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婚約破棄された公爵令嬢は、もう王妃にはなりません ~隣国の王太子と始める、私の国づくり~  作者: カルラ


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第二章 三年前からの準備

父の書斎には、まだ蝋燭の灯りが揺れていた。

壁一面の書棚には、公爵領の帳簿や過去の書類が整然と並んでいる。

私はその静けさの中で、父の次の言葉を待っていた。


「本当に、何もしなくていいのか」


父の声には、隠しきれない心配が滲んでいた。

婚約を破棄されたばかりの娘が、抗議もせず、涙も見せず、ただ静かに座っている。 それを不気味に感じる親心も、当然あるのだろう。

けれど私の答えは、最初から決まっていた。


「はい」

「むしろ、今のうちに王家との関係を整理してください」


私の言葉に、父はしばらく黙り込んでいた。

やがて何かに思い至ったように、鋭い視線を私へと向ける。


「まさか……最初から、婚約破棄されるつもりだったのか?」


その問いに、私は静かに頷いた。


「三年前から、準備していました」


父の顔に、驚きが広がっていく。

けれど私にとって、それはずっと前から積み重ねてきた事実に過ぎない。

今夜という結果に辿り着くまでの道のりを、私は父に話し始めた。


三年前のあの日を、私は今でも鮮明に覚えている。

王太子妃教育の一環として、私は王国の財政資料に目を通す機会を得ていた。

本来なら退屈な数字の羅列に過ぎないはずのそれが、ある夜、私の目に奇妙な違和感として映った。

税収は、明らかに減少していた。

それにもかかわらず、王宮の支出だけが年々膨らんでいる。

帳簿の上では辻褄が合っているように見えても、細かく比較していくと、明らかにおかしな流れがあった。

一部の貴族の家名の下に、説明のつかない金額が繰り返し流れ込んでいたのだ。


私は誰にも相談せず、独自に調査を進めた。

過去五年分の徴税記録、貴族家の領地収支、王宮の支出報告書。

夜な夜な自室で書類と向き合い、数字の裏に隠された流れを一つずつ辿っていった。 そして辿り着いた結論は、単純な財政難などではなかった。

王国の税収の一部が、意図的に特定の貴族へと不正に流されている。

そしてその背後には、国内だけでは説明のつかない資金の動きがあった。

それはまるで、敵国と繋がっているかのような不自然さを帯びていた。


この事実を知ったとき、私は迷わずエドワード様のもとへ向かった。

彼はいずれこの国を治める人だ。

だからこそ、彼が最初に知るべきだと信じていた。

私は集めた資料を差し出し、丁寧に説明した。

税収の異常、支出の不自然さ、そして一部の貴族への不明瞭な金の流れを。


けれどエドワード様は、資料をろくに見ようともしなかった。


「君は何でも疑いすぎる」


その一言で、彼は話を切り上げようとした。

私はなおも食い下がった。

これは疑いではなく、数字が示す事実だと伝えた。

しかし彼の答えは変わらなかった。


「父上や宰相が何とかするだろう」


その楽観的な言葉に、私は言葉を失いかけた。

国の未来を左右するかもしれない問題を、彼はまるで他人事のように扱っていた。

剣を握れば誰よりも優れている人が、なぜこれほどまでに、目の前の危機に鈍いのか。

その時初めて、私は彼という人間の限界を、はっきりと感じ取った気がする。


それでも私は諦めなかった。

形を変え、時期を変え、何度もエドワード様に警告を重ねた。

「殿下、それは間違っています」 そう伝えるたびに、彼の表情はわずかに曇っていった。

けれど彼が耳を傾けることは、ついに一度もなかった。


一方でその頃、王太子の周囲には一人の男爵令嬢が現れ始めていた。

リリア・ベルモンド嬢。

彼女は私とは正反対の態度で、エドワード様に接していた。

「殿下のお考えは素晴らしいです」 その肯定の言葉は、疑いを口にする私よりも、遥かに心地よく彼の耳へ届いたのだろう。

エドワード様は少しずつ、私よりも彼女の言葉を信じるようになっていった。


私はその変化を、静かに見つめていた。

悲しみがなかったと言えば、嘘になる。

けれど同時に、私はある確信を抱き始めていた。

このままでは、いずれこの国の危機は現実になる。

そしてその時、私が王太子妃という立場のままでいることに、果たしてどれほどの意味があるのだろうか。


だから私は、方向を変えることにした。

王家を説得することに、全ての力を注ぐのはやめよう。

そう決めたのだ。

代わりに私が選んだのは、王家を頼らずとも、公爵家だけで立ち続けられる基盤を作ることだった。

港を整備し、独自の貿易網を築く。

鉱山を調査し、新たな収入源を確保する。

農地の改革を進め、領民の暮らしを安定させる。

王国という後ろ盾がなくとも揺らがない、そんな地盤を私は密かに築き始めた。


これが、私の三年間の全てだった。

表向きは大人しく王太子妃教育を受けながら、その裏で、いつか訪れるであろう今夜のために備え続けてきた。

父の前で、私はその全てを淡々と語り終えた。


「そうか……お前は、ずっと一人でそれを抱えていたのか」


父の声には、驚きだけでなく、労わりの色も混じっていた。

私は静かに首を横に振る。


「一人ではありません」

「お父様が公爵領を守ってくださったからこそ、私はこの三年、動くことができました」


父はしばらく目を伏せていたが、やがて静かに顔を上げた。

その瞳には、覚悟に似た強い光が宿っている。


「わかった。ならば、明日から本格的に動こう」

「お前が集めてきたものを、私にも見せてくれるか」


私は頷き、懐から一枚の書類を取り出した。

三年かけて集めた証拠の中でも、特に核心に近い一枚だった。

それを父の机の上に、静かに置く。


「これが、王国財政の不正流用に関わっている貴族の名前です」


蝋燭の灯りの下、父はその紙面に目を落とした。

書き連ねられた家名を一つずつ確認するうちに、父の表情が徐々に険しくなっていく。

その沈黙が、事の重大さを何よりも物語っていた。


窓の外では、夜がさらに深まっていた。

けれど私の中では、これからやるべきことの輪郭が、はっきりと像を結び始めている。

婚約破棄は終わりではなく、始まりに過ぎない。

その確信だけを胸に、私はもう一度、父の顔を見つめ返した。


















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