第6話 過労で倒れそうな彼に「頑張らない勇気」を教えます
「アルヴィン様、しっかりしてください!」
私の肩に崩れ落ちた彼の体は、驚くほど重かった。
同時に、服越しに伝わってくる体温が異常に高い。
私は必死に彼を支えながら、家の中にある小さなベッドまで運び込んだ。
彼を仰向けに寝かせ、首元のボタンを外して呼吸を楽にさせる。
顔色は蒼白なのに、息は熱く乱れていた。
数日前、私が「サボり方」を教えた時は少し顔色が良くなっていたのに。
根本的な解決にはなっていなかったのだ。
「……申し訳、ありません」
額に冷たいタオルを乗せると、アルヴィン様がうっすらと目を開け、掠れた声で呟いた。
「謝らないでください。とにかく今は休まないと……」
「休めば、その分だけ誰かが苦しむのです」
彼は熱に浮かされたような虚ろな瞳で、天井を見つめた。
「私は次男でありながら、魔力が多いというだけで家を継ぎました。周囲の期待に応え、完璧な領地経営と王宮の実務をこなさなければ、私の存在価値はない。少しでも気を抜けば、領民や部下に被害が及びます。だから……逃げるわけにはいかないのです」
絞り出すようなその声には、長年彼を縛り付けてきた呪いのような「責任」が滲んでいた。
完璧でなければ見捨てられる。
役に立たなければ生きている価値がない。
その言葉は、まるでかつての私のようだった。
エドワード殿下の前で、必死に完璧な令嬢を演じていた私の。
私はベッドの脇に座り、彼の熱い手を両手でぎゅっと包み込んだ。
「アルヴィン様」
彼はわずかに視線を私に向けた。
私は彼の金色の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、はっきりと言葉を紡いだ。
「逃げても、世界は滅びませんよ」
「……リゼット?」
「あなたが休んで少し仕事が遅れたところで、国が明日滅びるわけではありません。部下の人たちだって、あなたが倒れるよりは、少し仕事が回ってくる方がマシだと思っています。私が保証します」
私の声が震えていたかもしれない。
でも、これだけは絶対に伝えなければいけなかった。
「誰かのために完璧になる必要なんてありません。頑張らない勇気を持ってください。もし世界中があなたを責めたとしても……私が、あなたを許します」
静寂が部屋に落ちた。
アルヴィン様は大きく目を見開き、私を見つめていた。
包み込んだ彼の手が、小さく震えているのがわかる。
やがて彼はゆっくりと目を閉じ、一つ、長く深い息を吐き出した。
「……貴女は、本当に不思議な人だ」
その目尻から、一筋の涙が静かに零れ落ち、枕へと吸い込まれていった。
張り詰めていた糸が切れ、彼が長年背負っていた重い鎧が、音を立てて崩れ落ちたような気がした。
「貴女にそう言われると、本当に……もう頑張らなくてもいいのだと思えます」
彼は私の手をそっと握り返してきた。
その力は弱かったけれど、とても温かかった。
「ありがとうございます。貴女の言葉で、私は救われました」
「いいえ。私は適当なことを言っているだけですから」
照れ隠しで目を逸らすと、彼がふっと小さく笑う気配がした。
「頑張らなくても許される」
私が彼にかけたその言葉は、そっくりそのまま、私自身をも救い上げていた。
誰かの期待に応えられなくても、完璧じゃなくても、こうして誰かの心に寄り添うことができる。
彼の手の温もりが、私の胸の奥にじんわりと広がっていく。
不器用で、真面目すぎて、でもこんなにも優しいこの人を、私はもっと知りたい。守りたい。
彼を見つめながら、私は自分の中に生まれた静かで確かな「恋心」を自覚していた。
やがてアルヴィン様の呼吸は穏やかになり、深い眠りに落ちていった。
私は彼の手を握ったまま、窓の外が夕暮れに染まるまで、静かにその寝顔を見守り続けた。
そして、夜。
看病疲れでうたた寝をしていた私がふと目を覚ますと、ベッドに寝ていたはずのアルヴィン様の姿は消えていた。
代わりに、毛布の真ん中には、あの黒猫のノワールが丸まってスヤスヤと眠っていたのだ。




