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イェルフと心臓  作者: チゲン
第三部 人間とイェルフ
54/61

15頁

 その日を境に、キローネは別人のように元気になった。ポロノシューいわく、どうやら無事に峠を越えたらしい。

 シュイの持ってきたイェルフ族の薬は、精力増強の効果も含まれていた。

 魔力を持たない人間にとって、かなりの劇薬だった。それをいきなり服用したものだから、体が拒否反応を起こしたのだ。

 しかし、それを乗り越えたことで、今度は薬が効果を発揮し始めた。

「じゃあ全部が全部、毒って訳じゃなかったのね」

 シュイは安堵する。

 もちろん、キローネには心から謝罪した。

 彼女は笑って許してくれた。

「いいのよ。だって、ずっと看病してくれてたんでしょ。ありがとう、シュイ」

「う……」

 面と向かって礼を言われると、照れ臭くて、まともにキローネの顔が見られない。

「ありがとう、おねえちゃん」

 ヤナンも、あの日から笑顔を見せてくれるようになった。

 ポロノシューは、あいかわらず無愛想だ。

「結果的にうまくいっただけだ」

「だから、反省してるって言ってんじゃない」

 シュイは頬を膨らませる。

 もっとも彼も、本気で彼女を責めるようなことは言ってこない。憎まれ口は……それくらい勘弁してやろう。

「彼って素直じゃないから」

 キローネはそう言って笑う。

 シュイは苦笑で返すしかない。

「鈍感すぎるのも、考えものね」

 この点だけは、ポロノシューに同情せざるを得なかった。

 狭い里のなかで生きてきたせいか、シュイはいまだに恋慕れんぼの情というものを知らなかった。どういう心理状態になるのか、見当もつかない。

 ポロノシューは、得意の鉄面皮てつめんぴでおくびにも出さないが。

「帰ってこない旦那のことなんか、忘れちゃえばいいのにね」

 あるとき、シュイはポロノシューに言った。

 さすがの彼も言葉を詰まらせた。

「都に出稼ぎに行ってから、もう一年以上経つんでしょ。帰ってくるつもりなんてないんじゃない?」

「あいつは、そんな半端な奴じゃない」

「そんなんじゃ、いつまで経ってもいい人が見つかんないわよ」

「大きなお世話だ」

 往診を終え、並んで帰る二人に、村人が手を振る。

 シュイも手を振り返す。

 キローネが急変した元凶が、シュイの持ってきた薬にあることは、村じゅうに知れ渡っている。

 そのことで反感を持っている者もいたが、彼女の献身的な姿に胸を打たれた者も多かった。特にあの晩集まった村人たちは、すっかり気を許してくれていた。

 風が気持ちいい。

 知らず笑みがこぼれていたらしい。ポロノシューが怪訝そうな顔を向けている。ごまかすように、景色を見るふりをした。

「イェルフというのは、もっとお高くとまっているものと思っていたが」

 ポロノシューがめているのかけなしているのか、判断のつきにくい口調で言った。

「悪いことをしたら、ちゃんと謝るわよ。子供じゃないんだから」

 するとポロノシューは、まじまじとシュイの顔を見つめる。

「なによ」

 知らず、頬が赤らんだ。

「いやに素直だな」

「と…特別よ。こんなのがお父様に知られたら、ただじゃ済まないんだから」

「判っている」

「じゃ…じゃあね」

 そろそろ里に帰らなければならない。

「シュイ」

 ポロノシューが呼び止める。

 シュイは振り返った。急いでいたせいもあって、ポロノシューが彼女の名をきちんと呼んだことに気付かなかった。

「また来るのか?」

「えっ、なに?」

「いや……ヤナンが、また会いたがっているんだ」

「はいはい。また来るって伝えといて」

 それだけ言うと、シュイは足早に駆けていった。

 ポロノシューがまだ何か言いたそうだったことには、気付かなかった。

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