第5話 元婚約者が来ましたが、セールスと勘違いして塩対応しました
数日後の午前中。
私は日当たりの良い窓辺の椅子で、毛布にくるまってまどろんでいた。
最近は夜になると黒猫のノワールがやってきて、ずっと撫でてしまうため、少し寝不足なのだ。
ぽかぽかとした陽気に包まれ、意識が完全に沈みかけたその時だった。
ガンガンガン!!
扉が壊れそうなほど乱暴に叩かれた。
「……んん?」
私は毛布を引きずったまま、ふらつく足取りで玄関へ向かった。
寝起きのせいで頭がひどくぼんやりしている。
ギィ、と扉を開けると、そこに立っていたのは派手な金髪の男だった。
「リゼット! こんな薄汚れた街で、一体何の真似だ!」
男は私を見るなり、頭ごなしに大声を張り上げた。
上等な生地だがどこか趣味の悪い装飾過多な服を着て、腕組みをして私を見下ろしている。
その傲慢な態度と高圧的な声。
私の寝ぼけた脳裏に、平民街の奥様方から聞いた「怪しいセールスマン」の特徴がフラッシュバックした。
最近、派手な身なりの男が『人生が完璧になる壺』を高値で売りつけてくるらしい。
間違いない、この人もその手合いだ。
完璧なんて言葉、今の私には一番必要ない代物である。
「……あー。間に合ってます。私、完璧とか興味ないので」
「は? 何を言って……」
「壺を置く場所もないので、お帰りください。それでは」
バタン。
私は男の言葉を遮り、容赦なく扉を閉めた。
内鍵をガチャリと締め、再び毛布にくるまって大きく欠伸をする。
「リゼット! 開けろ! 俺を誰だと……!」
外で男が何やら喚いているが、近所迷惑なセールスマンだ。放っておけばそのうち帰るだろう。
私はそのまま椅子に戻り、再び目を閉じた。
数分後。
外の騒ぎがふっ、と静かになった。
代わりに、低く落ち着いた声が聞こえてきた。
「平民街の路地で大声を出すのは、いささか品位に欠ける行動かと存じますが」
その声にハッとして目を開ける。アルヴィン様だ。
私は慌てて扉の隙間から外を覗き込んだ。
「貴様……アルヴィンか! なぜお前がここにいる!」
金髪の男がアルヴィン様を睨みつけている。
アルヴィン様は眼鏡の奥の金色の瞳を冷たく細め、一歩も引かずに立っていた。
「それはこちらの台詞です。貴方のような身分の方が、護衛もつけずに単独でこのような場所をうろつくなど、危機管理の欠如も甚だしい。彼女の静かな生活を脅かすのであれば、直ちにお引き取りを」
「なっ、俺はただこいつが……!」
「お引き取りを」
アルヴィン様の静かだが絶対的な圧に押され、金髪の男は舌打ちをすると、悔しそうに踵を返して路地の奥へと消えていった。
「……あの、アルヴィン様」
私が恐る恐る扉を開けると、彼はふっと表情を和らげた。
「ご無事ですか、リゼット。騒がしい男がいたので、追い払っておきました」
「ありがとうございます。怪しい壺のセールスマンに絡まれて困っていたんです。アルヴィン様は本当に頼りになりますね」
胸の奥がきゅっと鳴った。
これまでの人生で、誰かが私をかばって矢面に立ってくれたことなど一度もなかった。
彼の広い背中が、ひどく頼もしく、眩しく見えた。
だが、ときめいたのも束の間。
「セールスマン……ええ、そうですね」
と苦笑したアルヴィン様の体が、直後にグラリと大きく傾いた。
「アルヴィン様!?」
私は慌てて彼の体を支えた。
彼の顔色は、数日前に出会った時よりもさらに酷い蒼白になっていた。
額には冷たい汗が浮かび、呼吸が荒い。
「申し訳ない……少し、無理をしました」
彼はそのまま私の肩に寄りかかり、意識を手放しそうになっていた。
先ほどの頼もしさから一転、限界を超えてすり減っている彼の姿に、私の心臓が痛いほど締め付けられた。




