表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢は、もう王妃にはなりません ~隣国の王太子と始める、私の国づくり~  作者: カルラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/20

第二十章 かつて婚約破棄された公爵令嬢

結婚式から、半年が過ぎた。

ヴァレンティア帝国の宮廷で、私はいつの間にか、王太子妃と呼ばれる立場になっている。

けれど、その肩書に相応しい生活を送っているかと問われれば、正直なところ、自信はなかった。

窓の外に広がる帝都の街並みは、公爵領で見慣れた景色とは、また違った活気に満ちている。

けれど、机の上に広がる書類の光景だけは、どこにいても、少しも変わらなかった。

この日も私は、執務室に積み上げられた書類の山と向き合っていた。

公爵領の経営報告、両国間の貿易協定の見直し、そして帝国内の農地改革案。

扱う案件の規模こそ変わったものの、やっていることの本質は、公爵領にいた頃と、何も変わっていない。

侍女たちの中には、未だに私の働きぶりに驚く者も少なくない。

王太子妃といえば、社交と儀礼に明け暮れるものだという先入観が、この宮廷には根強く残っているようだった。

けれど、そんな慣習を変えていくのもまた、悪くない仕事だと、私は密かに思っている。

扉が開き、アルベルト様が顔を覗かせた。

 

「まだ、仕事をしていたのか」

 

その声には、呆れと、どこか微笑ましさが入り混じっていた。

 

「少しは王太子妃らしく、休んだらどうだ?」

 

その問いに、私は書類から顔を上げることなく、即座に答えた。

 

「嫌です」

 

あまりに迷いのない返事だったからだろう、アルベルト様は、一瞬呆気にとられたような顔をした。

 

「即答か」

 

私は、ようやく手を止め、顔を上げた。

 

「休むくらいなら、この報告書を先に片付けてしまいたいのです」

「その方が、後で気持ちよく休めますから」

 

その理屈に、アルベルト様は声を立てて笑った。

 

「相変わらずだな」

「だが、そういうところに、私は惹かれたのだったな」

 

その言葉に、私も思わず、頬を緩めた。

政略的な立場からではなく、ただ、私という人間そのものを面白がってくれる。

その関係は、結婚した今も、少しも変わっていなかった。

時折届く報告書に目を通すたび、私は少しだけ、懐かしい気持ちになる。

あの三年間、誰にも打ち明けられないまま、一人で財政資料と向き合っていた日々。

あの頃には想像もできなかった未来が、今、こうして目の前に広がっている。

公爵領は、今も父が中心となって、順調に治めている。

私が定期的に送る助言と、これまで築いてきた仕組みが、遠く離れた地でも、確かに機能し続けていた。

グランディア王国も、緩やかにではあるが、着実に立て直しが進んでいるという。

エドワード様は、王族の一員として、地道に復興を支え続けている。

華やかな地位こそ失ったものの、その働きぶりは、以前よりもずっと、地に足のついたものになっていると聞く。

風の噂では、彼の周りに、新しい信頼できる側近たちが集まり始めているという。

かつてのような、耳当たりの良い言葉ばかりを口にする者たちではなく、率直に意見を交わせる相手を、彼自身が選ぶようになったのだろう。

リリア嬢は、あの孤児院の運営を、正式な仕事として続けているらしい。

先日届いた手紙には、彼女らしい、飾らない言葉で、日々の様子が綴られていた。

誰かに利用される人生ではなく、誰かのために、自分の意志で力を尽くす人生を、彼女は今、確かに歩んでいる。

手紙の最後には、こう書き添えられていた。

 

「エレオノーラ様がいなければ、今の私はいませんでした」

「心から、感謝しております」

 

その一文を読むたびに、私の胸には、静かな温かさが広がる。

それぞれが、それぞれの場所で、自分の足で立っている。

その事実に、私は静かな満足を覚えていた。

アルベルト様が、机の脇に腰を下ろし、書類の一枚を手に取った。

 

「これは、私も手伝おう」

 

私は少し驚いて、彼を見つめた。

 

「よろしいのですか」

「妻の仕事を手伝うのに、理由がいるか」

 

その一言に、私はまた、小さく笑ってしまった。

こうして並んで机に向かう時間もまた、私たちにとっての、ごく自然な日常になっている。

彼が手にした書類は、農地改革に関する、少々込み入った内容のものだった。

けれど、これまで幾度となく交渉を重ねてきた相手だ、要点を掴む速さは、私よりも早いくらいだった。

 

「ここの数字、根拠を聞かせてくれ」

 

そう言って、鋭い質問を投げかけてくる姿は、初めて公爵領を訪れたあの日と、少しも変わっていない。

 

「もちろんです」

 

私はペンを置き、資料を彼の方へと向けた。

窓の外には、穏やかな午後の光が差し込んでいた。

ペンを走らせる音と、時折交わす短い言葉だけが、静かな部屋に響いている。

華やかさとは少し違う、けれど確かな幸福が、そこにはあった。

ふと、手を止め、私は窓の外を見やった。

私はかつて、婚約を破棄された。

あの日、私は自分の人生を失ったと、誰もがそう思っていたはずだ。

けれど、違った。

あの日、私は初めて、自分の人生を手に入れたのだ。

人は、置かれた場所によって、これほどまでに変わるものなのだと、改めて思う。

私自身もまた、あの夜会の夜を境に、大きく変わった一人だった。

誰かに決められるのではなく、自分の意志で選び取った道の先に、今この瞬間がある。

その道のりは、決して平坦ではなかった。

けれど、一つ一つの選択を、私は後悔していない。

隣で書類に目を通すアルベルト様の横顔を見ながら、私は静かに、ペンを取り直した。

まだやるべきことは、たくさんある。

けれどそれは、もう、誰かに課された義務ではない。

私自身が選び、私自身が望んだ、私だけの人生だった。

 

終幕


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