第十四章 真実の公開
エドワード様が窮地を脱してから、半月ほどが経った。
戦況は少しずつ持ち直し、王軍もようやく体制を立て直しつつあるという。
けれど、この戦の根本にある腐敗を断たない限り、同じことはまた繰り返される。
私はそう確信し、ついに一つの決断を下した。
証拠を携え、自ら王都へ赴くことにしたのだ。
父は、最後まで同行を渋った。
「危険すぎる」
「宰相派の連中が、大人しく尻尾を出すとは思えん」
その懸念は、私にも十分に分かっていた。
けれど、これだけの証拠を、私以外の誰かに託すわけにはいかない。
「ここまで来て、退くわけにはいきません」
「それに、私にはヴァレンティア帝国という後ろ盾もあります」
私がそう告げると、父はしばらく黙り込んだ後、深く息を吐いた。
「……分かった。だが、護衛は万全にしていけ」
出発の朝、リリア嬢が自ら、同行を申し出た。
「私も、証言のために参ります」
「私を利用した者たちの正体を、この目で見届ける責任があると思うのです」
その瞳には、もう迷いはなかった。
私は静かに頷き、彼女の申し出を受け入れた。
馬車の窓から見える景色は、王都に近づくにつれて、少しずつ様変わりしていった。
戦の爪痕は、前線から離れたこの辺りにも、確かに及んでいる。
閉ざされたままの店、人影のまばらな市場、そして道端で物乞いをする老人たちの姿。
三年前、私が最初に危機感を抱いたときには、まだここまでの光景は広がっていなかった。
その変化の大きさに、私は改めて、事の重大さを噛み締めていた。
王都へ向かう道中、私は何度も、あの夜会の記憶を思い出していた。
婚約破棄を告げられ、静かに微笑んだあの日。
あれからまだ、一年も経っていない。
それなのに、王都へ向かう自分の心境は、あの日とはまるで違っていた。
あの時は、ようやく解放されるという安堵だけがあった。
今は、これから始まる戦いへの、静かな緊張がある。
王都の門をくぐると、かつて見慣れた街並みが、どこか色褪せて見えた。
あるいは、変わったのは街ではなく、私自身の方なのかもしれない。
公爵領での日々を経た今、この王都という場所を、私はもう、かつてのようには見ていなかった。
王都に到着すると、事前に手を回していた通り、緊急の御前会議が開かれることになった。
広間には、かつて婚約破棄を宣言されたあの夜と同じ、大勢の貴族たちが顔を揃えていた。
視線の質は、あの夜とは明らかに違っていたけれど。
壇上には、宰相をはじめとする重臣たちの姿があった。
私が姿を現すと、彼らの間に、明らかな動揺が走るのが分かった。
私はまず、これまで集めてきた証拠を、順を追って提示した。
三年前から追い続けてきた財政資料。
税収と支出の不自然な乖離。
特定の貴族家へと流れ込んでいた不明瞭な資金。
そして、暗号によって隠された、敵国との密通の記録。
証拠の一つ一つを提示するたびに、私は努めて、感情を交えない口調を心がけた。
怒りや恨みをぶつけるための場ではない。
これは、事実を積み上げ、真実を明らかにするための場だ。
その一線だけは、最後まで崩したくなかった。
一つ一つの証拠を積み上げるたびに、広間の空気は、目に見えて張り詰めていった。
宰相の顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かった。
「これは……言いがかりだ」
「そのような証拠、いくらでも捏造できるだろう」
宰相の反論に、私は静かに、けれど毅然と答えた。
「では、この暗号の解読結果と、実際の資金の動きが、ここまで正確に一致することを、どうご説明されますか」
「捏造だと仰るのであれば、正しい記録をお示しください」
その問いに、宰相は答えられなかった。
沈黙が、何よりも雄弁に、真実を物語っていた。
証言を聞いていた貴族の一人が、たまりかねたように声を上げた。
「では、宰相閣下は、敵国と通じてまで、王国を陥れようとしていたと仰るのか」
その問いに、私は静かに頷いた。
「証拠が示す事実は、そういうことになります」
「もちろん、正式な取り調べの上で、改めて明らかにされるべきことですが」
広間のあちこちから、抑えきれないどよめきが漏れた。
これまで宰相派に近い立場を取っていた貴族たちの中には、顔面蒼白になっている者もいた。
