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第9話 S級術式の少女

冒険者ギルドの正面玄関を出ると、サイのおっちゃんが腕を組んで待っていた。


「遅かったな」


「誰のせいだと思ってんだよ」


「あ?」


「……最後まで人の話を聞かずに飛び出した俺のせいです。はい」


「分かってりゃ世話ねえよ」


ぐうの音も出ない。


俺たちは肩を並べ、家路へ向かって歩き出した。


道中、今日の試験について一通り報告した。


筆記が実戦形式で思ったより解きやすかったこと。


結果が満点だったこと。


C級術式《雷矢》を使うガイルを完封したこと。


そして最後の術式検査で、試験官たちに苦虫を噛み潰したような顔をされたこと。


「で、結局はE級スタートか」


「ああ」


俺は首から提げたばかりの冒険者証をつまみ上げた。


「三年間やって、結局またEだ」


「上等じゃねえか」


サイのおっちゃんは短く鼻を鳴らした。


「三年前は、試験を受ける資格すらなかったEだぞ」


「まあな」


「今は違う」


夕日に染まる路地を見つめ、おっちゃんはぽつりと言った。


「これでようやく、お前も冒険者の端くれだ」


「ああ」


「死ぬなよ、ロイ」


「…………」


たった一言。


けれど、その言葉に込められた重みは痛いほど伝わってきた。


俺の父ちゃんと母ちゃんを知るこの人なりの、最大級の激励だった。


「……分かってるよ」


「ならいい」


二人の間に静かな沈黙が流れる。


やがて、おっちゃんが何かを思い出したように口を開いた。


「そういや、王都から面白い奴が来てるぞ」


「面白い奴?」


「術式評価はS。冒険者ランクはBだそうだ」


思わず足が止まった。


「……S?」


「ああ」


俺が今まで実戦で使われるところを直接目にした中で、最高の術式評価はAだ。


それでも常識外れの威力だったのを覚えている。


そのさらに上の領域。


「S級術式……」


脳裏に、ふと一人の少女の顔が浮かんだ。


「そういえば……リンの《剣聖》も、評価はSだったよな」


「そうだ」


やはりそうか。


国が血眼になって王都へ連れていくほどの、選ばれし才覚。


「じゃあ、そいつもリンと同じくらい規格外ってことか」


「術式の評価だけ見ればな」


おっちゃんは横目で俺を見据えた。


「だが忘れるなよ。術式の評価と、戦士としての強さは別物だ」


「……おっちゃんが言うと、重みが違うな」


「俺の《剣術》はCだったからな」


術式評価はC。


それでもこの男は、己の腕と経験だけでA級冒険者まで上り詰めた。


逆に言えば、どれだけ珍しい術式を持っていても、それだけで一流になれるわけじゃない。


「まあ、上を目指すなら嫌でもいつかそんな連中とぶつかる」


おっちゃんが獰猛に笑った。


「今のうちに拝んどけ。S級術式ってのが、どれほどの化け物なのかをな」


「……面白そうだな」


俺は胸元のE級冒険者証を握りしめた。


術式評価S。


今の俺と、いったいどれほどの隔たりがあるのだろうか。


     ◇


翌日から、俺はこれまで以上にギルドへ通い詰めるようになった。


もっとも、過去三年間の大半をここで過ごしてきたのだから、通うこと自体は日常と変わらない。


だが、立場は決定的に違っていた。


「さてと。記念すべき最初の依頼は……」


今日は雑用を言いつけられるためではない。


一人の冒険者として、自分の意志で仕事を選ぶために来たのだ。


意気揚々と依頼掲示板の端を見つめる。


『薬草採取』


『東通りの側溝清掃』


『穀物倉庫のネズミ駆除』


『迷い猫の捜索』


「…………」


胸元のプレートを見下ろす。


ランク、E。


もう一度、掲示板を見る。


「……冒険者とは何なのか」


「初めはみんなそこからよ」


書類を抱えて通りかかった受付嬢が、くすくすと笑った。


「E級なんだから当然でしょう。いきなり危険な討伐なんて出せるわけないじゃない」


「三年間死ぬ気で鍛えて、初陣が側溝掃除かぁ……」


「村の衛生を守る大事なお仕事よ」


「頭では分かってるんだけどさ」


新人は地道な依頼を積み重ね、ギルドからの信用と実績を稼ぐ。


一定の査定基準を満たして初めて、昇格試験の切符が手に入る。


EからD、DからCへと、一歩ずつ階段を上っていくのだ。


「そういえば、一気に階級を飛び級できる制度もあるって聞いたけど」


「ああ、《特例昇格審査》のこと?」


「それそれ」


「今のあなたには天地がひっくり返っても関係ないから、忘れなさい」


「なんでだよ」


受付嬢はあきれ顔で息を吐いた。


「身の丈を遥かに超える大規模な異変や危機に直面して、相応の武勲を立てた者だけに適用される例外措置よ」


