竜の村とロマンスグレーの村長
ここまで読んでくださってありがとうございます!
いよいよ目的地に到着……なのですが、ちょっと想像と違うかもしれません。
ゆるく楽しんでいただけたら嬉しいです。
竜の村に到着した。
…はずだった。
だが、どこを見渡しても「村」らしきものは存在しない。
ティーナは確かに「村に着きました」と告げた。
しかし、僕の目の前にそびえ立っているのは、なぜか見上げるほどの断崖絶壁だった。
よく見れば、岩肌の所々にぽっかりと穴が開いている。
……穴蔵式住居か?
これは村というより、鳥の巣ではないだろうか。
「まずは、村長のもとへご案内しますね」
ティーナはそう言うが早いか、おもむろに目の前にある断崖絶壁にロッククライミングを始めた。高さにして十階建てのビル以上は優にある。マジでこれ登るの?
村長の家は、お約束通り一番上に位置していた。
確かに、垂直に切り立った崖の上なら魔物すら寄せ付けないだろう。
だが、日常生活には不便過ぎるだろうが!
いくら身体能力が底上げされているとはいえ、ロッククライミングなど未経験だ。
案の定、途中で手を滑らせた。
一度目——落下。
二度目——落下。
三度目——やっぱり落下。
「リューイ殿。ティーナから話は聞いておりますよ」
現れた村長を見て、少し驚いた。杖をついた長い髭の老人を想像していたのだが、実際はロマンスグレーの渋いナイスミドルだった。
名をリプトンというらしい。某有名紅茶ブランドではない。
僕が三回も崖から落ちている間に、ティーナがこれまでの事情をすべて伝えてくれていたようだ。
そりゃあ三回も落下していれば、出会いから今までの顛末を語ってもお釣りが来るほどの時間があっただろう。
ティーナがお茶を運んできて、僕たちの前に差し出した。事情説明だけでなく、お茶の準備まで手際が良い。
「改めてご挨拶いたします。僕はリューイ。異世界の、日本という国から来ました。目的はこの村への滞在と、以前ここにいたという『迷い人』についてお話を伺うことです」
僕がそう告げると、村長は静かに頷いた。
「滞在の件は構いません。ティーナの家でよろしいかな? 迷い人については、ティーナに案内させましょう。正直に申し上げると、彼女以外は詳しいことを知らないのです」
村長はお茶を一口すすった。
「分かりました。迷い人の件は彼女に詳しく聞くことにします」
僕も促されるままにお茶を飲んだ。
さすがに紅茶の味はせず、ヨモギ茶のような素朴な風味がした。どこか懐かしい。昔、祖母が淹れてくれた味に似ている。
あの頃と同じ味だった。
……もう二度と飲めないと思っていた味だ
その後も村長といくつか言葉を交わした。
彼の人柄に触れ、竜人族は気のいい種族だというティーナの言葉にも素直に頷くことができた。
「ところで、できればでよろしいのですが……あなた様が作られる『料理』とやらを、我々にも試す機会をいただけないでしょうか?」
料理。最近、その言葉がトラウマになりつつある。
僕は竜人族が信じられない。
僕という個人に関心があるのか、それとも料理への純粋な食欲なのか。
まあ、聞くまでもない。間違いなく後者だ。
「分かりました。出来る限りのことはしましょう。ただし、食材はそちらで手配していただけますか?」
僕の返答に、村長は満面の笑みを浮かべた。
「ええ、食材やその他必要なものは当然こちらでご用意いたします。今日はもう遅いので、ゆっくりとお休みください。明日、太陽が真上にくる頃には食材の手配も整うでしょう。決して急かせはしませんので、リューイ殿の思うがままになさってください」
めっちゃ急かしてるじゃないか!
まあいい、まずは休んでから考えよう。
「では、本日はこれで失礼します」
僕は村長に挨拶を済ませ、ティーナの家へと向かった。
……待て。
これ、帰りも登るのか?
ティーナの家は、崖に穿たれた立派な穴蔵だった。
中は想像以上に広かった。天井も高く、中央には囲炉裏。
奥にいくつかの扉が並び、全体は巨大なカマクラのような造りだ。
台所らしき一角には、干し肉や野菜がぶら下がっている。
驚くべきことに、家具らしきものはすべて石造りだった。
囲炉裏も、その周りに配置された椅子も、すべて石でできている。
「トイレはどこ?」
僕が尋ねると、ティーナは不思議そうに首をひねった。
どうやら「トイレ」という言葉の意味が伝わらなかったらしい。文化の違いというやつだ。
排泄物の処理をどうしているのかと聞き直すと、外に流れている小川で用を足すのだという。
飲料水も同じ小川から得ているため、さすがに場所は厳密に決められているらしい。
それにしても、用を足すたびにわざわざ崖を降りるのだろうか。想像しただけでめまいがしてきた。
……いや、毎回命懸けじゃん!