そこで、私はリリア嬢に目を向けた。
彼女は小さく頷き、一歩前へ進み出た。
「僭越ながら、私からも申し上げます」
広間が、一斉にざわめいた。
「悪役令嬢に虐げられた哀れな令嬢」として知られていた彼女が、自ら証言台に立つ。
その光景自体が、これまでの物語を、根底から覆すものだった。
「私は、王太子殿下に近づくよう、ある方々に仕向けられておりました」
「その方々の指示のもと、殿下のお気持ちに寄り添うふりをし、エレオノーラ様を貶める噂を、意図的に広めておりました」
告白は、淡々と、けれど確かな声で続いた。
貴族たちの間から、驚きと戸惑いの声が漏れる。
これまで彼女に同情を寄せていた者たちほど、その表情は複雑だった。
リリア嬢の証言が進むにつれて、これまで彼女に同情を寄せていた貴族の何人かが、目に涙を浮かべているのが見えた。
彼女もまた、この物語の被害者だったのだと、ようやく理解し始めているのだろう。
「エレオノーラ様は、私にとっても、被害者でした」
「この場をお借りして、深くお詫び申し上げます」
そう言って深く頭を下げるリリア嬢の姿に、広間はしばらく、静まり返っていた。
沈黙を破ったのは、それまで壇上の隅で、じっと成り行きを見守っていたエドワード様だった。
彼はゆっくりと立ち上がり、私の前まで歩み出た。
「エレオノーラ」
久しぶりに名を呼ばれ、私は静かに視線を上げた。
その瞳には、これまで見たことのない、真摯な色が浮かんでいた。
「……すまなかった」
短い、けれど確かな謝罪だった。
広間中の視線が、二人に集まっている。
それでも彼は、周囲を気にする様子もなく、言葉を続けた。
エドワード様は、しばらく言葉を探すように沈黙した後、さらに続けた。
「剣なら、誰よりも自信があった」
「だが、それだけでは、何も守れないのだと、この戦で思い知らされた」
その言葉には、これまでの彼からは感じられなかった、地に足のついた響きがあった。
変わろうとしている、その意志だけは、確かに伝わってきた。
「君の警告に、一度も真剣に耳を傾けなかった」
「その結果がこれだ、と言うほかない」
私はしばらく、彼の顔を見つめていた。
怒りをぶつける気持ちには、もうなれなかった。
三年越しの謝罪を、素直に受け止めるだけの余裕が、今の私にはあった。
「謝罪は、受け取ります」
「ですが、大切なのはこれからです」
「この場にいる皆様には、まず、この不正の全貌を正しく理解していただく必要があります」
私はそう告げ、改めて広間全体を見渡した。
これまで沈黙を守っていた貴族たちの中にも、事の重大さを悟り、顔色を変える者が増えていく。
真実は、ようやく、あるべき場所へと姿を現し始めていた。
会議が終わった後、リリア嬢が静かに私の隣に来て、深く息を吐いた。
「終わりました、ね」
その声には、長く抱えていた重荷を下ろしたような、安堵の響きがあった。
「ええ」
「よく、勇気を出してくれました」
私がそう言うと、リリア嬢は少し照れたように微笑んだ。
「エレオノーラ様のおかげです」
会議は、その後も深夜まで続いた。
宰相をはじめとする関係者は、順次拘束されることが決まった。
拘束が決まった宰相は、最後まで悪あがきを続けようとした。
「私を捕らえて、この国が立ち行くと思っているのか」
「お前たちだけでは、何も回せはしない」
その捨て台詞にも似た言葉に、広間は再びざわめいた。
けれど、その言葉に頷く者は、もうほとんどいなかった。
権力にすがるだけの人間の言葉が、これほど軽く響くものだとは、私自身、初めて実感した。
けれど、これで全てが終わったわけではない。
彼らの背後にいる、より大きな存在の輪郭は、まだ完全には見えていなかった。
広間を後にしながら、私はふと、三年前の自分を思い出していた。
誰にも信じてもらえないまま、独りで数字と向き合っていた、あの夜の自分を。
あの時の私に、今日という日を伝えてあげられたなら、少しは気持ちが軽くなっただろうか。
父から預かった護衛たちも、私の後ろで、静かに気を張り続けていてくれた。
その心強さに、私は改めて、自分が一人ではないのだと実感していた。
そんな詮無いことを考えながら、私は静かに、夜の王都を後にした。




