偽りの聖女と詐欺師
ギルバートに用意させた特等馬車は、お世辞にも快適とは言えなかった。
サスペンションなどという気の利いた機構はこの世界の馬車にはない。
石だらけの山道を越えるたび、内臓がひっくり返りそうな振動が俺を襲う。
だが、贅沢はいっていられない。
俺は馬車の座席に腰掛け、手元にある木箱の中身を整理していた。
ギルバートから巻き上げた金貨、いくつかの魔結晶、そして前世の科学知識を応用できそうな、この世界固有の鉱物や薬草のサンプルだ。
「アルス様、お加減はいかがですか……?」
馬車の御者台から、ギルバートが心配そうに声をかけてくる。
街の全財産を差し押さえられた彼は、今や俺の専属運転手兼、便利な財布だ。
首筋の『呪いの痣』がある限り、この豚が裏切ることはない。
(王都に着くまでに、もう少し手札を増やしておきたいな……)俺の能力『言霊の迷宮』は強力だが、相手に「100%嘘を信じ込ませる」ためには、どうしても事前の入念な仕込みや、五感に訴えかけるリアルな錯覚が必要になる。
先日の騎士団長との対峙では、部屋に漂う虫の鱗粉という偶然の要素を利用してハッタリ(雷)を成立させたが、毎回そんな幸運が転がっているとは限らない。
これから向かうのは、百戦錬磨の権力者たちが蠢く王都だ。
俺の指示通りに影で動き、舞台装置や手品の仕掛けを物理的に設置してくれる、口の堅い
「仕掛け人」
がどうしても欲しかった。その時、馬車が急ブレーキをかけた。
激しい音を立てて、馬たちが嘶く。
「な、なんだ!? 貴様ら、そこを退け!」
ギルバートの慌てた声が響く。俺は馬車の窓から、そっと外の様子を覗いた。
山道の前後を、二十人ほどの人間が取り囲んでいる。
身に纏っているのはボロ布。
手にあるのは錆びた農具や即席の木槍。
凶悪な盗賊団ではない。
飢え死に寸前の平民や、逃亡してきた奴隷の集まり――いわゆる、社会の底辺に追いやられた
「持たざる者」たちだった。
そして、その中心に、一人の少女が立っていた。
年の頃は十六、七。
ボロ布を纏ってはいるが、その容姿は驚くほど整っていた。
何より目を引いたのは、その瞳だ。
右目が深い青、左目が鮮やかな金色――美しいオッドアイ。
少女は、俺の馬車に向けて、堂々と片手を突き上げた。
「動くな、強欲な貴族ども! 私は天界の神に選ばれし【聖女】ソフィアである!」
少女の声は、山道によく響いた。
その背後では、数人の子供たちが
「聖女様!」「聖女様!」
と狂信的な声を上げ、祈るように跪いている。
「これ以上進むなら、神の怒りをお前たちに下す! 私には、触れた者の魔力を根こそぎ奪い取り、魂を腐らせる『神罰の呪い』がある! 命が惜しくば、その馬車と、中にある食料と金をすべて置いて立ち去れ!」
少女――ソフィアが冷酷に言い放つと、周囲の平民たちが一斉に武器を掲げて威嚇した。
ギルバートは「ひ、ひぃっ! 聖女……呪い……!?」と、昨日俺にかけられた呪いのトラウマが蘇ったのか、御者台でガタガタと震え出した。
だが、俺は馬車のシートに背を預けたまま、小さく口角を上げた。
(……レベルの低い詐欺だな)
前世で何百人もの詐欺師を観察し、自身もその頂点にいた俺の目は誤魔化せない。
彼女の立ち振る舞いは一見堂々としているが、指先がわずかに震えている。
何より、本当に触れるだけで人を殺せる強力な呪い(魔法)があるなら、わざわざ錆びた農具を持った一般人を大勢引き連れて、馬車を脅す必要がない。
一発で御者を仕留めれば済む話だ。
そして、彼女の背後の子供たちが、妙に規則正しく「聖女様!」とコールを送っている。
あれはサクラだ。周囲の平民たちに「この子は本当に聖女なんだ」と思い込ませるための、古典的な集団心理誘導(サクラ工作)に過ぎない。
「アルス様、どうしましょう……! 聖女の呪いだなんて、私、もうこれ以上呪われたら死んでしまいます……!」
半泣きのギルバートを無視し、俺はゆっくりと馬車の扉を開け、地面へと降り立った。
「おい、小僧! 死にたいのか! 私に近づくな!」
ソフィアが鋭い声を張り上げ、俺を睨みつける。そのオッドアイの奥に、一瞬だけ
「想定外の人間が出てきた」
という動揺が走るのを、俺は見逃さなかった。
俺はポケットに手を突っ込んだまま、退屈そうに首を傾げた。
「おい、そこの偽聖女」「な、何だと……!?」「そのオッドアイ、生まれつきじゃないな? 左目の金色の光彩……よく見ると、ただの『着色された薄膜の魔結晶』だ。瞳の表面に薄く削った結晶を張り付けて、聖っぽく見せかけているだけだろ。手先が器用なのは認めるが、近くで見れば一発でバレるぞ」
