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第10話 硬貨一枚で、S級を止める

西の森へ向けて歩を進めて、およそ一時間。


あと少し進めば、魔物の目撃例が急増している警戒区域に入る。昨夜調べた記録の通りなら、この先からはC級魔物の出没確率も跳ね上がるはずだ。


ここまでは目立った異変もなく、森へ続く街道を俺とエステルは並んで歩いていた。


「そういえば」


エステルが前を見据えたまま、何気ない調子で声をかけてきた。


「一応、あなたの術式について聞いておいてもいいかしら」


「一応?」


「勘違いしないで。万が一、何かしらの使い道があった時のための戦術共有よ」


「一言どころか二言くらい余計なんだよな」


相変わらずの物言いだ。


だが、言っていること自体は正しかった。危険地帯に足を踏み入れる以上、味方の手札を把握しておくのは基本中の基本だ。


「俺の術式は《障壁》だ」


「それは知っているわ」


「大きさはこれくらいだ」


俺は右手を軽く前に突き出した。


「《障壁》」


ぽすん。


手のひらの先、何もない空中に半透明の円盤が出現した。


硬貨一枚分。


この三年間、見飽きるほど付き合ってきた相棒だ。


「…………」


「なんだよ」


「本当に小さいのね」


「知ってるよ」


「想像していたよりずっと小さいわ」


「傷口に塩を塗るな」


エステルは奇妙なものを見るように障壁を凝視した。


「同時に展開できる枚数は?」


「一枚きりだ」


「拡大は?」


「できない」


「持続時間はどのくらい?」


「およそ五秒だ」


「射程は?」


「体から半径五メートル程度。離れるほど制御が甘くなる」


「…………」


ものすごく微妙な顔をされた。


「その顔をやめろ」


「だって……」


「いいから。俺だって十五歳の時にまったく同じ顔をしたんだから」


「……じゃあ、何ができるのよ」


「硬い」


「硬い?」


「ああ」


俺は浮かぶ《障壁》を指先で弾いてみせた。


「大岩を力任せに叩きつけても、砕け散るのは岩のほうだ」


「……へえ」


初めて、エステルの瞳に微かな光が宿った。


「刃物は?」


「傷一つ付いたことがない。元A級のサイのおっちゃんに散々打ち込まれたがな」


「あのサイに?」


「ああ」


「それでも壊れなかったの?」


「一度も」


エステルの視線が、針金のように細く《障壁》へと突き刺さる。


「熱への耐性は?」


「多少の火の粉程度なら弾いたことがある。ただ、おっちゃんは炎系の術式使いじゃないからな」


「じゃあ、高出力の技を受けたことは?」


「ない」


「限界強度は?」


「知らない」


「知らない?」


「壊れたことがないから、限界の測りようがないんだよ」


「…………」


エステルの足がぴたりと止まった。


俺も数歩進んでから足を止め、振り返る。


「……なんだよ」


「一度も、壊れたことがないのね?」


「ああ」


じっと、射抜くような眼差し。


彼女が見つめているのは俺自身ではなく、空中に浮かぶ硬貨大の円盤だった。


「……試してみてもいいかしら?」


「何を?」


「私の炎を、どこまで防げるか」


「お前の炎を?」


思わず聞き返した。


S級術式。俺がこの調査に志願した大きな理由の一つだ。


いったいどれほどの力なのか見てみたい。それに、《障壁》が高出力の技に対してどこまで耐えられるのかは、俺自身もずっと確かめたかった。


「まあ……軽いやつからなら」


「決まりね」


エステルの口元が、わずかに上がった。


「…………」


なんだろう。今の顔を見てから、少し不安になってきた。


     ◇


街道から少し外れた、木々の疎らな空き地へ移動した。


周囲に人影はなく、湿り気のある下草ばかりで延焼の危険も少なそうだ。


十歩ほどの距離を空け、エステルが向かい合う。


「じゃあ、本当に軽くいかせてもらうわよ」


「頼むぞ。本当に手加減しろよ」


「分かっているわ」


エステルが右手を持ち上げた。


その人差し指の先に、小さな火種が灯る。


「いくわよ」


指先から炎の礫が放たれた。


俺はその弾道上へ《障壁》を滑り込ませる。


パシッ。


小気味よい音とともに火花が霧散した。障壁の表面には曇り一つない。


「平気だな」


「まあ、その程度なら当然ね」


「次」


「え?」


「もう少し強いやつを頼む」


エステルの眉がぴくりと跳ねた。


「言ったわね」


今度は手のひらの前に炎が集まり始める。


「《炎槍》!」


細く鋭い炎の槍が、直線の軌道を描いて飛来する。


「っ!」


着弾の一点を予測し、《障壁》を配置。


ガンッ!