「要するに、でかい手柄を立てればいいんだな」


「普通のE級は、手柄を立てる前に命を落とすの」


「なるほど」


「……なんでちょっと嬉しそうな顔をしてるのよ」


まあ、まずは地道に行くしかない。


薬草摘みだろうが側溝掃除だろうが、何でも受けて立つ。


一刻も早くランクを上げたい理由なら、山ほどあった。


リン。


三年目に入ってから途絶えてしまった手紙のことが、今も胸に引っかかっている。


そして――最近ギルドへ通い詰めている理由は、もう一つあった。


「今日もいないのかな……」


例のS級術式を持つ、王都詰めのB級冒険者。


どんな人物なのか、いまだに姿を見ていない。


岩のような筋骨隆々の大男か。


長い髭を生やした老賢者か。


あるいは、全身に古傷を刻んだ歴戦の冒険者か。


いずれ頂点を目指すなら、一度はその力を間近で見ておきたい。


できることなら、手合わせ願いたいところだった。


「ん?」


不意に、正面玄関のあたりが騒がしくなった。


入口付近に人だかりができている。


「おい、あれが例のS級術式持ちか?」


「前が見えねえよ!」


「押すなよ!」


噂の人物が現れたらしい。


俺も背伸びをして、野次馬の頭越しに覗き込もうとした。


「全然見えないな……」


俺が目指す道の、遥か先を行く存在。


せめて顔だけでも拝んでおきたい――そう思った瞬間だった。


「この地域一帯の事情に、最も精通している者は誰?」


人混みを切り裂くように、凛とした声が響いた。


喧騒が一瞬で静まり返る。


「魔物の生息域、地形、旧道の状況。それに直近の討伐記録まで頭に入っている者が望ましいわ」


「…………」


なんとなく、嫌な予感がした。


一人、二人、三人。


周囲にいた冒険者や職員たちの視線が、示し合わせたように俺へと集まっていく。


「…………へ?」


波が引くように人垣が左右に割れた。


その先に立っていたのは――。


筋骨隆々の大男でも、白髭の老賢者でも、傷だらけの歴戦の猛者でもなかった。


俺と年格好の変わらない、一人の少女だった。


背筋を凛と伸ばし、どこか勝ち気につんと顎を引いている。


そして何より目を奪うのは、燃えるように鮮烈な赤髪だった。


彼女は俺を見るなり、眉をひそめた。


「……あなたが?」


「たぶん……俺のことみたいだな」


「冒険者ランクは?」


初対面にしては、ずいぶんと容赦のない質問だ。


俺は首から提げた鉄のプレートを指先で示した。


「登録したばかりのE級」


「…………」


少女の眉間の皺が、さらに深くなった。


「……人選、間違えてない?」


「初対面でずいぶん失礼だな」


これが、S級術式を宿すB級冒険者――エステル・アルヴェインと、俺の最初の出会いだった。


     ◇


「まあいいわ。あなたで妥協してあげる」


エステルは腕を組み、高飛車に言い放った。


「その代わり、道案内としての役目はきっちり果たしなさい」


「…………」


なんだこいつ。


言葉の端々から、自然と人を見下している感じがする。


きっとこれまで、周囲から期待され続けてきたんだろう。


なにせ術式評価S。


それだけで、この国では十分すぎるほど珍しい。


俺とはまるで違う三年間を送ってきたのかもしれない。


……少しばかり癪に障る。


だが、考えようによっては好都合だった。


S級術式を持つ人間が、実際どれほどの力を持つのか。今の俺とどれほどの差があるのかを確かめる絶好の機会だ。


「それで?」


「何よ」


「どんな依頼を受ける気なんだ?」


エステルは誇らしげに顎を上げた。


「王都の本部から直々に下りてきた特務よ。光栄に思いなさい」


「へえ」


「といっても討伐任務じゃないわ。今回は偵察と生態調査が主目的よ」


「調査?」


「最近、西の森で魔物の生態系に異常が出ている話、耳にしていない?」


「ああ」


それなら把握している。この数日、ギルド内でもしきりに囁かれていた。


「本来なら深部に留まるはずの魔物が、街道近くまで降りてきている件だろ」


「ええ。それに先週――生活圏の境界付近でC級魔物の痕跡まで確認されたわ」


「C級が?」


思わず眉根を寄せる。


「それ、確かな情報なのか?」


「王都へ正式に上がった報告書に記載されているわ」


生活圏の境界。


この村で言えば、農地や街道のすぐ目と鼻の先だ。


「……そこまで迫ってるのか」


「あら」


エステルが値踏みするように俺の顔を覗き込んできた。その唇が、小馬鹿にしたように歪む。


「何? 怖じ気づいたのかしら」


「は?」


「今なら辞退しても構わないのよ?」


こいつ、本当にいちいち神経を逆撫でしてくる。


「いざという時、私だって足手まといを庇いながら戦える余裕があるとは限らないもの」


カチン、ときた。