ソフィアの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「それから、後ろの子供たち。君が合図を送るたびに、声を張り上げているね。君、左手の指で小さくカウントを取っているだろ? 『今から脅すから、後ろで盛り上げろ』ってな」
「くっ……、お前、何を――」
「何より、本当に『魔力を奪う呪い』があるなら」
俺は一歩、また一歩と、ソフィアに向けて歩みを進めた。
周囲の平民たちが槍を構えるが、俺の圧倒的な落ち着きに気圧され、誰も飛び出してこられない。
俺はソフィアの目の前まで来ると、躊躇なく、彼女が突き出していた右手をガシッと掴んだ。
「ひっ……!?」
ソフィアが短い悲鳴を上げる。
「ほら、何も起きない。俺の魔力は、教会の測定器で【完全なゼロ】だ。奪う魔力すら最初からない。……君の嘘は、魔力のある『持てる者(貴族)』には通じても、俺のような『持たざる者』には通用しないんだよ。同業者さん?」
俺が耳元でそう囁くと、ソフィアは完全に戦意を喪失し、ガタガタと震え出した。
「ば、バレた……。殺される……」
彼女は目を伏せ、覚悟を決めたように唇を噛んだ。
周囲の平民たちも、聖女の嘘が暴かれたことで、絶望したように武器を落とし始める。
だが、俺の目的は、彼女たちを裁くことではない。
(度胸はある。ルックスもいい。何より、魔結晶を瞳のサイズに薄く削り出すような『異常な手先の器用さ』と、人を惹きつけるカリスマの素質がある……)
これほど俺の「仕掛け人」に相応しい人材はいない。
「……さて」
俺は掴んでいた彼女の手を離し、広がった平民たち、そして御者台のギルバートに向けて、わざとらしく大声を張り上げた。
「素晴らしい! 誠に素晴らしい、本物の聖女の御力だ!!」
「……え?」
ソフィアが、呆然として俺を見上げる。
俺は彼女に向かって深々とお辞儀をし、芝居がかったトーンで言葉を紡いだ。
「私は王都へ向かう旅の呪術師、アルス。今、聖女ソフィア様の御手に触れ、確信いたしました。私の体内に潜んでいた『穢れ(けがれ)』が、今の一瞬で完全に浄化された! ああ、なんという慈悲深き神の光か……!」
俺は心の中で、明確に『嘘』を定義した。
(こいつは、俺のハッタリを物理的に成立させる、本物の『聖女(相棒)』だ)
『対象(ソフィア、ギルバート、周囲の平民)が、あなたの【嘘】を不審に思いつつも、状況の激変により強く意識しました』
『因果律の書き換えを実行します――ソフィアの体に、微弱な「治癒・浄化の魔力」を強制定着させます』
カッ、とソフィアの全身から、柔らかな白い光が溢れ出た。
手品ではない。世界が俺の嘘を真実にするために作り出した、本物の「聖なる魔力」の光だ。
「な、何これ!? 私の体から、光が……っ!?」
ソフィア自身が、自分の両手を見つめて驚愕している。
「お、おおお……! 本当に聖女様だったんだ!」
「聖女様万歳! 聖女様万歳!」
サクラではなく、本物の歓声が山道に響き渡る。
御者台のギルバートも
「やはり、アルス様の行くところには奇跡が起きる……!」
と涙を流して拝んでいる。
俺は混乱するソフィアにだけ聞こえる低い声で、不敵に笑いかけた。
「生き残りたいだろ? なら、俺の『嘘』の片棒を担げ」
ソフィアは、自身の体から放たれる本物の魔法の光と、目の前にいる「魔力ゼロの怪物」の底知れない笑顔を見比べ――やがて、観念したように小さく頷いた。
「……わかったわよ。何でもするわ。だから、私と、この子たちを助けて」
「交渉成立だ」
俺はギルバートの木箱から金貨の袋を取り出し、ソフィアの後ろにいる平民たちに投げ与えた。
「これで全員、麓の街でまともな服と食料を買いなさい。ソフィアは、王都までの私の『護衛(案内人)』として雇う」
こうして俺は、王都をハメるための最初の駒――天才的な手先の器用さを持つ「偽りの聖女」を仲間に加えた。
馬車は再び、王都に向けて走り出す。座席の向かい側に座り、未だに自分の手を見つめて戸惑っているソフィアに、俺は新しい
「仕様書(詐欺のシナリオ)」を差し出した。
「さあ、ソフィア。次の舞台は王都の『大カジノ』だ。君には、そこで最高に華麗な役割を演じてもらうぞ」
魔力ゼロの詐欺師と、奇跡を掴まされた偽聖女。二人の嘘つきを乗せた馬車は、世界の中心へと進んでいく。




