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月夜の誓いと、真実の神殿

 再び目を覚ますと、そこはすっかり見慣れた光景だった。すなわち、僕が毛布にくるまり、ティーナの膝枕の上で彼女に心配そうに覗き込まれているという状況である。「リューイ様、大丈夫ですか?」泣き出しそうな顔で、ティーナが不安げに尋ねてくる。


 「ああ、大丈夫だよ」と僕は努めて優しく微笑み返した。ティーナに他意がないことは重々承知している。竜人族は親愛と尊敬の証として、水浴びの際に相手の背中を流す風習があると、かつて村長から聞いていたからだ。僕はそれほどまでに彼女から慕われているという証左に他ならない。


 上体を起こし、僕は彼女に提案した。「僕はもう少しだけ休ませてもらうから、その間にティーナもお風呂に入っておいで。本当に大丈夫だから、お風呂から上がったら一緒に食事にしよう」

 ティーナは最後まで名残惜しそうにしていたが、僕が重ねて無事を請け負うと、ようやく浴室へと向かっていった。


 正直なところ、今の僕にとって彼女のそばにいること自体が極めて危険だったのだ。何しろ、バスタオル一枚のティーナに膝枕をされているうえに、毛布の下の僕自身も一糸纏わぬ全裸である。このままでは己の理性がどのような暴走を引き起こすか分かったものではない。まずは何より、高ぶる精神を鎮める必要があった。


 衣服を身に着け、僕は夕食の支度を整えた。やがて二人で食卓を囲んだものの、間に流れる空気はどこかぎこちない。そそくさと食事を終え、僕らはそれぞれの自室へと引き下がった。

 「……さっきは本当に危なかった」

 辛うじて理性の堤防は死守したものの、ティーナという女性の存在を強烈に再認識させられた僕は、彼女をたまらなく愛おしく感じていた。


 しかし、彼女は誇り高き竜人族であり、彼らには厳格な掟が存在すると聞いている。マスケスの一件は彼の一方的な横恋慕ゆえに不問とされたと村長は言っていたが、僕の場合は事情が異なる。彼女は僕に「命を救われた」という強烈な恩義を感じてしまっているのだ。ティーナには彼女自身の歩むべき人生がある。異邦人であり他種族である僕こそが、自らを厳しく律しなければならない。そう固く心に誓いながら、僕は微睡みの中へと落ちていった。




 「リューイ様、起きていらっしゃいますか?」

 部屋の入り口から、顔面を蒼白に染めたティーナがそっと顔を覗かせた。

 「どうしたんだい、こんな夜更けに……」

 僕が問いかけると、彼女はひどく言い淀みながら口を開いた。

 「今日だけで構いません。この部屋の片隅で、リューイ様と一緒に休ませていただけないでしょうか?」


 普段は控えめな彼女がこのような我が儘(我が儘と呼べるほどのものでもないが)を口にするとは、よほどの事情があるに違いない。僕はすぐさま了承した。

 「もちろんだよ。僕が床で寝るから、ティーナはこのベッドを使いなよ」

 そう言って僕がベッドから身を起こすと、彼女は「……やはり結構です、申し訳ありませんでした」と踵を返し、足早に立ち去ろうとする。僕は反射的にその腕を強く掴み止めた。


 「深い理由があるんだよね。僕に話してはくれないか?」

 優しく語りかけ、ティーナをベッドに腰掛けさせると、僕もその隣に並んで座った。少し呼吸を整え、ティーナはぽつりぽつりと事の次第を語り始めた。


 「自室に戻って休もうとしたところ、不意に声が聞こえてきたのです。それは私に危害を加えるでも、何かを恨み呪うでもなく……」


「……最初は、一つだけだったんです」


ティーナの声が震える。


「“助けて”と……誰かの声が」


ごくり、と彼女が息を呑む。


「でも、それが……一つ、また一つと増えて……」


ぎゅっと、服の裾を握りしめる。


「気づいた時には、頭の中が……声でいっぱいで……」


――痛い

――苦しい

――助けて


「……もう、何が自分の声なのか、分からなくなって……」


「どうすれば救えるのかと問いかけても、彼らはただ苦悶し続けるばかりで……。

同胞の魂がこれほどまでに苦しんでいるというのに、私には救うすべがありませんでした。

その辛さに耐えきれず、ついリューイ様のおそばに縋ってしまったのです。本当にごめんなさい……」


 懺悔するようにそう告げ、再び部屋を後にしようとするティーナを、僕は力強く引き寄せ、その細い身体をきつく抱きしめた。

 「リュー、イ、様……?」

 ティーナは心優しく、この世界の誰よりも僕を想い、そして懸命に守ろうとしてくれている。だが、彼女はまだ十五歳の少女なのだ。未知の恐怖や不安がないはずがないというのに、それでもすべてを投げ打って僕の旅について来てくれた。覚悟が足りなかったのは、他ならぬ僕の方だった。種族の違いがどうした、竜人族の掟がなんだというのだ。目の前で震えるこの少女の真っ直ぐな想いから目を背け、逃げていたのは僕なのだと、痛烈に悟った。


