正念場
私は、何故かその場に棒立ちになったお兄様を見逃さなかった。
隙だらけのその身体に向けて、容赦なく追撃の拳を叩き込む。
――……つもりだった。
「え……?」
手応えがない。
一瞬、脳の理解が追いつかなかった。
私の拳が空を切り、お兄様がいたはずの地面には、ただ深く抉られたクレーターだけが残されていた。
(消えた!? 速すぎて見えなかったの!?)
本能が、今度は自分が致命的な隙を晒していると告げて警鐘を鳴らす。
私はすぐさま頭上に『魂』の力を展開し、直径十五メートルはある巨大な隕石を出現させた。
背後へと鋭く振り向きざま、その質量兵器を放つ。
だが――そこで私は、この世のものとは思えない異様な光景を目の当たりにした。
そこにいたのは、お兄様であってお兄様ではない『ナニカ』。
黒かった髪には禍々しい赤が混じり、その右目は、世界を呪うかのような深い紅へと染まったオッドアイ。
出来損ないの兄だったはずのナニカは、迫り来る巨大な隕石を見上げ、退屈そうにふっと息を漏らした。
そして――ただの、手刀。
無造作に振り下ろされたその一撃が、凄まじい衝撃波と共に、直径十五メートルの質量を真っ二つに叩き割ったのだ。
轟音と共に砕け散る隕石の破片の中で、紅い瞳が、私を冷酷に見下ろしていた「う、嘘……お兄様、その姿は……」
隕石の破片が降り注ぐ中、ネルが恐怖に声を震わせる。
だが、その驚愕が闘技場を支配したのも、ほんの一瞬のことだった。
(――チッ。ここまでか。童、お前の肉体の器が低すぎて、俺の力をこれ以上維持できん)
脳内で大魔王が忌々しそうに舌打ちする。
その瞬間、俺の身体を包んでいた黒いオーラが霧散し、オッドアイだった右目の赤が、元の黒色へと戻っていく。
「あ……が、はっ……!」
激しい脱力感と、全身の筋肉が千切れるような激痛が俺を襲った。
あまりの反動に膝をつきそうになる。
大魔王の力の経験が浅すぎるがゆえの、急激な時間切れだ。
「……っ! 今のは、一体何だったのですかお兄様!?」
正気を取り戻したネルが、焦燥を隠せない顔で再び構える。
今の俺には、もうさっきの化け物じみた力はない。いつもの「無能な俺」だ。
(おい大魔王! もう一回あの力は出せないのか!?)
『無理だな。今使えばお前の肉体が消し飛ぶぞ。……ククク、残り時間はあと五分。どうする、童?』
頭の中で大魔王が意地悪く嗤う。
タイマーを見れば、勝負開始からすでに二十五分が経過していた。
(あと五分……! だったら、大魔王の力なんてなくたって――!)
俺はガタガタと震える足に力を込め、再びネルを真っ直ぐに見据えた。
「何でもねぇよネル……! さぁ、来い! 俺はまだ、倒れてねぇぞ!!」
「っ……舐めないでください!!」
激昂したネルが、容赦のない魔法の暴風を放ってくる。
大魔王の力はもうない。だけど、俺の心には本物の大魔王が刻んだ「最強の記憶」が残っている。
視界が血に染まり、意識が何度も飛びそうになる。
それでも俺は、蒼白学園への切符を掴むため、意地だけでその場に立ち続けた。
――そして。
ピピッ、と終了を告げる無機質なタイマーの音が、闘技場に鳴り響いた。
2話目を完成させられました。ここから3話目もなるべく早く更新しますので見ていただけると幸いです




