黄金の稲穂と竜の里の拠点作り
「うっ……」
小さく呻き声を漏らし、僕はゆっくりと目を覚ました。視界の先には、僕を心配そうに覗き込むティーナの顔があった。
「お目覚めですか?」
ティーナが優しく微笑みかけてくる。窓の外を見ると、すでに日は傾きかけていた。どれくらいの時間、眠りこけていたのだろうか。
「ごめんね、ティーナ. 少し疲れていたのかもしれない」
まさか「四日間の徹夜が祟りました」などと本当のことは言えない。ましてや、その徹夜の動機が君の無防備な寝顔のせいだなんて、口が裂けても言えるはずがなかった。
身を起こし、周囲を見渡した僕は、その光景に愕然として言葉を失った。
「今日はもう早く休みましょう。まだお疲れが取れていないでしょうから」
僕の硬直を不調と勘違いしたのか、ティーナが気遣うように声をかけてくれる。しかし、違うのだ。僕の疲労など、目の前に広がる光景によって完全に吹き飛んでいた。
「ティーナ、見てごらんよ。一面の稲畑だ!」
視界の果てまで広がる、見渡す限りの稲畑。一つの稲穂が僕の身長ほどもある巨大なサイズだ。地球の米の十倍という言葉にも深く頷ける。
ようやくたどり着いたのだ。巨大なGの群れに追われ、ヒュドラと死闘を演じ、迷路ダンジョンを彷徨い歩き、ティーナの無自覚な誘惑に耐え忍んで……ようやく、この地にたどり着いたのだ!(大事なことなので、心の中で二度復唱した)。
『いわゆるジャポニカ米の変異種と推測されます。実自体は安全ですが、自衛のため、茎と根には微量の毒が含まれています。茎と根さえ残っていれば、何度でも実を結ぶ特性を持っています』
脳内でナビさんが冷静に解説を入れてくれる。
なるほど。鳥に啄ばまれる程度なら種子を遠くへ運んでもらえるが、魔物に根こそぎ食い尽くされるのを防ぐために毒を持つように進化したのだろう。地球でも似たような植物の話は聞いたことがある。それにしても、茎と根さえあれば再生産可能とは、なんとも都合の良い――いや、都合がいいなんてレベルじゃない。これは“主食確定”だ。
ティーナと手分けして稲穂から実をもぎ取っていく。
夢中になって気づけば、かなりの量を確保していた。
稲畑から少し離れた平坦な場所を選び、テントを張る。もはやテントの中だろうと外だろうと、僕の煩悩に対する危険度は変わらないという真理を悟っていた。
続いて、待ちに待った脱穀作業である。一つのサイズがアーモンドほどもあるそれを、僕は二枚の板に挟んでグリグリと擦り合わせた。殻は少し硬いが、パチンと二つに割れて、中から真っ白な「お米モドキ」が顔を出す。その地道な作業を繰り返し、今夜と明日の朝食分を確保した。
「さて、食事にしよう。今日は雑炊だ!」
僕が目を覚ますのが遅かったせいで、作業を終えた頃にはすっかり日が暮れていたのだ。米を炊くための火加減を研究している時間はない。愛しの「白米様」は明日のお楽しみにとっておくことにした。
スープにお米モドキを浸し、火にかける。乾燥工程を経ていないため、すぐに調理が可能だ. そこへ根菜と一口大に切った肉を投入する。今日は素材本来の味を堪能すべく、味付けはシンプルに塩のみとした。
「美味しいです! 塩味の中にほんのりとした甘さがありますし、お米モドキも柔らかくて絶品です!」
ティーナも大絶賛である。
僕も一口含んでみる。具材と同じくらいのサイズに切り分けられているため、お椀の中では雑炊というよりスープ煮のようだが……味は間違いなくお米だ。食感も申し分ない。お米モドキは水分を吸って一・二倍ほどに膨張していた。これで水加減の目安もついた。明日が俄然楽しみになってきた。
食後の片付けを済ませ、テントに入る。「習うより慣れろ」の精神で、悶々とする気持ちをなだめつつ、僕はゆっくりと身体を休めた。
翌朝。ティーナが川へ水浴びに向かっている間、僕は朝食の準備に取り掛かる。四次元ポーチから圧力鍋、普通の鍋、そしてフライパンを取り出す。
圧力鍋にお米モドキと少なめの水をセットして火にかける。普通の鍋では味噌汁を仕込み、フライパンでは川で捕った魚を焼く。
今日は特別な日だ. 食事のシチュエーションにもこだわり、テーブルセットを取り出した。ティーナにはスプーンとフォークを、僕の席には箸を並べる(ティーナは何度か箸に挑戦したものの、習得には至らなかったのだ)。
水浴びを終えたティーナが戻ってきた。濡れ髪が朝日に透けて、今日もひときわ綺麗で可愛い。……そんな彼女から目を逸らす僕は、相変わらずのチキンである。
テーブルに味噌汁と焼き魚を配膳し、僕は圧力鍋の前に立つ。すでに圧力を抜くためのピーという音は鳴り終え、蒸らしの工程に入っていた。緊張しながら蓋を開け、中を確認する。
ツヤツヤと輝く一粒をつまみ上げ、口へと放り込む。
――蒼天に向かって、僕は声なきガッツポーズをキメた。我が人生に、一片の悔いなし!
