彼らの歪んだ憎悪をぶつけるための格好の的となったのだ。


「見ろよ、あの腕」

「親を亡くして、腕までバケモノに変えやがって。呪われてるんだよ、あの一家は」


 義手に刻まれた「UNIT-08」の記号は、個人の名が奪われた下界(ハイヴ)で、そのまま彼の呼び名となった。


「おい、ゼロハチ! 今日も屑鉄拾いか?」

「バケモノの分際で、いっちょ前に腕だけは上等だな、ゼロハチ!」


 擦れ違う大人たちが、酒の抜けない赤い目でせせら笑いながら、道ゆくヤマトを嘲笑する。


 だが、ヤマトは歩みを止めることさえしなかった。

 彼にとって、それらの罵声はただの「ノイズ」でしかなかったからだ。


 しかし、自分がどれだけ蔑まれても、妹に降りかかる侮蔑の言葉だけは許せなかった。

 自分が不在の間にサクラを嘲笑う不逞《ふてい》の輩が居れば、その一撃で沈め続けてきた。


 ヤマトは、奪い取った義手に幾度となく独自のメンテナンスを加え続け、自身の身体の成長に合わせるように、ジャンク・ドライブを単なる道具から自らの分身へと育て上げた。


 夜な夜な、錆びたボルトを締め直し、廃材の山から剥ぎ取った高効率のシリンダーや伝達ケーブルを組み込む。

 神経釘(ニューラル・スパイク)が肉に馴染み、義手との境界線が曖昧になるたび、鋼の指先はより繊細に、そしてより暴力的なまでの出力を手に入れていった。


 スラムの排気ダクトから漏れる鈍い光の下、火花を散らしながら調整される銀色の腕は、もはやヤマトの意志そのものだった。

 地べたを這いずる「部品」が、主の手により、運命を切り裂くための「牙」へと進化していく。

「力(ちから)」こそが、この地獄で「尊厳(そんげん)」を守る唯一の言語だった。


 炭鉱(たんこう)での仕事も、ただの肉体労働ではなくなっていた。

 ヤマトの脳内には、誰に教わるでもなく、常に数式と効率の予測演算(シミュレーション)が駆け巡る。


(この岩盤の角度なら、支柱はこの位置。搬送のタイミングを三秒早めれば、熱源の蓄積を回避できる)


