第十九章 最後の夜会
婚約披露の夜会は、あの日と同じ、王宮の大広間で開かれることになった。
あえてこの場所を選んだのは、私自身の希望だった。
過去に囚われているからではない。
あの日の続きではなく、あの日を、はっきりと乗り越えた場所として、ここに立ちたいと思ったからだ。
衣装を整える侍女たちの手つきは、三年前のあの夜と、何も変わらなかった。
けれど、鏡に映る自分の表情は、あの頃とはまるで違っている。
あの夜、私はここで、静かな解放を感じていた。
そして今夜、私はここで、新しい始まりを迎えようとしている。
父は、支度を終えた私の姿を見て、しばらく言葉を失っていた。
「お前の母が、着ていたドレスに、少し似ているな」
その一言に、私は少しだけ照れくさい気持ちになった。
「偶然です」
「けれど、そう言っていただけるなら、嬉しいです」
会場の扉が開かれ、私はアルベルト様と並んで、大広間へと足を踏み入れた。
あの日、一人で背中に視線を受けながら退場した場所を、今度は、隣に人を伴って歩いている。
その事実だけで、胸の奥に、静かな感慨が広がった。
広間に集まった貴族たちの視線は、あの夜とは、まるで違う色をしていた。
哀れみでも、嘲笑でもない。
そこにあったのは、素直な祝福と、そして、隠しきれない敬意だった。
以前、あれほど尊大な態度を見せていた宰相派の貴族たちの姿は、もうどこにもない。
代わりに、実務を通じて公爵領と縁を結んだ商人や、復興を共に進めてきた官僚たちの顔が、あちこちに見えた。
肩書ではなく、積み重ねてきた仕事そのものが、この場に集う人々の顔ぶれを変えていた。
しばらくして、人垣の向こうから、見覚えのある姿が近づいてきた。
元王太子エドワード様だった。
華美な装いではなく、質素ながらも誠実さの滲む服装で、彼は静かに私たちの前に立った。
「エレオノーラ」
その声には、以前のような気負いはなかった。
「幸せになってくれ」
短い、けれど心のこもった一言だった。
私は、その言葉を静かに受け止めた。
「ありがとうございます」
「殿下も、ご自分の人生を大切になさってください」
その返答に、エドワード様は、少し驚いたような顔をした。
けれどすぐに、穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ」
「今度こそ、間違えないようにする」
その一言には、これまでの後悔を土台にした、確かな決意が滲んでいた。
復興の現場で、地道に責任を果たし続けている彼の姿を、私は遠くから見守ってきた。
その積み重ねが、この短いやり取りの中にも、確かに表れているように思えた。
エドワード様は、少し離れた場所に控えていた側近たちに、軽く手を上げて合図を送った。
以前のように、常に注目の中心にいようとする姿は、もうそこにはなかった。
自分の役割をわきまえた、静かな佇まいだった。
会場の少し離れた場所には、リリア嬢の姿もあった。
孤児院の運営に携わる彼女は、以前よりもずっと、生き生きとした表情をしていた。
私と目が合うと、彼女は嬉しそうに、小さく手を振ってくれた。
アルベルト様が、私の手をそっと取った。
「後悔は、ないか」
その問いに、私は迷わず首を振った。
「ありません」
「今、私はここに、自分の意志で立っています」
アルベルト様は、満足そうに微笑んだ。
「なら、踊ってもらえるか」
差し出された手に、私は自分の手を重ねた。
楽団の奏でる旋律に合わせ、私たちはゆっくりと、広間の中央へと進み出た。
あの日、この場所で、私は一人、静かな決意を胸に、この会場を後にした。
今、この場所で、私は隣にいる人と、新しい未来へと踏み出そうとしている。
過去を憎むためではなく、これから先を生きるために、私はもう一度、この場所に立った。
踊りながら、私はふと、これまでの日々を振り返っていた。
婚約破棄、公爵領での改革、黒幕との対峙、そして戦争。
数えきれないほどの出来事を経て、私は今、ここに立っている。
その一つ一つが、今この瞬間へと、確かに繋がっていた。
煌びやかなシャンデリアの光が、私たちを静かに照らしていた。
三年前と同じ光のはずなのに、今夜は、まるで違って見えた。