いや、頭の奥で何かがはっきりと切れた。


同年代の初対面に、ここまで見下されて黙っていられるほど人間はできていない。


「……出発はいつなんだよ」


「え?」


「だから、いつ森へ入るんだって聞いてるんだ」


エステルは意外そうに目を瞬かせた。


「……あなた、本気なの?」


「何が」


「そこまで言われてもついてくる気?」


「行くに決まってるだろ」


「……どうなっても知らないわよ」


「何回同じ警告を繰り返す気だ」


「親切心よ」


そう言い捨てると、エステルは足元の長机から分厚い紙束を抱え上げた。


「はい、これ」


ドサッ、と重い音を立てて書類の山が落とされる。


「…………」


「なんだこれ」


「今回の作戦資料よ」


「これ全部か?」


「当然でしょう」


森の詳細な地形図、過去一年間の討伐記録、目撃情報の集約、近隣集落からの被害報告書。


ざっとめくっただけでも、優に百枚は超えている。


「一応、目を通しておきなさい」


「一応で済む量じゃねえだろ」


「明日の朝までよ」


「…………」


「まさか」


エステルは挑戦的な笑みを浮かべた。


「無理だなんて弱音、吐かないわよね?」


「…………」


さっき一瞬だけ、こいつなりに俺を危険から遠ざけようとしているのかと思ったが、完全に買いかぶりだった。


ただのいけ好かない女だ。


     ◇


翌朝。


ギルドへ足を運ぶと、エステルはすでに入口脇で腕を組んで待っていた。


「……本当に来たのね」


「おはよう」


「夜逃げしなかった根性だけは認めてあげるわ」


「朝一番からよくそんな減らず口が出るな」


「それで?」


エステルが値踏みするように見つめてくる。


「資料は読んだの?」


「読んだよ」


「全部?」


「ああ」


「ふーん」


あからさまに疑いの眼差しだ。


俺は懐から、夜を徹して書き殴った数枚の羊皮紙を取り出した。


「ほらよ」


「何よ、これ」


「補足資料だ」


「……補足?」


エステルの眉が微かに動く。


「昨日渡された資料の中で、辻褄が合わない箇所を整理しておいた」


「…………」


「西側の第三街道で目撃例が急増しているが、討伐記録と照合する限り、魔物そのものが繁殖したというより、何かに押し出されて移動してきた可能性が高い」


俺は地図の一点を指先でトントンと叩いた。


「それと、ここだ」


「旧街道?」


「ああ。現在は廃道扱いになっているが、森の深部へ最短で抜けるならここを使うのが一番早い」


「でも資料には、土砂崩れで通行不能と記載されていたはずよ」


「それは二年前の記録だ」


俺は別の紙を差し出した。


「去年の秋、薬草採取の護衛で近くを通ったパーティーがいる。倒木と土砂はすでに撤去済みだ。ただし、雨が降ると足元がひどくぬかるむ」


「…………」


エステルが言葉を失う。


「それから」


「まだあるの?」


「直近一ヶ月の目撃情報を時系列順にプロットし直した」


紙の上には、日付、座標、魔物の種別、移動方位、周辺環境の痕跡。


そこから逆算した進行ルートが、赤い線で書き込まれていた。


「この傾向から見て、最初にここを調べるべきだ」


「……これ」


エステルは紙をめくり、食い入るように見つめた。


「昨日の資料には載っていなかった情報よね?」


「抜けてる情報を足したんだよ」


「どこで仕入れたのよ」


「ギルドの保管庫にある古い日誌をひっくり返して、昨日帰還したばかりのベテラン冒険者たちに片っ端から話を聞いた」


「昨日?」


「ああ」


「私と別れた後に?」


「そうだけど」


「…………」


しばらく無言で紙束を見つめていたエステルは、やがて小さくため息を漏らした。


「……訂正するわ」


「何を?」


「あなたのこと、かなり見くびっていたみたい」


「かなり?」


「……少しだけよ」


「今、はっきり『かなり』って言ったよな」


「細かい男ね」


「自分で訂正したんだろうが」


エステルは書類を几帳面に揃え、鞄へ収めた。


「少なくとも」


一瞬だけ、昨日までの棘を潜めた瞳が俺を捉える。


「案内役としては、一級品みたいね」


「……そりゃどうも」


戦力としては、まだ端から頭数に入れていないらしい。


まあいい。初日の出だしとしては上々だ。


「それじゃあ、行くわよ」


エステルが踵を返す。


「西の森へ」


翻る鮮やかな赤髪。


S級術式を持つB級冒険者。


その実力がどれほどのものなのか、ようやく間近で拝むことができる。


その時の俺は、ただそればかりを考えていた。


まさか数時間後、そのS級術式を硬貨一枚で受け止める羽目になるとは、夢にも思わずに。

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