第29話 教会撃退【物理と魔法と四天王】
「ひ、ひぃぃぃッ!? な、なぜ伝説の四天王が、このような場所に……!?」
聖光教会の枢機卿は、目の前に並び立つ災害級の怪物たちを見て、杖を取り落とした。
王国の騎士団ですら、四天王一体を相手にするのに国軍の総力を挙げる必要があるのだ。それが四体揃っている。もはや戦争ですらない。ただの虐殺確定演出だ。
『……おい、ハゲ頭』
エンシェントドラゴンが、巨大な鼻先を枢機卿の目の前まで突きつけた。
『アリア君はな、我の背中の鱗を磨くのが抜群に上手いのだ。その手を焼くと言ったか? あ?』
「は、ハゲ……ッ!? わ、私は枢機卿……」
「黙れ。私のトマト畑に聖騎士ごときが足を踏み入れるな。土壌のpH値が変わる」
地面から生えたデーモンロードが、無数の土の触手をうねらせる。
「アリア君は、私の野菜の成長記録を毎日つけてくれている有能な助手だ。連れて行けば、私の研究が遅れるだろうが」
『プルプル!(アリアちゃん、クッキーくれる! 優しい! いじめる奴は、溶かす!)』
スライムエンペラーが、青い粘液を飛ばし、聖騎士たちの剣をジュワジュワと腐食させていく。
「アリアちゃんは、私の恋バナを聞いてくれる大切な女子友ですわ! 彼女を傷つける野蛮な男たちは、私が夜ごとお漏らしする夢を見せてあげますわよ!」
サキュバスクイーンが妖しく目を光らせる。
彼らの怒りの理由は、実に個人的かつ生活感に溢れていた。だが、その殺気は本物だ。
「ど、どうしても引き渡さぬと言うなら……やるしかない! 聖騎士団、攻撃開始!」
枢機卿が裏返った声で命令を下す。
「神聖なる光よ、悪魔を焼き払え! 『セイクリッド・フレア』!」
聖騎士たちが必死の形相で魔法を放つ。
だが。
「……構文エラーだ」
デーモンロードが冷ややかに呟いた。
「術式の効率が悪すぎる。無駄な詠唱、非効率なマナ回路。……添削してやろう」
彼が指先を動かすと、聖騎士たちが放った炎が空中で逆流し、術者たちの足元で「ボフッ」と小さな黒煙を上げて消滅した。
「な、なにぃっ!? 魔法が……不発だと!?」
『次は我だ』
エンシェントドラゴンが大きく息を吸い込んだ。
『……くしゅんッ!!』
ただのクシャミ。
しかし、竜王のクシャミは局地的なハリケーンだった。
ゴォォォォォォォォォッ!!
「うわあああああああぁぁぁぁッ!?」
暴風が聖騎士たちを鎧ごと吹き飛ばす。数十人の男たちが木の葉のように舞い上がり、離宮の塀の外へと放り出されていく。
残ったのは、腰を抜かした枢機卿ただ一人。
「ば、馬鹿な……神の軍勢が、こうもあっさりと……」
枢機卿はガタガタと震えながら、懐から最後の切り札を取り出した。
「こ、こうなれば! この『聖遺物』を使うしかない! 神の雷を宿した伝説の杖よ、魔王に天罰を――」
彼が杖を掲げた、その瞬間。
ヒュンッ。
「……あ?」
杖の先端についていた宝石が、どこからともなく飛んできた「青い粘液」によって包み込まれた。
スライムエンペラーだ。
『ジュルリ……(これ、美味しそうな魔力)』
バキボリッ。
スライムは宝石を飴玉のように噛み砕き、飲み込んでしまった。
「あぁぁぁぁッ!? 国宝級の聖遺物がぁぁぁッ!?」
枢機卿が絶叫する。
そこへ、誠がゆっくりと歩み寄った。
「……もういいか?」
「ひっ、ひぃッ! く、来るな悪魔め! 神が……神が貴様を許さんぞ!」
誠は枢機卿を見下ろし、呆れたように言った。
「神様がいるなら、お前のそのハゲ頭も治してくれたんじゃないか?」
