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そのまましばし睨み合う。が、いつの間にか戻ってきたらしい戸惑い気味の時田さんの声に遮られた。
「あ、あの…。」
そして。
「お取り込み中、ですかな?」
冷静さの中に剣呑を秘めた男の声。見ると、40歳ぐらいの、スーツをピシッと着こなしたダンディな美丈夫。だが、笑顔のようで、頬がひくついている。だよな。この状況、どう見ても、ひくよな。
社長を昔から知っている人で、ほんとよかった。普段のつきあいがない人がこれ見て、これが普通だと思われたら、やばいよ。流石時田さん!
「河本副社長がおみえになりました。」
「時田、勝手に通すな。」
社長の鋭すぎる視線に、時田さんが「ヒッ」と悲鳴をもらす。あんた、ほんと、大福さん以外の人間に容赦ねえな。こんな美人を睨むなんて、ありえねえし。
「河本副社長でいらっしゃいますか。ご足労いただき、誠にありがとうございます。社長、ご出発のお時間ですので、お手を離していただけないでしょうか。」
俺は社長の両手をおさえていた手を離し、秘書モードに戻る。が、しかし、『旦那さん』は相変わらず馬鹿旦那発動中。俺の胸倉を離さねえ!
「勢田、何しに来た。」
俺の胸倉をつかんだまま、河本副社長をねめつける。何しに来たはないでしょ。あんた、時田さんの話聞いていたでしょうが!
「君のところの秘書の時田さんに呼ばれてね。例のAK0073のクレームの件で説明が必要とか。ところで、そちらの彼は?」
「私は第一秘書の安城と申します。」
「随分と仲がよさそうだね。痴話喧嘩かな?」
どこをどうしたら、そうなる!
うちの社長といい、上流階級になんか眼の病気が流行ってんのか?
ていうか、時田さん、俺をケダモノを見る眼で見ないで~!色々誤解ですから。その眼は社長、こと馬鹿旦那に向けてやって!!!
「お戯れを。ですが、助けていただけますと、大変ありがたいです。実は弊社の社長夫人が急に入院いたしまして。たいしたことでもないようなのですが、新婚なもので、弊社社長が少々取り乱しておりまして。」
もう知るか!どういう事情で結婚してることを隠してるかは知らないが、会社で馬鹿旦那モードを発動したのは、あんただ。俺があんたのプライベートを引っ被る義理はない!
「社長夫人?」
眉をひそめる河本副社長の憂い顔も、おそらくは女性社員から見たら魅力的なんだろうが、そんなことより、この事態をなんとかしてくれ。
「安城、余計なことを言うな。それより、さっさと病院の名前を吐け。」
俺の胸倉をつかむ手を、更に強める馬鹿旦那。
「あんた、『公私を分けろ』とかと言ってませんでした?今日の取引すっぽかして、会社、どうする気っすか!」
「妻の1人も守れない男に、会社が守れるか!」
「まじ、いい加減にしてくださいよ。たかだか盲腸じゃないっすか。大体、大福さん、今頃手術中で、今あんたが行ってもすること何もありませんから。」
「盲腸っていったらな!あそこの毛も剃られるんだぞ!起きた時に、そんな状況で俺がいなかったら心細いだろ!」
「はぁ!?馬鹿ですか、あんた。あの人、下着を干した部屋に平気で男友達あげる女っすよ?そのうちまた生えるもんだし、気にするわけないっしょ!」
俺も、さっきまでは商談前の社長の服を乱れさせるとまずいと、あまり反撃もせずにいたが、馬鹿旦那のネクタイを締め上げる。
「そうか、また生えてくるものなのか。」
あれ、少しホッとしたような顔。
あれ?あれ?
