第7話 冒険者試験
サイのおっちゃんとの模擬戦を終えた、その日の夕方。
翌日は、年に一度の冒険者登録試験が開かれる日だった。
後から考えてみれば、偶然なわけがない。
どうやらサイのおっちゃんは、最初から翌日の試験に合わせて、あの模擬戦を組んでいたらしい。
そんなことを、このときの俺が知るはずもなく。
「おい、おっちゃん。なんで明日が試験だって前もって教えてくれなかったんだよ」
「あ?」
「どうせ今日の俺じゃ、一本取れずに終わると思ってたんだろ」
俺はサイから手渡された推薦状をひらひらと振ってみせた。
「まあいいけどさ。今回はこれもあるしな」
三年間。
長かった。
本当に長かった。
走らされ。
殴られ。
転がされ。
山に籠もり。
ギルドで泥臭く働き。
そうしてようやく、あのサイのおっちゃんに認められた。
しかも手元には、元A級冒険者直筆の推薦状。
これだけのお膳立てがあれば、登録手続きなんて実質フリーパスのようなものだろう。
「これで俺も、晴れて冒険者の仲間入りかぁ」
思わず口元が緩む。
すると、おっちゃんが怪訝そうに眉をひそめた。
「おい、お前……何か根本的な勘違いをしてねえか?」
「え?」
「その推薦状はだな――」
「はいはい、分かってるって!」
俺は片手を上げて話を遮った。
今さら細かい小言を聞いている場合じゃない。
三年間ずっと固く閉ざされていた冒険者への扉が、ようやく目の前で開いたのだ。
頭の中は、もう試験のことでいっぱいだった。
「じゃあな、おっちゃん! 今日は早く帰って寝るよ。明日の朝は忙しいだろうし!」
「おい、ロイ!」
「また明日な!」
「だから待てっつーの――」
背後で何か言いたげな声が聞こえた気もする。
まあ。
気のせいだろう。
◇
翌朝。
冒険者ギルドの試験会場には、すでに大勢の若者が詰めかけていた。
誰も彼も、これから冒険者を目指そうという卵たちだ。
大剣を背負う者。
杖を携える者。
青ざめた顔で教本をめくり直している者。
三年前の俺なら、この列に並ぶ資格すらなかった。
《障壁》。
術式評価E。
硬貨一枚分。
あの結果を突きつけられたあと、俺は試験を受けるどころか、そのまま山へ籠もった。
だからこそ。
今日が、本当の第一歩だ。
「受験者の方は受付列へお並びください!」
係員の声がホールへ響く。
列の最後尾へ向かおうとしたところで、見覚えのある女性職員と目が合った。
「あら、ロイ?」
「おはよう」
「どうしてここにいるの?」
三年間ギルドの雑務を手伝っていたおかげで、職員たちとはすっかり顔馴染みだ。
ただし今回の試験官は王都から派遣されてきたらしく、見慣れない顔ばかりだった。
「どうしてって」
俺は胸を張り、懐から推薦状を差し出した。
「昨日、ようやくサイのおっちゃんから合格をもらったんだ。ほら」
「まあ!」
職員は推薦状の封筒を受け取ると、ぱっと表情を明るくした。
「ついにあのサイさんが認めてくれたのね! よかったじゃない!」
「へへっ、だろ?」
「本当におめでとう。今回の試験、合格するといいわね」
「…………」
ん?
「それにしても感心ね。あんなに厳しい修行をして、ギルドの仕事もこなして、その上で試験勉強まで両立してたなんて」
「…………」
「筆記試験、今年はかなり難問揃いだって聞いてるわよ?」
「…………」
……んん?