勝った。
この世界に来て、初めて心の底からそう思えた。
圧力鍋ごとテーブルへ運び、お椀にたっぷりとよそう。
「いただきます」と手を合わせ、白米を口に運ぶ。……なぜだろう、視界が滲み、涙が止まらなかった。
雑炊とは違うのだよ、白米はっ!
「これは本当に美味しいですね。昨日の雑炊とはまた違い、お米の甘みが際立っています」
ティーナも目を丸くして絶賛している。そうだろう、そうだろうとも。僕はただ、これに出会うためだけにこの過酷な地へやって来たのだ!
感動的な朝食を終えた後も、お米モドキが尽きない限り、この至福は続くのである。
食後の片付けを終え、ティーナとヨモギ茶モドキをすすりながら、今後の作戦会議を開く。
「これからの予定だけど、やるべきことが三つある」
第一に、お米モドキの収穫。これは最優先事項だ。根こそぎ刈り取っても再び生えてくるというのだから、遠慮なく収穫させてもらう。
第二に、竜の里の調査。先に里へ入り、拠点となる場所を確保する。そして、あそこに居座るであろうヤツを駆逐する!
第三に、ここへ来る途中の森で見かけた遺跡の調査だ。おじいさんの手記にも記載があった場所である。
(ちなみに、迷宮ダンジョンの調査は帰路に検討することにした。行きで痛い目に遭っているので、綿密な対策を練ってから挑みたい)。
ただし、僕はティーナに対して「②里の調査」→「③遺跡の調査」→「①収穫」の順で説明した。愛する人の前では、少しでも良い格好をしたいのである。
「まずは竜の里に調査用(本音:収穫作業用)の拠点を構築したいと思う。ティーナはどうかな?」
「はい、私もそれが良いと思います」
ティーナの賛同を得て、僕らは荷物をまとめ、竜の里へと足を踏み出した。
二時間ほど歩き、約六キロの道のりを経て竜の里に到着した。里の周囲は堅牢な石壁で覆われている。ところどころ崩落している箇所はあるものの、修復すれば十分に防壁として機能しそうだ。
崩れた壁の隙間から内部へと侵入する。規則正しく並ぶ石造りの建物たち。中を覗き込んでも、カビの臭いひとつしない。どれだけの永き時が流れたのだろうか。
僕らは里の中央にそびえ立つ、ひときわ巨大な建物――城と呼ぶべき威容を誇る建造物へと足を踏み入れた。
内部には埃すら積もっていない。吹き抜ける風がすべてを運び去っていくのだろう。周囲を見渡しても、ただ冷たい石壁が続くばかりだ。長い年月による風化か、それとも略奪の痕跡か……おそらく、その両方だろう。
エントランスから伸びる半円状の階段を上る。さらにその先、中央の広い階段を上り詰めると、広大な広間に出た。最奥の中央には、かつての栄華を偲ばせる玉座が静かに鎮座している。辺りは、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
『おかえりなさい……』
不意に、僕の耳元で囁くような声が響いた。僕に向けられたものか、それともティーナに向けられたものか。
「ティーナ、今、何か聞こえたかい?」
「はい。誰かが囁くように、『おかえりなさい』と……」
ティーナにも聞こえていたらしい。しかし、広間には誰の姿もない。事前にナビさんにも確認したが、半径三百メートル以内に生物の反応は一切ないとのことだった。
気味が悪くなり、僕らは早々に城を後にした。
「なんだったのでしょうか、あの声は」
ティーナが不思議そうに小首を傾げる。実のところ、僕には少しだけ心当たりがあった。人は死すれば、魂となって還る場所があるのだから。
「さてね。でも、『おかえりなさい』と歓迎してくれているのだから、悪いものではないはずだよ」
僕がそう答えると、ティーナは安心したように「そうですね!」と明るい笑顔を見せてくれた。
気を取り直して、拠点作りを開始する。先ほどの城は当然のごとく却下だ! 昼間ならまだしも、夜中にあんな声が聞こえてきたら確実にチビってしまう。
城からできるだけ離れた場所で、最も原形を留めている平屋の建物をベース拠点に定めた。リビングと二つの個室、調理場、そして何より素晴らしいことに「お風呂場」が備わっていたのだ!