ティーナに勧められるまま椅子に腰を下ろすと、石製ゆえにひんやりと冷たい。ティーナは囲炉裏に枯れ木をくべ、魔法で火を灯した。立ち上る煙は天井へと吸い込まれ、そのまま消えていった。
ティーナも席につき、ぽつりぽつりと語り始めた。
「半年ほど前まで、ここは私と迷い人のおじいちゃんとで暮らしていました。おじいちゃんは、私をとても可愛がってくれたんです。言葉は片言でしたが、村の人たちとも仲良くしていました」
おじいさんはよく旅に出かけていたという。
しかし一年ほど前、竜人族の故郷へと旅立ち、帰ってきてから急に弱り始めてしまったらしい。
「それでも、亡くなる間際まで、何かに取り憑かれたように研究を続けていました。そんなおじいちゃんも半年前に亡くなり……この部屋で誰かと一緒に過ごすのは久しぶりです」
ティーナは、どこか儚げに微笑んだ。
「おじいさんは何を研究していたんだい?」
「はい。石の箱の中で、植物の種を腐らせていました。それが、竜人族の未来を救うと言って……」
その言葉に、その言葉で、確信した。
思い当たる節が大いにある。
「それ、見せてもらってもいいかな?」
「はい、こちらへどうぞ」
ティーナは奥にある三つの扉のうちの一つを開け、僕を中へと招き入れた。
彼女が手に魔法で光を灯し(後で魔法についても詳しく聞かなければ!)、部屋の片隅にある石の箱を指差す。
僕はゆっくりと近づき、石の箱に手をかけた。
ほんの少し躊躇ってから、蓋を開ける。
……間違いない。
この色、この匂い……、味噌だ
「それについて、詳しいことは聞かされていません。おじいちゃんは『詳細は手記に残した』と言い残して亡くなりました。たまに混ぜるようにと言われていたので、言われた通りにしてはいたのですが」
手記の在り処を尋ねると、ティーナは石の机に置かれた紙の束を差し出してくれた。
僕はそれを受け取り、囲炉裏のそばに戻って手記を広げた。
そこには、異世界での「味噌造り」への挑戦と苦悩、そして決して諦めなかった一人の男の熱き戦いと執念の記録が綴られていた。
〜おじいさんの手記より〜
彼は、世界を変えるために味噌造りに取り組んだ。
大豆の代用品は、迷いの森に自生しており比較的簡単に手に入った。塩もある。
しかし、発酵に不可欠な「麹菌」が存在しなかったのだ。
麹菌を作るには米などの穀物が必要になる。
彼は転生前、某有名大学の教授を務める言語学者であったが、実家が酒蔵を営んでいたため、味噌造りの知識を豊富に持ち合わせていた。
足りないのはただ一つ、麹菌を繁殖させるのに適した穀物だけだった。
彼は旅に出た。
まずは迷い人の町へと向かったが、そこに日本人の姿はなかった。
西洋料理の文化は存在したものの、彼の求めるものは見つからない。
「いや、まずそっち食えよ!」
僕は思わず手記にツッコミを入れていた。
その後、彼は亜人の町へも足を運んだが、食文化は竜人族のそれと大差なかった。
魔人族の町へも赴いたが、やはり目的のものは見当たらない。
彼はあらゆる種族の食文化を調べ尽くし、可能性のありそうなもので実験も繰り返したが、どれからも麹菌は生まれなかった。
見落としはないか?
まだ試していない場所はないか?
自分の推論に誤りはないか?
自問自答の末、彼はある事実に思い至る。そう、まだ「竜人族の失われた故郷」には足を踏み入れていないのだ。
思い立つや否や、彼は旅立った。
竜人族の里へ至る道のりは過酷を極めたが、ついに故郷の地にたどり着いた彼は驚愕することになる。
そこには、黄金の稲が、地平線まで広がっていた。
彼は稲を手に取り、籾を調べた。
形は米にそっくりだが、地球の米の十倍以上の大きさがある。これで本当に麹菌は生まれるのだろうか。
試しにその「米モドキ」を食べてみると、食感も味もまさしく地球の米そのものだった。
彼はこの米モドキをベースに、麹菌の発酵準備に取り掛かる。
村から竜人族の故郷までは、片道一ヶ月の過酷な道のりだ。
帰りも同じだけの時間がかかると踏み、彼は持てる限りの稲を抱えて村への帰路についた。
道中、森の中に奇妙な遺跡を見つけたが、今は麹菌の持ち帰りが最優先だと、彼は目もくれなかった。
村へ戻る頃――ついに、麹菌が生まれていた。
それからというもの、彼は一心不乱に味噌造りに没頭した。
しかし、長きにわたる過酷な探索の旅は、確実に彼の体を蝕んでいたのである。
手記の最後は、こう締めくくられていた。
『私は味噌の完成を見ることはないだろう。どうかこの手記を見た者よ、味噌の完成を見届けてほしい。もし未完成であれば、私の研究を引き継いで完成させてくれ。味噌は世界を変える。
……、後を頼む!』
……なぜそれを日本語で書いたんだ。
僕がここに来て読まなかったら、誰にも気づかれずに放置されていたぞ。
言語学者ともあろう人が、なぜその矛盾に気づかないのか。
故人にツッコミを入れても仕方がないが、この「米モドキ」の情報は計り知れない価値がある。
最近は肉とパンばかりだったから、無性に米が食べたかったのだ。
「おじいさんは、とんでもない偉業を残してくれたね。明日の料理には、このおじいさんの遺産を使わせてもらおう。……いや、まずは出来栄えを試したい。これを使って、僕らの夕食にしようか」
「はいっ!」
ティーナは、花が咲いたような眩しすぎる笑顔を向けた。
もはや、彼女の愛情が僕よりも料理に向いているのではないかという嫉妬は捨てよう。
この笑顔を引き出せる「料理様」に、僕が敵うわけがないのだから。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
ようやく村にたどり着きましたが、なかなか一筋縄ではいかない場所でした。
そして次は、いよいよあの流れになりそうです。
よければ続きも読んでいただけると嬉しいです!