 「ティーナ、聞いてほしい。一人で不安な思いをさせて、本当にすまなかった。僕は、ティーナのことが好きだ。君を心から愛しているよ」

 僕はそう告げると、彼女の額にそっと唇を落とした。なぜだか、最初はどうしてもそうしなければならないような気がしたのだ。


 「ああ、リューイ様……」

 ティーナの瞳から、歓喜の涙が堰を切ったように溢れ出した。

 「私もです……ええ、私もリューイ様を深く愛しております。まさか、そのような温かいお言葉をいただける日が来るなんて……」


万感の想いを込めて、僕はティーナの顔に手を添えた。


近い。

吐息が触れるほどに近い距離。


……本当にいいのか?


一瞬だけ、迷いがよぎる。

だが――


「リューイ様……」


その震える声が、すべてを吹き飛ばした。


僕は、彼女の唇を塞いだ。


 彼女もまた、不器用ながらも確かにそれに応えてくれる。互いの熱を確かめ合うように強く抱きしめ合い、その夜、僕たちは静かに結ばれたのだった。




 翌朝、心地よいまどろみから目を覚ますと、隣ではティーナが穏やかな寝息を立てていた。二人は一糸纏わぬ姿で、寄り添うように抱き合っている。かつて理不尽な災害で家族を失った僕に、再び守るべき「家族」ができたのだ。今度こそ、僕が彼女を必ず守り抜く。その決意を胸に秘め、熟睡するティーナを起こさないようそっと部屋を抜け出した。

 外へ出ると、視界いっぱいに息を呑むほど美しい朝焼けが広がっていた。不意に気配を感じて振り返ると、シーツだけを身に纏ったティーナが佇んでいた。僕は歩み寄り、愛しい彼女を再びその腕に抱き寄せた。


 ――とはいえ、感傷に浸るのはそこまでだ。本日のメインイベントは「お米モドキの大収穫祭」である。心にかかっていた迷いが完全に晴れた僕とティーナは、まさに全身全霊、いつもの三倍にも匹敵する猛烈な勢いで黄金の稲穂を刈り取っていった。視界に収まる範囲の稲をあらかた収穫し終えると、流れるような手際で脱穀作業を済ませ、すべてを四次元ポーチへと格納した。


 「さて、ひとまずここでの拠点作業は完了だね」

 握りたてのおにぎりを頬張りながら、僕らは今後の段取りを話し合った。不思議なことに、あの夜を境にティーナを苦しめていた同胞の怨嗟の声は、ぴたりと聞こえなくなったという。(ちなみに、あの日以来僕らは毎晩一つのベッドで寄り添って眠っている)


 「では、次は遺跡の調査ですね」

 ティーナの言葉通り、言語学者のおじいさんの手記に記されていたあの遺跡である。この竜の里へ至る道中、鬱蒼とした森の奥にその姿を目撃していたが、里への到達を最優先としたために後回しにしていたのだ。「明日の朝には出発しよう」と方針を固め、僕らは一旦、竜の里の城へと帰還した。




 翌日、遺跡へ向かう前に僕らは再び城の広間を訪れた。静寂に包まれた玉座の前に立ち、「この地に眠る同胞の魂が、どうか安らぎを得られますように……」と静かに祈りを捧げる。

 すると、虚空から不意に声が響き渡った。

 「そなたらのこれからの旅路に、幸多からんことを祈ります……」


その声は、もう恐怖ではなかった。

どこか懐かしく、

優しく、

温かいものだった。


 その温かな祝福の言葉を背に受けながら、僕たちは竜の里を後にした。


 目的の遺跡は森の奥深くに位置している。その日のうちに樹海へと足を踏み入れ、迫り来る魔物や獲物を狩り(その大半はティーナが瞬殺したわけだが)ながら進軍した。道中で一泊の野営を挟み(もはやテントでの夜は恐怖ではなく、むしろ至福の時間である)、ついに僕らは遺跡へと到着した。

 それは遺跡と呼ぶよりも、荘厳な「大聖堂」と表現する方がしっくりくる威容を誇っていた。高さ三メートルを優に超える重厚な扉をスライドさせて開き(なぜ異世界なのに引き戸なのかは永遠の謎だ)、静かに堂内へと足を踏み入れる。