何かがおかしい。
俺はまじまじと職員の顔を見つめた。
「あのさ」
「何?」
「俺、推薦状持ってるんだけど」
「ええ」
「元A級冒険者の」
「そうね」
「サイのおっちゃん直筆のやつ」
「立派ね」
「……俺、試験って普通に受けるの?」
職員はきょとんと首を傾げた。
「当たり前じゃない」
「…………」
「どうしたの?」
「いや、その……推薦状があれば、実技の軽い確認くらいで通してもらえるのかな、と……」
「何を寝言言ってるのよ」
職員は呆れたように笑った。
「その推薦状はね、あなたを受験の土俵に立たせるためのものよ」
「……土俵に?」
「ロイの《障壁》、術式評価Eでしょう?」
「はい」
「普通なら、書類選考の時点で受験資格すら下りないわ」
「…………」
「でもサイさんが『実戦能力あり。受験させる価値あり』って保証してくれたから、特例で試験を受けられるの」
「…………」
嫌な汗が背筋を伝った。
「ということは」
「ええ」
「推薦状があっても」
「ええ」
「筆記試験は?」
「受けます」
「体力測定も?」
「受けます」
「魔物知識の問答も?」
「受けます」
「実技試験も?」
「もちろん」
「…………全部?」
「ぜーんぶ受けてもらいます」
満面の笑みで即答された。
俺は天井を仰いだ。
昨日、何かを言おうとしていたサイのおっちゃんの顔が鮮明に蘇る。
あれは気のせいなんかじゃなかった。
「おっちゃぁぁぁぁぁん!」
思わず叫ばずにはいられなかった。
「ほら、騒いでないで早く後ろの列に並びなさい!」
「聞いてないよそんなの!」
「サイさん、昨日ちゃんと説明しようとしてくれたんじゃないの?」
「……してくれようとしてました」
「ならロイが悪いでしょ」
「ぐうの音も出ない……」
結局。
三年間の努力が実を結び、晴れて冒険者へ。
なんて都合のいい奇跡ではなかった。
俺が勝ち取ったのは冒険者の資格じゃない。
ただ。
冒険者試験を受ける権利だった。
◇
最初の関門は筆記試験だった。
指定された席に着き、机の上に置かれた解答用紙の束を見下ろす。
「……多くないか、これ」
何十問あるんだ。
おまけに、俺は手元のペンをつまみ上げながら途方に暮れた。
「試験の解答用紙に向かうなんて、いつ以来だよ……」
三年前。
《障壁》を授かるまでは、それなりに座学もやっていた。
だが、それ以降は走る、殴られる、働く、山に籠もるの無限ループ。
いわゆる「試験勉強」なんて、まともにやった覚えがない。
「それでは――始めてください!」
合図とともに、教室内で一斉に紙をめくる音が響いた。
俺も観念して表紙を開く。
分からない問題は後回し。
解けそうなものから埋めていくしかない。
そう腹を括って――。
「……ん?」
一問目を見る。
『問一。赤牙狼三頭に追跡された際、最も避けるべき危険行動を一つ選べ』
「これって……」
次。
『問二。C級魔物《崖鳴猿》の縄張りへ侵入した際、警戒すべき行動特性を二点挙げよ』
さらに次。
『問三。前衛一名が負傷した四人編成パーティーにおいて、退却戦時に取るべき基本隊形を記せ』
野営時の風向きと火の扱い。
安全な水源の見極め方。
魔物の足跡から進行方向と個体規模を割り出す方法。
有毒草と薬草の見分け方。
悪路における荷物の重量配分。
視界不良地域で仲間とはぐれた場合の合流手順。
「…………」
俺はもう一度、一枚目を見直した。
これ。
全部。
「ギルドで毎日、耳にタコができるほど扱ってた内容じゃないか」
三年間。
討伐記録を片っ端から読み。
帰ってきた冒険者たちから話を聞き。
危険地帯の地図を書き直し。
荷物持ちとして実際の現場にも出た。
赤牙狼が追い詰められると右へ逃げやすいことも。
崖鳴猿が縄張りの境界へ小石を積み上げることも。
負傷者が出た際、誰がどの位置へ入るべきかも。
全部。
現場で教わった。
あるいは、自分で調べた。
「……なんだよ」
笑いそうになった。
机に向かって試験勉強なんてしてこなかった。
でも。
俺は三年間。
ずっと冒険者になるための勉強をしていたらしい。
◇
「そこまで! 筆記具を置いてください!」
ペンを置く。
結局、最後の問題まで全部書いた。
採点基準に合っているかは知らない。
少なくとも、白紙は一つもない。
「続いて体力測定を行います。受験番号順に外へ移動してください」
「体力か」
こっちは。
正直、筆記よりずっと安心だった。
持久走。
荷物を背負った状態での移動。
壁登り。
簡単な障害走。
「次、ロイ・フェルド!」
「はい!」
走る。
登る。
担ぐ。
また走る。
三年間、サイのおっちゃんに嫌というほどやらされてきたものばかりだった。