激突した炎が左右へと激しく飛散する。


「熱っつ!」


「障壁はどう!?」


「俺より盾の心配かよ!」


「早く答えなさい!」


「……無傷だ」


「…………」


エステルが駆け寄り、息がかかるほどの至近距離で《障壁》を凝視した。


「本当に、傷一つ付いていないわね」


「だから言っただろ」


「もう一回よ」


「お前、これ楽しんでないか?」


「重要な検証作業よ」


「絶対面白がってるだろ」


     ◇


それから、何度も炎の直撃を受けた。


最初は軽い炎。


次は実戦で使う程度の《炎槍》。


さらに、その上の出力。


それでもなお、《障壁》は硝子細工のように澄み切ったまま、傷一つ負わなかった。


「……おかしいわ」


「何がだよ」


「普通なら、とっくに耐えきれなくなっているはずよ」


「そうなのか?」


「そうなの!」


エステルの目が、完全に面白いものを見つけた人のそれになっていた。


「……もう少しだけ、出力を上げてもいいかしら?」


「まだやるのかよ」


「限界を見極めなければ意味がないでしょう」


「俺はもう十分すぎるほど分かったんだが」


「私が納得していないの」


「体を張ってるのは俺なんだぞ!」


「障壁に命中させるんだから問題ないでしょう」


エステルは有無を言わさず後退し、十分な間合いを取った。


「おい待て」


「あと一発だけよ」


「絶対あと一発で終わらない前振りだろそれ!」


「今度は、かなり本気でいくわ」


「おいおいおい!」


エステルが両手を正面へ突き出す。


その瞬間、大気の密度が一変した。


「…………」


肌をチリチリと焼くような熱と圧迫感。


「一応言っておくけれど、あなた自身を狙うつもりはないわ」


「その前置きが一番恐ろしいんだが!」


「首筋のすぐ横を通す。あなたは射線上に障壁だけを滑り込ませなさい」


「待て待て待て!」


「威力だって十分の一以下に絞るから」


「それでも――」


エステルの眼前に、視界を焼き尽くすほどの閃光が凝縮されていく。


「――《星墜灼光》」


世界が、真っ白に染まった。


     ◇


「っ――!」


思考よりも先に、肉体が反射で動いていた。


全部を受け止めることなど不可能だ。


だが――すべてを止める必要などない。


この三年間、サイのおっちゃんに骨の髄まで叩き込まれた。


剣の全体を受け止めるな。肉体に触れる瞬間の一点だけを殺せ。


ならば、この光にも、一番力が集中している場所があるはずだ。


白く輝く中心。


「そこだっ!」


硬貨一枚分の《障壁》を、その一点へ斜めに割り込ませた。


轟音。


肌を焦がす熱波。


光の奔流が、俺の目の前で真っ二つに割れた。


     ◇


「え……嘘でしょ」


エステル・アルヴェインが、信じられないものを見るように目を見開いていた。


「なんで防げたのよ。あなた、E級でしょう?」


驚くのも無理はない。


なにせ――受け流した俺自身が、一番肝を冷やしていたのだから。


地面は爆撃を受けたように黒く焼け焦げている。


それなのに、俺の背後だけが不自然なほど細長く無傷のまま残されていた。


「……あっぶねえ」


《星墜灼光》の直撃こそ逸らしたが、吹き荒れる余波までは殺しきれなかった。


上着の袖は焦げ、頬はひりつき、全身が殴られたみたいに痛む。


「殺す気ゼロの威力じゃねえだろ!」


「ち、違うわよ!」


「地面、ドロドロに溶けてるんだけど!?」


「首の横を通すつもりだったの! 威力だって最大限落としてたし!」


「術式評価Sってのは威力だけか? コントロールはE級冒険者並みだな」


「誰がE級よ!」


「誰のことだろうな?」


俺がにやりと笑う。


エステルは一瞬ぽかんとしてから、意味を察したらしい。


「う……嘘でしょ」


さっきとは別の意味で顔を赤くした。


エステルは愕然としたまま、焦土と俺を交互に見つめていた。


「こんなに綺麗に逸らされたことなんて……今まで一度もなかったわ」


「初めてなのか?」


「少なくとも私の記憶にはないわよ」


エステルは震える指先で俺を指した。


「でも……あなた今、攻撃全体を受け止めたわけじゃなかったわよね?」


「ああ。一番威力が乗ってそうな芯に、障壁の角度をつけて差し込んだだけだ」


「芯に……?」


「攻撃範囲を細く絞ってくれてたからな。なんとなく分かったんだよ。一番力が集中してる場所が」


「一番強い場所を……直感で見抜いたってこと?」


「だから何でも防げるわけじゃないぞ。森一面を焼き払うような大技なら、俺ごと丸焦げだ」


「……意外と自分の限界は弁えているのね」


「三年間、そればかり考えて生きてきたからな」


その時だった。


ドォン……。


森の深部から、地響きのような重低音が届いた。


続いて。


ドォン……ドォン……。


「何、今の音……?」


「西の森の奥だ。C級魔物の目撃が集中していた座標に近い」


エステルが鋭い眼差しで森の深部を見据える。


「あなたの《障壁》、使い方次第ではかなり役に立ちそうね」


「お。初めて褒められた気がする」


「褒めてなんかいないわよ」


エステルは早足で歩き出した。


「足を引っ張らないでよ、ロイ」


「…………」


初めて、名前で呼ばれた。


「ただし、今ので証明されたのは《障壁》が硬いってことだけよ。あなた自身の戦闘能力は未知数なんだから」


「まあ、それは否定しないが」


「無闇に前に出ないでちょうだい」


二人の視線が交錯する。


「行くわよ」


「ああ」


最初から、そのつもりだ。

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