第8話 私を追放した元婚約者は、自分の完璧主義のせいで孤立しているそうです
アルヴィン様の呪いが解けてから数日後。
私はいつものように、近所のおばさんたちとお茶を飲みながら日向ぼっこをしていた。
「リゼット先生、聞いたかい? 王宮で大変なことが起きてるらしいよ」
八百屋の奥さんが、声を潜めて教えてくれた。
「大変なこと、ですか?」
「ああ。王太子殿下の派閥の役人たちが、次々と倒れたり辞めたりしてるんだとさ。なんでも、殿下が無理難題ばかり押し付けるから、誰もついていけなくなったらしいよ」
その話を聞いて、私はふうむと小さく息を吐いた。
王宮の業務が麻痺している。その理由は、私には痛いほどよくわかった。
公爵令嬢時代、私はエドワード殿下の裏方として膨大な実務を処理していた。
その際、「誰でも無理なく仕事が回せる仕組み」をまとめた業務マニュアルを作成していたのだ。
私が追放された後、殿下は「可愛げのない女が残したゴミ」だと言って、そのマニュアルを破棄したのだろう。
完璧主義で、他人の少しの失敗も許さないエドワード殿下。
彼の基準で仕事を求められれば、普通の人間はすぐにすり減ってしまう。
私のように「殿下に認めてもらいたい」と必死に自己犠牲を払う人間がいなくなれば、組織が崩壊するのは時間の問題だったのだ。
「殿下は周りに当たり散らすばかりで、最後には見限られて一人ぼっちになっちまったそうだよ。自業自得だねえ」
奥さんの言葉に、私は静かにお茶を啜った。
前世の記憶では、悪役令嬢は断罪された後、必ず相手に「ざまぁ」と呼ばれる復讐を果たすことになっていた。
だけど、今の私の心には、暗い喜びも嘲笑もない。
「……私にはもう、関係のない話ですね」
温かいお茶の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、私は微笑んだ。
私はもう、彼に認めてもらうために徹夜で計画書を書く必要はない。
完璧な令嬢の仮面を被って、息を潜めて生きる必要もない。
自分のペースで働き、失敗したら素直に笑い合える隣人がいて、そして――私の等身大の言葉で救われたと言ってくれる、不器用で優しいアルヴィン様がいる。
今、この日向の縁側で飲むお茶が、王宮で飲んでいた最高級の紅茶よりずっと美味しく感じる。
彼らが勝手に自滅して反省しているなら、それでいい。私の幸せの邪魔をしないのなら。
穏やかな午後を過ごし、日が落ちて冷たい風が吹き始めた頃。
私はボロ家の窓を閉め、夕食の準備をしようと立ち上がった。
コンコン。
控えめなノックの音が響いた。
アルヴィン様だろうか。彼は最近、人間の姿で堂々と夕食を一緒に食べに来るようになったのだ。
「はい、今開けますね」
笑顔で扉を開けた私の視界に飛び込んできたのは、アルヴィン様ではなかった。
「……リゼット」
そこに立っていたのは、見違えるほどやつれたエドワード殿下だった。
金髪は輝きを失い、目の下には濃いクマができている。
数日前に「壺のセールスマン」と勘違いして追い返した時の傲慢さは、見る影もなかった。
「こんな時間に、何かご用でしょうか」
私が警戒して一歩下がると、エドワード殿下は苦しそうに顔を歪めた。
「頼む、リゼット。俺の話を聞いてくれ」
彼の声には、深い疲労と、今まで彼が決して見せなかった「後悔」の響きが混ざっていた。
私は扉を閉める手を止め、静かに彼を見つめ返した。