 「とても空気が澄んでいて、どこか神聖な気配を感じますね」

 ティーナの言葉に僕も深く同意した。周囲を見渡しても、竜の里のような荒廃や略奪の痕跡は一切見当たらない。最奥の中央には立派な祭壇が鎮座しており、高窓から差し込む陽光がそれを神秘的に照らし出していた。誘われるように祭壇へ近づいたその時だ。


空気が震えた。


音ではない。

それは“存在そのもの”が空間を圧し潰すような感覚だった。


足が、動かない。

呼吸すら、許されない。

…それほどの圧倒的な“何か”が、そこにいた。


 「――人と竜のつがいか. 誠に久しいな……」

 どこからともなく、直接脳髄に語りかけてくるような重厚な声が響いた。僕らは咄嗟に歩みを止め、周囲に視線を巡らせたが、やはり誰の姿も見えない。


 「幾ばくもの時を経て、我の存在はひどく希薄となってしまった。そなたらが我を認知できぬのも道理であろう。よかろう、姿を顕そうぞ」

 そう告げるや否や、祭壇の前にまばゆい光の粒子が集束し、徐々に巨大な輪郭を形成していく。それは、高い天井に届かんばかりの威容を誇る、巨大な竜の幻影であった。


 「我が名はヴァリアード。竜を司る神である。今は大半の力を失い、この希薄な姿を保つのが精一杯じゃな」

 彼の言葉通り、顕現した竜神様の巨体は半透明に透け、向こう側の景色が見えるほどだった。力を失ったとは、一体どのような事情があるのだろうか。


 「うむ、人の子よ。そなたの推察の通りじゃ。我はかつて、人の神が滅した折に長き眠りについた。再び人の神が顕現するまでには悠久の時を要するゆえにな。じゃが、そのまどろみの間に、何者かに力を奪い取られてしまったらしい」

 ――いや、僕はまだ一言も発しておらず、ただ脳内で疑問に思っただけなのだが!

 「うむ? 我は神であるぞ。そなたの思考や存在など、手に取るように網羅できるわ」

 さすがは神様、個人のプライバシーも脳内への情報漏洩も一切合切お構いなしである。


 「これならば話しやすかろう」

 そう言って幻影を収縮させた竜神様の姿は、なんと三歳児ほどの愛らしい男の子へと変貌していた。先ほどの荘厳な竜とのギャップがあまりにも激しすぎる。「ちと力が足りぬゆえ、この姿が精一杯じゃの。それよりもそなたら、神酒みきは持っておらぬか?」 今度は脳内ではなく、ごく普通の音声として耳に届いた。


 異次元ポーチから果実酒の入った壺を取り出して献上すると、竜神様は目を輝かせ、三歳児の愛らしい姿のまま壺に顔を突っ込んで豪快に酒を煽り始めた。「プハァッ! いつの時代ぶりか分からぬが、五臓六腑に染み渡るわい!」 見た目は無邪気な幼児、その言動は完全に酒好きのオヤジという極めてシュールな光景である。


 酒で喉を潤した竜神様から語られたのは、この世界の根幹を覆す衝撃的な真実だった。人の神を殺めたのは決して竜人族の毒などではなく、神を滅ぼせるのは神の力のみであること。すなわち、竜人族に科せられた「神殺し」の罪は全くの冤罪であったのだと…。何?


 「ティーナ、君たちは何も恥じることはない。これからは胸を張って、誇り高く生きていけるんだ」

 真実を知り、安堵と歓喜の涙を流すティーナに、僕は力強く語りかけた。竜神様はそんな僕らを見て満足そうに頷き、「ほう、面白いものを持っておるな。我も神酒の礼に、これを授けよう」と、僕の頭ほどの巨大な卵を取り出した。


 「それは神獣ファフニールのタマゴじゃ。こやつは我の眷属ゆえ、何かあれば頼るがよいぞ」

 そう告げると、竜神様は光の粒子となって虚空へと溶けるように消え去った。(ただ単に酒が尽きたから帰っただけなのでは、というツッコミは胸の奥にそっとしまっておいた)


 直後、ピキピキと音を立てて卵の殻が割れ、中から緑色の愛らしい小竜が空中回転を決めながら元気に飛び出してきた。その緑の身体に白いお腹、愛嬌のあるつぶらな瞳はどう見ても地球の某有名ゲームの「ヨッ○ー」に酷似しているが、背中の甲羅の代わりに小さな翼が生えていた。ティーナはこの新たな家族を「ヴァル」と名付け、愛おしそうに抱きしめたのだった。


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