交易都市の罠(前編)
王都への道中にある交易都市ラザリア。
ここは大陸全土から物資と人間が集まる活気ある街だが、同時に一歩路地裏へ入れば、合法的に人を破滅させる狂気のギャンブルが横行する街でもあった。
馬車の補給と宿泊のため、俺たちはこの街の宿に腰を落ち着けていた。
部屋の机で王都の勢力図を整理していた俺の元へ、信じられないほどの勢いで扉が開き、ギルバートが転がり込んできた。
「ア、アルス様……! 申し訳ございません! 殺してください、いっそ殺してくださいぃぃっ!」
床に頭を叩きつけ、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした豚が叫ぶ。
話を聞くと、俺の『呪いの痣』の緊張感から解放されたギルバートは、宿泊手続きの合間に「少しだけ」と、街で一番大きい国家公認カジノ『黄金の天蓋』へ遊びに行ったらしい。
そこでカジノのオーナーであるマルコ男爵という男にハメられ、俺に差し出すはずだった金貨の残り、土地の権利書、そして王都の有力者へ繋がる最も重要な『領主の推薦状』まで、すべてを毟り取られたという。
「……なるほど」俺は静かに立ち上がった。
横で果物を齧っていたソフィアが、怪訝そうな顔で俺を見る。
「アルス、どうするの? 助けに行くの? 私たちの手元にはもう、その豚が持ってた最低限の宿代くらいしか残ってないわよ」
「助けるさ。ギルバートのためじゃない。俺の王都への切符(推薦状)を奪ったマルコ男爵とかいう男から、利息をつけてすべてを奪い返すためだ」
俺は礼服の襟を正し、ソフィアを見た。
「ソフィア、お前の出番だ。手品師の腕を見せてもらおう。道具は、その辺にあるものでいい」
カジノ『黄金の天蓋』の最上階。VIP専用の特別室。
部屋の奥、豪奢な革張りの椅子に座るマルコ男爵は、前世で何度も見た「客を舐めきった詐欺師」
の目をしていた。
手元で純銀製のダイスカップを弄びながら、俺たちを嘲笑う。
「おいおい、ギルバート殿。そのガキどもが君の言っていた『呪術師』か? 随分と舐められたものだな」「男爵。ギルバートが失ったものを、すべてこの場で買い戻しに来た」
俺は手元に残った数枚の金貨をテーブルに置いた。
あまりの少なさに、男爵の部下たちが鼻で笑う。
「ふん、そのはした金でか? いいだろう、遊んでやる。ルールは3つのダイスを振り、出目の合計が『奇数』か『偶数』かを当てるだけだ。ただし、君たちが負ければ、その金貨と……そこの小娘の身柄をいただく」
マルコの目が、ソフィアの美しいオッドアイを不気味に舐め回した。
ソフィアの身体が微かに強張る。
テーブルの上に置かれたのは、鈍い光を放つ純銀製の3つのダイス。
買収も事前の情報もない。だが、俺の目は誤魔化せない。
男爵がダイスを弄ぶ手つき、指先にある不自然に大きな「ルビーの指輪」。
そして、テーブルの表面が、わずかに熱を帯びて陽炎のように歪んでいること。
極めつけは、ダイスが転がるとき、純銀製にしては「妙に重く、沈むような音」がすること。
(なるほどな。古典的な物理トリックだ)俺は一瞬で、そのイカサマの構造を自力で見抜いた。
あのダイスの内部には、一定の熱によって内部の重心がスライドする「形状記憶魔合金」が仕込まれている。
マルコは指輪の火魔法でテーブルの温度を調整し、ダイスの重心を操って、出目を100%『偶数』か『奇数』にコントロールしているのだ。
魔力感知能力が高い者ほど、テーブルに流れる熱魔力に気づくが、それが「出目を物理的に操作している」という構造にまでは気づけない。
この世界の人間は、何でも魔法で解決しようとするからだ。
「では、第一戦だ。賭けなさい」
マルコがダイスカップを激しく揺らし、テーブルに叩きつけた。
男爵の指輪が赤く光る。テーブルの熱が変化した。
内部の重心が動き、出目は確実に『偶数』になるよう仕込まれたはずだ。俺はソフィアの手をそっと握り、彼女の手のひらに、親指の爪で小さく「奇」という文字を書いた。
そして、彼女の耳元に口を寄せ、他愛のない世間話をする振りをしながら、男爵の死角で囁いた。
「(ダイスの内部の重心が熱で動いてる。お前がカップに手をかざす一瞬、ドレスの裏から抜いた『自分の髪の毛』をカップの隙間に滑り込ませろ。その髪の毛をダイスの下に噛ませて、ほんのわずかに傾きを狂わせ、重心を反転させろ。手品師のお前なら、ノーモーションでできるはずだ)」
ソフィアのオッドアイが驚愕に見開かれた。事前の準備などない。
今、この場で即興で仕掛ける、見破られれば即死の綱渡り。
「……分かりましたわ」
ソフィアは凛とした声で言うと、ダイスカップにそっと両手をかざした。
彼女の異常な手先の器用さが、完全に男爵の目を盗んだ。
ドレスの隙間から抜いた細い一本の髪の毛が、視認不可能な速度でカップの隙間から滑り込み、中のダイスの1つの角に物理的な「抵抗」を生み出す。
「私は――『奇数』に賭けます」
マルコが鼻で笑い、カップを開ける。
「無駄だ、私の運命は常に――な、何だと!?」
出目は、1、3、5の合計9。奇数。
「バカな……!?」
マルコがガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
指輪の魔法は正常に作動していた。魔力による妨害の気配も一切ない。
なのに、出目が狂った。
「どうしました、男爵。驚くようなことではありません」
俺は一歩前に出て、驚愕するマルコの目をまっすぐに見据えた。
ここからが、詐欺師の本当の戦い――命を賭けた『嘘』の始まりだ。
「我が聖女の瞳には、世界の『因果の糸』が見えている。あなたがどれほど運命を操作しようとも、聖女がそれを指先一つで書き換えてしまうのですよ」
マルコの顔から、余裕の笑みが完全に消え失せた。