「あれ、そういえばそんな所添ったことないし。剃られたことないし。え、毛質も髪とは違うし。えーと、本当にまた生えてくるもん…??」
「盲腸で毛を剃って、元通りに生えてこなかったという話は聞いたことがないが、逆に問題なく生えてきたという話も聞いたこともない。」
「そういえばそうですよね。」
思わず2人で顔を合わせしばし見つめ合ってしまったが、見つめ合っても答えが出るもんでもない。その顔を2人同時に河本副社長を向けた。
「問題ない。生えてくる。」
呆れた顔の河本副社長がそう断言してくれた。あ、よかった。いや、よくないか。
「失礼いたしました、河本副社長。弊社の社長は奥方への深すぎる愛ゆえに少々とち狂っておりますが。なに、車に閉じ込めて、仕事が終わらなければ奥方のところに行けない状況に追い込んでさえしまえば、問題ございません。私1人の力では手に負えませんので、ご助力願えませんでしょうか。」
「君も結構とち狂っているようだが。まあ、承知した。」
河本副社長、部屋に入った時には呆気にとられた様子だったが、なんだか今はすっかり冷静になっている模様。すぐにこっちにやって来た。
そして。社長の耳に息を吹きかけた!
「ッ…!!?」
と、俺の胸倉をつかんでいた手が緩んだので、すかさず突き飛ばして身を離す。
そこを、河本福社長が社長の両腕を後ろからむんずとつかむ。
「少々お話し合いが必要ですね、相川社長。時田君と安城君、席を外してくれるかな?10分程は時間の余裕があるだろう。」
「俺はない!」
が、もちろん無視。
「かしこまりました。さあ、時田さん。」
呆気にとられている時田さんをうながし、とっとと退室。
10分後。
「おい、行くぞ。」
河本副社長をいまいましそうに睨んではいるが、社長は通常稼動。それを涼しい顔で受け流す河本副社長。
すっげえ、河本副社長。どんな魔法を使ったんだ?尊敬っす。
てか、河本副社長を呼んでくれた時田さん、グッジョブ!他の誰も無理だったわ。
一見通常稼動のように見受けられた社長だったが、商談は猛スピードだった。
結局は時田さんも同行した。社長がああいう状況だから、何があるか分からないだろ?なんかあった場合に備えて、もう1人誰かいた方がいいだろうと、俺は思ったわけさ。さっきも河本副社長を呼んでくれていたあたり、俺よりずっとお役立ちだったし。俺がしたことといえば、河本副社長が来るまで社長を足止めしたぐらいだったわけで。で、車に乗り込む前に「時田も同行させても構いませんでしょうか?」と、さっと河本副社長に(社長にではない)と断りを入れて、車に乗ってもらったのだったが。
相手はネイティブだし。社長の英会話、もう、達者すぎて。英文科卒の時田さんがいなければ、俺、商談の内容を把握するの、無理だったわ。本当、時田さん、できる女だね。俺が同行した意味、なくね?
それにしても、今までも海外の相手と英語でやりとりする商談に同行したことがあったんだが、今までは社長、俺に合わせてくれていたんだね。もっと感激するような場面でその事実を知りたかったよ!非常に残念なお人だ。
商談終了後、現地に河本副社長と時田さんを残し-おい!-そのまま大福さんの入院している病院へ。何でか俺まで連れていかれた。
俺が大福さんにありのままを報告し、社長がしこたま大福さんに叱られたのは、言うまでもない。毛の話のあたりをしてた時、偶々側にいた美人の看護士さんに軽蔑の視線を投げられた。なんで!?当の大福さんはゲラゲラ笑うだけだってのに!
なお、時田さんが俺に聞こうとしていた質問が何だったかっていうと。
河本副社長×社長および社長×安城で、社長のゲイ疑惑があったらしい。
なに、それ!
や、確かに会社での社長しか知らなかったら、『この人、女に興味あるんだろうか』てぐらい、バサバサ斬り捨てまくってるんで、そういう疑惑がたつのも、分からないでもないけど!
俺を巻き込まないで~!!
社長、単に大福さんにしか興味ないだけだから!
ま、今回のことで、無事に疑惑は解決されたようだが。
後日、見舞い…てか、暇だから漫画持ってきてってメールあって病院に行った際にこの話を聞いた大福さんの反応は。
「那月にリバ疑惑!」
って、腹をかかえて痛みを堪えつつ、息だけで爆笑してた。
ゲイ疑惑じゃなく、リバ疑惑のところっすか、あんたのツボは。
ほんと、お互いどうしようもないって意味で、似合いの夫婦だわ。