「……まだ走れるのか?」
「え?」
横を見れば、一緒に走っていた受験生が膝へ手をついている。
気づけば。
最後まで普通に立っていた受験生は、俺を含めて数人しかいなかった。
「これ……もしかして俺、結構体力ある?」
自分ではよく分からない。
比較対象が、ずっと元A級のサイだったからだ。
◇
「これより実技試験へ移行します。受験番号順に訓練場へ!」
「いよいよだな」
三年間。
サイのおっちゃんにどれだけ地面へ叩きつけられてきたと思っている。
多少の相手なら、後れを取る気はしない。
「受験番号二十七番、ロイ・フェルド」
「はい!」
試験官が書類を確認する。
「術式評価E。保有術式《障壁》」
ほんの一瞬、間が空いた。
まあ。
Eならそんな反応にもなるだろう。
「対戦相手、受験番号三十一番。ガイル・ベルグ」
訓練場の反対側から、一人の青年が入ってきた。
細身。
短く切りそろえた金髪。
右腕の周囲では、青白い火花がバチバチと弾けている。
そして。
俺の術式名が読み上げられた瞬間。
そいつの口元が、分かりやすく緩んだ。
「……ああ」
ガイルが俺の顔をじっと見る。
「やっぱりお前か」
「知り合いだったか?」
「三年前の適性検査だよ」
嫌な予感がした。
「俺もあの場にいたんだ」
「……なるほど」
「硬貨一枚分の《障壁》」
ガイルが鼻で笑う。
「覚えてるぜ。あれだけざわついて、出てきたのがあれだもんな」
こいつ。
あの日、あの場にいたのか。
「試験まで来たってことは、少しはマシになったのかと思ったけど」
俺の右手を見る。
「術式評価、まだEなんだろ?」
「ああ」
「なら、何も変わってないじゃないか」
……そう見えるよな。
三年間。
《障壁》そのものは、本当に何一つ成長していない。
でも。
こいつは知らない。
その三年間で。
俺自身が何を積み上げたかまでは。
「ガイル・ベルグ。術式評価C」
試験官が告げる。
「使用術式――《雷矢》」
バチッ。
ガイルの指先で鋭い火花が爆ぜる。
「……よりによって雷の術式か」
速い。
木剣なんかよりずっと速いはずだ。
放たれてから目で追うのは厳しいかもしれない。
でも。
三年間、サイのおっちゃんが容赦なく投げ続けてきた石を思い出す。
あれより速いだろうか。
「両者、構え」
俺は腰を落とした。
ガイルは余裕たっぷりの薄笑い。
「始め!」
「《雷矢》!」
腕が上がる。
指先が俺へ向く。
弓を引き絞るように肩が後ろへ沈む。
――来る。
ビュンッ!
青白い電光が走った。
俺は半歩だけ軸をずらす。
雷矢が頬の横をすり抜け、背後の地面を爆ぜさせた。
「……は?」
ガイルが目を見開いた。
俺も少し拍子抜けしていた。
確かに速い。
でも。
「なんの捻りもないのか……?」
「何?」
撃つ前に構える。
狙う。
撃つ。
一直線。
サイのおっちゃんのように視線で誘ってくるわけでもない。
軌道が途中で変わるわけでもない。
発動の瞬間も分かりやすい。
「《雷矢》!」
二発目。
頭を傾ける。
「なんでだ!」
三発目。
今度は一歩前へ。
斜め前へ流れるように避ける。
「なんで一発も当たらない!?」
ガイルの余裕が剥がれていく。
なるほど。
術式自体は強い。
速い。
威力もある。
でも。
術式が強いからといって。
使い手まで強いとは限らない。
「おい」
「な、なんだよ!」
「もし俺がEだからって手加減してるなら、遠慮はいらないぞ」
「手加減なんかしてるわけねえだろ!」
「……そっか。じゃあ、それが本気なんだな」
「っ……!」
怒った。
でも。
怒ればもっと読みやすい。
肩に力が入る。
視線が俺の胸へ固定された。
「《雷矢》ぁぁぁっ!」
来る。
俺は真正面へ走った。
「なっ!?」
観客がざわめく。
外から見れば。
雷の射線へ自分から突っ込んでいるように見えただろう。
でも違う。
雷を見てから避けてるんじゃない。
撃つ前に。
どこへ来るかを見ている。
右。
左。
前。
射線を外しながら、一気に間合いを詰める。
「く、来るな!」
「もう遅い」
懐へ潜る。
右拳。
「ふっ!」
ドスッ!
「ぐえっ……!?」
みぞおちへ一発。
ガイルの身体が折れ、そのまま膝から崩れ落ちた。
訓練場が静まり返る。
「…………」
俺も拳を下ろした。
試験官が目を瞬いている。
「しょ……勝者!」
一度名簿を見る。
「ロイ・フェルド!」
途端に、周囲がざわついた。
「今の何だ?」
「あいつEだろ?」
「術式使ったか?」
「いや、何も使ってねえぞ……」
その通り。
俺は術式を一度も使っていない。
ただ。
三年間。
死ぬほど攻撃を避ける訓練をしただけだ。




