第3話 お疲れの青年貴族様に「サボり方」をコンサルティングします
数時間後。
アルヴィン様は路地の外に停めてあった馬車から、革張りの分厚い鞄を三つも抱えて戻ってきた。
ドン、と私のボロ家の机に置かれたのは、見上げるほどの書類の山だった。
「これが現在、私が抱えている決済待ちの書類の一部です」
彼は生真面目な顔でそう言った。
一部でこれとは。
私は絶句しながら、一番上の羊皮紙を手に取った。
王宮の修繕計画、騎士団の馬の飼料の発注、他国からの手紙への返礼。
かつて私が、エドワード殿下の裏方として処理していたものと似たような内容だった。
「アルヴィン様。この手紙の返礼は、なぜご自身で書かれているのですか?」
「相手は隣国の伯爵です。礼儀として、私の手書きでなければ失礼にあたるかと」
「では、この馬の飼料の銘柄決定は?」
「馬の健康は騎士団の要です。私が全ての栄養素を比較検討し、最善のものを選ぶべきだと」
彼は一つ一つ、真剣に答える。
その青白い顔と目の下のクマを見て、私は完全に理解した。
彼は真面目すぎるのだ。
すべての仕事を「100点」でこなそうとして、キャパシティを超えている。
昨日までの私と同じだ。
「アルヴィン様。私のコンサルティングは、真面目な解決策ではありませんよ?」
「構いません。貴女の独自の視点を求めているのです」
彼のすがるような金色の瞳に見つめられ、私は小さく息を吐いた。
そして、書類の山を大胆に三つに分け始めた。
「まず、この手紙の返礼。定型文で十分です。部下に代筆させて、最後にサインだけしてください」
「なっ……! しかし、それでは誠意が……!」
「誠意より、あなたが過労で倒れないことのほうが重要です。倒れたら返事すら出せなくなりますよ」
彼は目を見開き、ぐっと言葉に詰まった。
私は容赦なく次の書類の束を指差す。
「馬の飼料の検討。これも破棄です。現場の厩舎番が一番詳しいのですから、予算だけ渡して彼らに丸投げしてください。そして最も重要なのはこれです」
私は彼が今夜やろうとしていたであろう、分厚い会議資料を取り上げた。
「これは明日に回します。今夜は温かいミルクを飲んで、適当に眠るべきです」
アルヴィン様は呆然として立ち尽くしていた。
「それは……つまり、仕事から逃げろと?」
「いいえ。上手にサボれと言っているのです」
私は彼を真っ直ぐに見上げた。
「アルヴィン様が全部を完璧にやろうとするから、部下の人たちは育ちませんし、あなた自身もすり減るのです。少し手を抜いたくらいで、世界は滅びませんよ」
静寂が下りた。
私が言いすぎただろうかと不安になったとき、彼はふっと息を吐き出した。
そして、ひどく重たかったであろう肩を、ゆっくりと下げたのだ。
「……不思議ですね。貴女にそう言われると、本当に休んでもいいような気がしてくる」
彼はこめかみに手を当て、和らいだ表情を見せた。
「長年私を苦しめていた頭痛が、今、嘘のように引いていくのを感じます。貴女の教えに従い、今日はもう帰って休むことにします」
彼は鞄を一つだけ持ち、深く頭を下げて帰っていった。
私はホッと胸を撫で下ろし、「私の適当な意見でも役に立つんだ」と、小さな喜びを噛み締めた。
その夜。
冷たい風が吹く窓辺に、また黒い影が現れた。
「あ、ノワール」
今朝逃げていったはずの黒猫が、再び窓枠に座っていた。
私が手を伸ばすと、黒猫はすり寄ってきて、私の膝の上に丸くなった。
「飼い主のアルヴィン様は、ちゃんと眠れたでしょうかね」
私が黒猫の背中をゆっくりと撫でると、ゴロゴロという深い喉の音が響く。
その毛並みが、朝よりも少しだけ艶やかになっている気がした。
柔らかい温もりに癒やされながら、私も穏やかな眠りについた。
翌朝。
のんびりとパンを齧っていると、また扉がノックされた。
扉を開けると、そこには見知らぬ青年騎士や文官たちが数人、困り果てた顔で立っていた。
「あのっ、アルヴィン様から伺いました! 上手にサボる方法を教えてくださる、素晴らしいコンサルタントがいると!」
「どうか、私のこの終わらない書類の山も見ていただけないでしょうか!」
私はパンを口にくわえたまま、ポカンと固まった。
どうやら、私の「頑張らないコンサルティング」は、思いのほか需要があったらしい。