まずは居住環境の整備だ。残されているのは石造りの構造物のみ。すべてを水洗いして乾燥させる。壁や床の穴はティーナの土魔法で瞬く間に修復され、リビングや個室は彼女の火魔法でカラリと乾かされた。
そこへ、四次元ポーチに収納してあった家具を配置していく。実は竜の村を出る際、ティーナの家の家具を一式持ち出していたのだ。「留守の家には入らない」という竜人族の厳格なルールの恩恵で、誰に気兼ねすることもなく回収できた。四次元ポーチは、指定した無機物を一メートル以内の距離で自在に出し入れできるという、極めて優秀なチートアイテムである。
一つだけ、この家に元々残されていた石のソファがあった。綺麗に磨き上げ、魔物の毛皮を敷き詰めると、殺風景だった部屋に温かみが生まれた。
そして、いよいよメインイベントのお風呂である!
仕組みは至ってシンプル。箱型の浴槽に水を張り、外にある焚き口で火を焚く。熱された石が湯を沸かす構造だ。「絶対にこの家ごと持ち帰ってやる」と、僕は固く心に誓った。
親の仇かと思うほど念入りに風呂釜を磨き上げ、ペットボトルの水を注ぎ込む(いくら使っても無くならないので非常に便利だ)。石鹸、シャンプー、リンスもポーチから取り出して並べる。これらも無くなれば勝手に補充される旅行用サイズだ。
焚き口に火を入れ、準備は完了した。
「フッフッフ、準備完了だ。あとは沸くのを待つだけ」
お湯が沸くまでの間、僕は次なる戦場――厨房へと向かう。
本日のメニューは、風呂上がりにさっぱりと頂ける「冷しゃぶ」だ。作り方は簡単。薄切りにしたヒュドラ肉をサッと茹で、味噌とゴマモドキをすり合わせた特製ダレをかけるだけ. 付け合わせの野菜にも同じタレを回しかけ、あとは炊きたての白米と味噌汁を添えれば完璧だ。
調理を終える頃には、ちょうど良い具合に湯が沸いていた。
「あちっ!」
少し温度が高かったため、水で埋めて適温に調整する。
一応、礼儀としてティーナに声をかけた。
「一番風呂はリューイ様が入るべきです! 私がお背中をお流しします。お世話するのは当然ですから」
期待通りの、一番風呂の譲渡。しかし、背中を流してもらう提案は丁重に、かつ全力でお断りした。入浴こそは、何人たりとも侵してはならない聖域であり、僕が人間としての尊厳を取り戻すための儀式なのだ。……それに、何より僕の理性がもたない。
服を脱ぎ捨て、いざ戦場(風呂場)へ。
戦場の習いとして、まずはしっかりと掛け湯をする. 日焼けした肌と、久々の熱い湯が少し沁みるが、それがまた心地良い。湯船に浸かる前に全身を丹念に洗い清める。この後、ティーナも入るのだから当然の配慮だ。
汚れを落とし切り、ついに湯船へと身を沈める。
「ふぅ〜っ……」
全身の筋肉が弛緩し、深いため息が漏れる。湯船に浸かるなんて、大地震の前日以来だろうか。
本当に色々なことがあった。過酷な運命を呪いたくなる時もあった。けれど、今こうしてティーナが傍にいてくれる。僕は彼女を助けたつもりでいたが、実は僕自身が彼女の存在に救われているのだと、湯気の中でしんみりと実感していた。
――ガラッ。
不意に浴室の扉が開け放たれた。
嫌な予感…
「やっぱり、私がお背中をお流ししますね!」
振り返った僕の視界に飛び込んできたのは、一糸纏わぬ全裸のティーナさんであった。
(終わった)
四徹の疲労から回復したとはいえ、思春期の男子高校生にこの刺激はあまりにも許容量を超えていた。
僕の鼻から大量の鮮血が噴き出し、ティーナの足元を赤く染め上げる。
そして僕は、この数日で何度目になるか分からない「深い意識の底」へと、再び沈んでいったのだった……。