 彼が現場を仕切るようになると、事故は減り、収穫量は跳ね上がった。

 周囲の大人たちは、その冷徹なまでの知性に畏怖を覚え、現場監督もヤマトを「なくてはならない右腕(みぎうで)」として認めるようになった。


 ──すべては、サクラの「笑顔」のために。


 ボロ屋に帰り、サクラが「お兄ちゃん、おかえり」と笑ってくれる。

 その瞬間のためだけに、ヤマトは己を鋼のように鍛え上げてきた。


 ある日、ヤマトは無言でサクラに何かを差し出した。


「お兄ちゃん、なあに?」

「……こんなのしか、今はやれねえけど」


 大きな、けれど油と煤に汚れたヤマトの手のひら。

 その上には、灰色の世界には場違いなほどに鮮やかな淡い桃色のリボンが乗せられていた。


 中央区画(セントラル)から気まぐれにやってくる行商人から、ヤマトが数日分の食費を削り、わずかな給料で買い求めた妹への献身の形。


「……きれいな色」


 サクラがそれを手に取り、宝石を見つけたように目を輝かせる。

 その無垢な喜びの表情を正面から受け止めるには、今のヤマトはあまりに「毒」を知りすぎていた。


 彼は急に気恥ずかしくなり、赤くなった顔を悟られないよう、不器用に視線を背ける。


「……いつか」


 ヤマトは、喉の奥から絞り出すような固い決意と共に、この地獄の中で兄妹が生き抜くための唯一の希望を口にした。


「いつか……本物の桜、見に行こうぜ。それまで、大事にしてろよ」


 ヤマトの不骨な指先が、サクラの髪にリボンを結びつける。


 鉄の駆動音と、少女のはにかんだ笑い声。

 それが、崩壊直前のヤマトの家で灯された、最後の柔らかな光だった。


 ──しかし、運命という名のシステムは、残酷な現実をヤマトへと叩きつける。


 ある日の夕暮れ。

 自宅に戻ったヤマトが見たのは、床に崩れ落ちたサクラの姿だった。


「サクラ! おい、しっかりしろ!」


 声をかけても、サクラの表情は虚ろだった。

 自分が見えているのかどうかも定かではない。


「サクラ、俺がわかるか?」

「……おにいちゃん、どこ?」


 ヤマトの背筋に、冷たい汗が流れる。


 兄の右腕から放たれる青白い光に目を輝かせたあの無垢な瞳が見つめているのは、もはや希望ではなく、出口のない、底知れぬ絶望だった。


「お兄ちゃんの腕、光ってる……?」


 サクラが虚空(こくう)を彷徨(さまよ)わせるその手は、かつてヤマトが誇らしげに掲げたジャンク・ドライブの輝きを、もう捉えることができない。


 網膜(もうまく)に侵食し始めた「鉱血症《こうけつしょう》」が、彼女から世界の色を、そして最愛の兄の姿を奪い去っていた。


 この腕があれば、なんでもできると豪語(ごうご)した。

 この鉄の力で、妹の笑顔を守り通すと誓(ちか)った。


 だが、自分が手に入れた「力」は、もう二度と、愛する妹の瞳に映る暗闇を、照らすことはできなかった。


「……ああ、光ってるさ」


 ヤマトは震える声で嘘を吐きながら、光を失った妹の小さな体を、鉄の腕で壊さないよう、けれど誰にも渡さないように強く抱きしめた。


 ヤマトの中で、何かが音を立てて千切れた。


 それは「いつか救われる」という淡い期待であり、人間が人間として正しく生きようとするための、細い糸だった。


 それからヤマトは、下界中の医者を訪ね歩いた。


 正規の診療所。無免許の闇医者。廃棄された医療端末を漁る情報屋。


 金を払い、脅し、時には頭を下げた。

 だが、返ってくる答えはどこも同じだった。


『鉱血症に治療法はない』


 進行を遅らせる薬さえ、下界には存在しない。

 ただ、天上界には下界へ決して与えられない医療技術があるという噂だけが、絶望の底に残された。


 ヤマトは、眠るサクラの枕元へ数日分の食料と水を置いた。

 建て付けの悪い扉へ、自分にしか開けられない仕掛けを施す。


「……サクラ。少しの間、留守にする」

「どこに、行くの……?」


 光を失ったサクラの指先が、不安そうに兄の服を探した。

 ヤマトはその手を取り、自分の頬へ触れさせる。


「薬を探してくる。お前の目と身体を治す薬だ」

「でも……危ないところ?」

「心配すんな。俺が戻ってこなかったこと、一度でもあったか?」


 サクラはしばらく黙っていたが、やがて兄の頬を確かめるように撫で、小さく頷いた。


「……待ってる。お兄ちゃんが帰ってくるまで、ずっと」

「ああ。必ず戻る」


 ヤマトは立ち上がり、分厚い雲に覆われた天を仰いだ。


「……潰してやる」


 その瞳に宿ったのは、かつての少年の涙ではない。


 世界という巨大な演算式(システム)を根底から否定し、愛する者の体温を奪うすべてを抉(こ)じ開けるための、狂気じみた「反逆(はんぎゃく)」の火だった。


「お前の瞳に光を取り戻すためなら……俺は、死の淵だって日常にしてやる」


 それは、スラムの泥を啜り、鉄を宿した一人の「不純物(バグ)」による、世界への宣戦布告だった。


 その時、空から小鳥の羽が一枚、踊るように舞い落ちてきた。


 生から切り離された、小さな茶色い羽。

 ヤマトが顔を上げる。


 分厚い雲の遥か先には、白磁と黄金の国──高天原が聳(そび)え立っていた。


 あそこには、下界から奪った光がある。

 サクラを救うための知識がある。

 そして、この世界を歪めた元凶がいる。


 ヤマトは赤い髪を吹き荒ぶ風に晒し、高天原へ背を向けることなく歩き出した。


 目指すは、警備の目が届かない禁断の登攀路──黄泉比良坂(よもつひらさか)。


 地獄の淵から、虚飾の楽園へ。


 それが、彼の運命を大きく変える一歩となることを、少年はまだ知る由もなかった。



【断章-01】紅の断罪者、遠き日の残火 / BLEEDING VERDICT ── 完


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