第十五章 王太子の資格
御前会議の翌日から、王宮は慌ただしさを増していった。
宰相派の関係者たちの取り調べが進む一方で、王太子であるエドワード様の処遇についても、重臣たちの間で議論が交わされているという。
私は王都に留まり、証拠の整理や、証人としての追加の説明に応じる日々を送っていた。
父からは、毎日のように王都の状況を案じる手紙が届いていた。
公爵領のことは信頼できる者たちに任せてきているとはいえ、私自身も、早く戻りたい気持ちがないわけではなかった。
けれど、この国の行く末を左右する場に、中途半端な形で背を向けるわけにはいかなかった。
そんなある日、エドワード様から、内々に会いたいという申し出が届いた。
場所に指定されたのは、かつて何度も、政務の相談を交わした、あの見慣れた執務室だった。
扉を開けると、エドワード様は窓辺に立ち、こちらに背を向けていた。
その背中には、以前のような自信に満ちた覇気は、もう感じられなかった。
「来てくれて、感謝する」
振り返った彼の表情は、この数週間で、驚くほど変わっていた。
疲労だけではない、何かをじっと堪えているような、そんな翳りがあった。
私が椅子に腰を下ろすと、エドワード様は静かに切り出した。
「私は、王太子の位を辞退しようと思う」
その一言に、私は思わず彼の顔をまじまじと見つめた。
予想していなかったわけではない。
けれど、想像していたよりも早い決断だった。
「これだけの騒動を招いた責任は、私にある」
「これ以上、王太子の座に留まる資格は、私にはない」
その言葉には、自罰的な響きがあった。
私はしばらく黙って、彼の言葉を受け止めていた。
けれど、その決断を、そのまま肯定する気にはなれなかった。
三年前のあの日々を思い出す。
どれだけ言葉を尽くしても、届かなかった警告。
あの頃の私は、彼のことを、どこか見限りかけていたのかもしれない。
けれど今、目の前で自分の未熟さと向き合おうとしている彼を見ていると、そう単純に切り捨てられる相手ではなかったのだと、改めて感じさせられた。
「殿下」
私が静かに呼びかけると、エドワード様はこちらへ視線を戻した。
「逃げることと、責任を取ることは、違います」
その一言に、彼の表情が、わずかに強張った。
「……逃げているつもりはない」
「これは、自分なりのけじめのつもりだ」
私は静かに首を振った。
「けじめをつけるのであれば、地位を手放すことではなく、その地位に伴う責任を、最後まで果たすことのはずです」
「今、殿下が王太子の座を退けば、この後始末は、誰が担うのでしょうか」
その問いに、エドワード様は答えられなかった。
私はさらに、言葉を重ねた。
「殿下がすべきなのは、自分のしたことから逃げることではありません」
「王族として、これから国民に償っていくことです」
その言葉に、エドワード様は深く息を吸い込み、しばらく目を閉じていた。
やがて、絞り出すように、口を開いた。
「私は、王太子でいることに、いつからか、責任ではなく、権利しか見ていなかったのかもしれない」
「剣を振るい、称賛を浴びることには夢中になれた」
「だが、民の暮らしや、国の行く末について、本気で考えたことが、どれだけあっただろうか」
エドワード様はしばらく黙り込み、握りしめた拳を見つめていた。
「正直に言えば、逃げ出したい気持ちが、ないわけではない」
「だが、君の言う通りなのだろうな」
その率直な吐露に、私は少しだけ、意外な思いを抱いた。
これまでの彼であれば、弱音を素直に口にすることなど、なかったはずだ。
この戦と、この騒動が、彼の中の何かを、確かに変えたのだろう。
その独白は、これまでの彼からは聞いたことのない、率直なものだった。
剣を握らせれば誰よりも優れている人が、自分自身の弱さと、初めて真正面から向き合おうとしている。
その姿を見て、私は少しだけ、彼を見直す気持ちになった。
「私は、未熟だった」
「それを認めるのが、これほど怖いことだとは、知らなかった」
私は静かに頷いた。
「認めることができたなら、それはもう、前に進む力になります」
「未熟であることは、恥ではありません」
「未熟なまま、変わろうとしないことこそが、恥なのだと、私は思います」
その言葉に、エドワード様は驚いたように目を見開き、それから、小さく笑った。
これまで見たことのないような、どこか吹っ切れた笑みだった。
「君は、相変わらず手厳しいな」
私も、思わず小さく笑ってしまった。
「褒め言葉として、受け取っておきます」
重臣たちの議論は、一筋縄ではいかなかった。
王太子位を完全に剥奪することに反対する声もあれば、逆により厳しい処分を求める声もあった。
私は証人として、その議論の一部始終を、静かに見守っていた。
口を挟むべき場ではないと分かっていたけれど、行方を見届ける責任だけは、感じていた。
その後、重臣たちを交えた話し合いが、改めて行われることになった。
結論として、エドワード様は王太子の地位を正式に剥奪される。
けれど王族の一員として、戦後の復興と、財政の立て直しに、全力で尽力することが決まった。
華やかな地位を失う代わりに、地道な責任だけが、彼の手元に残された。
この決定を、リリア嬢はどう受け止めるだろうか。
会議の後、彼女に結果を伝えると、しばらく複雑な表情を浮かべた後、静かに口を開いた。
「殿下らしい選択だと思います」
「厳しい道を選ばれたのですね」
その声には、かつての婚約者に対する、複雑な思いが滲んでいた。
それでも、彼女の表情には、以前のような怯えはなく、どこか穏やかな諦観のようなものが浮かんでいた。
その決定が下された日、エドワード様は私のもとを訪れ、深く頭を下げた。
「これから、少しずつでも、償っていくつもりだ」
「もし、力を貸してもらえるなら、心強い」
その申し出に、私はしばし考えた後、静かに答えた。
「復興のための助言であれば、惜しみなくいたします」
「ですが、それは、殿下への同情からではありません」
「この国に暮らす人々のためです」
その線引きだけは、はっきりとさせておきたかった。
エドワード様は、その言葉を真摯に受け止めるように、深く頷いた。
「分かっている」
「それで、十分だ」
この一連の結末は、アルベルト様の耳にもすぐに届いたようだった。
届いた書状には、いつになく丁寧な言葉が並んでいた。
「見事な幕引きだ」
「だが、そちらの無理はしていないか、少し気になっている」
その一文に、私は思わず頬を緩めた。
政治的な評価の後に、必ず一言、私自身を気遣う言葉が添えられている。
その変化に、私はいつからか、心が温かくなるのを感じるようになっていた。
執務室を後にしながら、私は窓の外に広がる王都の空を見上げた。
あの夜会の夜から、随分と遠くまで来たものだと、改めて思う。
復讐でも、同情でもない、ただ事実と向き合い続けた先に、この結末があった。
それは、私が思い描いていたものとは、少し違う形をしていたけれど。
悪くない結末だと、今の私は、素直にそう思えた。
これから先、エドワード様がどのような道を歩んでいくのか、まだ誰にも分からない。
けれど、少なくとも今日、彼は自分自身と、正面から向き合うことを選んだ。
その一歩を、私は静かに、見届けたいと思った。