「ぐふっ……!?」
精神的クリティカルヒット。
「いいか、よく聞け。……俺は『魔王』だが、別に世界を滅ぼす気なんかない」
誠はアリアの方を振り返り、彼女の肩に手を置いた。
「だが、俺のテリトリー(日常)を荒らす奴と、俺の仲間を傷つける奴には容赦しない。……たとえ相手が神だろうが、な」
その言葉は、教会の権威よりも重く、竜の咆哮よりも鋭く響いた。
「ひ、ひぃぃぃ……! お、覚えておれぇぇぇッ!」
枢機卿は杖を捨て、脱兎のごとく逃げ出した。その後ろ姿は、聖職者の威厳など微塵もなかった。
***
嵐が去った後の離宮。
「……怪我はないか、アリア」
誠が声をかけると、アリアはその場に崩れ落ちるように膝をついた。
「……誠、様……」
彼女の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
恐怖ではない。
生まれて初めて味わう、安堵と、温かさによる涙だった。
「……皆様が……私ごときのために……」
「ごとき、ではない!」
地面からデーモンロードが顔を出し、アリアを見上げた。
「アリア君。君はこの離宮の管理官だ。君がいなければ、我々の快適なニート生活……いや、研究生活は成り立たんのだよ」
『うむ。茶を入れるのが上手い。それだけで生きる価値がある』
ドラゴンが鼻息を荒くして同意する。
「そうよ! 女子会メンバーが減ったら困りますもの!」
サキュバスがウィンクする。
かつて「忌み子」として誰からも必要とされなかった少女は今、世界最強の怪物たちに囲まれ、必要とされていた。
「……うっ、うぅ……っ!」
アリアは顔を覆って泣いた。
誠は、泣きじゃくるアリアの頭に、ポンと手を置いた。
「……ほら、泣くと脱水症状になるぞ。顔洗ってこい」
ぶっきらぼうな言葉。
だが、その手つきは優しかった。
アリアは涙に濡れた顔を上げ、満面の笑みで答えた。
「……はい! ただいま、美味しい紅茶をお淹れします!」
雨降って地固まる。
離宮の絆は、この一件で鋼のように強固なものとなった。
だが、教会の撤退は、王国内部における「魔王派」と「反魔王派」の対立を決定的なものにしようとしていた。
***
王城、宰相の執務室。
「……なんと。教会が撃退された、と?」
報告を受けた宰相は、胃薬を飲み込みながら天井を仰いだ。
「はい。しかも四天王が勢揃いしていたとの情報が……」
「……頭が痛い」
宰相はこめかみを揉んだ。
魔王黒峰誠。彼は武力で世界を制圧するのではなく、その圧倒的な「カリスマ(?)」と「餌付け」によって、四天王すら手懐けてしまったのだ。
「もはや、彼を敵に回すことは国家の自殺行為だ。……方針を変えるしかない」
宰相は決意の表情で、一枚の書類を取り出した。
「魔王との『不可侵条約』および『技術提携』。……特に、あの『スシ』と『物理魔法』の権利……これを何としても我が国に取り込むのだ」
国のトップたちは、魔王の討伐を諦め、魔王を利用する方向へと舵を切り始めていた。
だが、それを良しとしない者が一人。
暗い部屋で、復讐の炎を燃やす男がいた。
「……おのれ、魔王……。教会すら退けるか」
包帯だらけの王太子である。
「だが、まだだ……。私にはまだ、最後の手段がある……。異界の『勇者』ですら太刀打ちできない、この世界の『禁忌』が……」
王太子の手には、古びた黒い鍵が握られていた。
それは王城の地下深くに封印された、決して開けてはならない「パンドラの箱」の鍵だった。




