第6話 三年間の答え合わせ
今なら分かる。
三年前には何も見えなかったサイのおっちゃんの動きにも、ちゃんと予兆がある。
右足へのわずかな重心移動。
肩の沈み込み。
腰の向き。
握られた木剣の角度。
それらを拾い集めれば、次に何が来るのか、いくつか候補を絞ることができる。
もちろん、すべてを完璧に読めるわけじゃない。
それでも三年前とは違った。
今の俺には、考える時間がある。
「ほう」
サイのおっちゃんが、ゆっくりと俺の周囲を回り始めた。
俺も歩調を合わせ、一定の距離を保ちながら位置をずらす。
「俺の間合いに合わせて、自分が有利な位置を取り続けるか」
おっちゃんは木剣を肩に担いだ。
「成長したな」
「あれだけ毎日あざだらけ、泥だらけにされりゃな」
俺も腰を低く落とす。
「嫌でも――いや、死ぬ気で覚えるさ」
「ふん」
おっちゃんの口元が吊り上がった。
「なら、行くぞ」
ビュンッ!
踏み込んできた。
今なら目で捉えられる。
いや、視線だけに頼るな。
肩。
腰。
剣先。
右から袈裟斬り――。
違う。
剣筋が途中で止まった。
「……っ!」
咄嗟に半歩引く。
直後、木剣ではなく、おっちゃんの分厚い拳が鼻先をかすめた。
「よくフェイントだと見抜いたな」
「……何年、あんたにボコボコにされてきたと思ってんだよ」
本当なら軽口でも返したいところだが、そんな余裕はない。
サイのおっちゃんが間髪入れずに踏み込んでくる。
速い。
右上。
左横。
足元。
喉元。
鋭い連撃が次々と襲ってくる。
全部を受け止めようとするな。
見極めろ。
躱せるものは躱す。
どうしても避けられない一撃だけ――。
「――《障壁》!」
ガキンッ!
木剣の切っ先が、空中に固定された透明な円盤へ激突した。
「なに……!?」
サイのおっちゃんの顔に、初めてはっきりと驚きが浮かぶ。
狙ったのは、木剣の速度が最大になる瞬間じゃない。
振り下ろされる直前。
まだ十分に体重も勢いも乗り切っていない位置へ、《障壁》を先回りさせて差し込んだ。
真正面から力比べする必要なんてない。
完成する前に軌道を崩せばいい。
「まだだ!」
五秒。
持続限界を迎えた《障壁》が、淡い光の粒になって掻き消える。
即座にもう一度展開。
その瞬間。
ふと一つの考えが浮かんだ。
これまで俺は、《障壁》を相手の攻撃が来る場所へ置いてきた。
だったら。
防ぐためじゃなく。
俺が攻撃する場所へ、先に置いたらどうなる?
右拳を握る。
その数センチ前へ。
「《障壁》!」
硬貨サイズの円盤が浮かぶ。
同時に、サイのおっちゃんの木剣が迫った。
俺は拳を真っ直ぐ突き出す。
素手で木剣を殴るんじゃない。
拳の前にある《障壁》をぶつける。
カキンッ!
「っ!?」
木剣が弾かれた。
拳は痛くない。
「……できる」
「お前……!」
「これなら、素手でも剣と打ち合える!」
障壁は攻撃できない。
でも。
俺が拳を振るえば、その力を障壁越しに叩き込める。
「面白え!」
初めて見る顔だった。
いつもの世話焼きなサイのおっちゃんじゃない。
元A級冒険者。
戦いそのものを楽しむ男の顔。
「楽しくなってきたじゃねえか、ロイ!」
「こっちは楽しむ余裕なんてねえんだよ!」
カンッ!
キンッ!
ガキンッ!
木剣と硬貨障壁が激しくぶつかる。
躱す。
逸らす。
また躱す。
どうしても間に合わない一撃だけ、《障壁》を置く。
それでも。
きつい。
呼吸が乱れる。
両脚が重い。
頭が焼けるように熱い。
一瞬でも集中を切れば、その瞬間に終わる。
しかも。
持久戦なら、間違いなくサイのおっちゃんが勝つ。
技量。
実戦経験。
基礎体力。
全部、向こうが上だ。
だったら。
長引かせるな。
考えろ。
思考を止めるな。
「うおおおおっ!」
「気合いだけで俺の剣が止まるか!」
分かってる。
全部弾く必要はない。
紙一重で躱せ。
危険な一撃だけ止めろ。
極限まで集中した、そのとき。
不意に。
周囲の流れが少しだけゆっくりになったような気がした。
いや。
サイのおっちゃんが遅くなったわけじゃない。
俺が。
三年間見続けてきた動きに、ようやく追いついてきたんだ。
右肩。
次は横薙ぎ。
腰が沈む。
踏み込み。
視線が一瞬、俺の右へ流れる。
フェイント。
本命は――左。
「くっ……!」
サイのおっちゃんの笑みが、わずかに薄れる。
攻撃を読まれている。
そう感じたのかもしれない。
でも。
勘違いしちゃいけない。
俺がA級冒険者の動きを全部読めるようになったわけじゃない。
サイのおっちゃんだから分かる。
三年間。
何度も何度も、こいつに殴られた。
木剣で叩かれた。
投げられた石を躱した。
その中で嫌というほど覚えた。
踏み込みの癖。
呼吸。
仕留めようとするときの前傾姿勢。
わざと隙を見せるときの視線。
初めて戦うA級相手なら、こうはいかない。
それでも。
今、この相手なら。
読める。
「動きが鈍ったな、ロイ」
サイのおっちゃんが言った。
「三年鍛えたところで、やっぱり付け焼き刃か」
来る。
その言葉自体が誘いだ。
焦って攻めに出たところを叩くつもり。
「また一から稽古のやり直しだな!」
鋭い踏み込み。
来た。
俺はわざと体勢を崩した。
「――っ!」
サイのおっちゃんの目が鋭くなる。
食いついた。
木剣が伸びる。
狙いは左肩。
そこへ――。
カンッ!
「なにっ!?」
木剣が、何もないはずの空間で止まった。
いや。
何もないわけじゃない。
そこにはすでに。
硬貨一枚分の《障壁》が置いてある。
攻撃を見てから出したんじゃない。
来ると読んで。
先に置いておいた。
「お前……」
「そこに来ると思った」
「一歩読みを違えれば、お前の負けだったぞ!」
「ああ」
俺は止まった木剣の腹を左手で掴んだ。
「だから――今回は、読み違えなかった」
「っ!」
木剣を引かれる前に、一気に懐へ潜り込む。
三年前。
この距離へ入ることすらできなかった。
でも。
今は違う。
右拳を引く。
その数センチ前へ。
「《障壁》!」
硬貨一枚分の透明な円盤。
踏み込み。
腰。
肩。
拳。
三年間鍛えた身体全部を、一点へ。
「これで――!」
振り抜く。
「終わりだぁぁっ!」
ドンッ!
拳の先の《障壁》が、サイのおっちゃんの腹へ叩き込まれた。
「ぐっ……!」
巨体が後ろへよろめく。
一歩。
二歩。
木剣が地面へ落ちた。
俺も荒い息を吐きながら、その場に立ち尽くす。
「はぁ……はぁ……」
勝った。
――なんて思うほど、俺も馬鹿じゃない。
本気の殺し合いなら、結果は分からない。
サイのおっちゃんは最後まで俺を殺さないように戦っている。
それに。
今日読めたのも、三年間戦い続けた相手だからだ。
それでも。
三年前。
姿すらまともに追えなかった男を。
今日初めて。
この手で二歩、後ろへ下がらせた。
「……は」
サイのおっちゃんが腹を押さえた。
「はは」
そして。
「はははははっ!」
訓練場に大きな笑い声が響いた。
「……何がおかしいんだよ」
「いや」
目元を拭う。
「悪かった」
木剣を拾い上げる。
それから。
三年前とはまるで違う目で、俺を見た。
一人の子供じゃない。
一人の戦士を見る目だった。
「ロイ」
「ああ」
「お前、本当に三年間やりやがったな」
「言っただろ」
「そうだったな」
少しだけ沈黙。
そして。
「――合格だ」
「……え?」
「俺の稽古は、だ」
「そっちかよ!」
「冒険者資格を俺一人で勝手に出せるわけねえだろ」
「ちょっと期待しただろ!」
「だが」
サイのおっちゃんが、にやりと笑った。
「冒険者試験を受けてこい」
「……!」
「推薦状は俺が書いてやる」
胸の奥で。
三年間ずっと閉ざされていた扉が。
ようやく。
少しだけ開いた気がした。
「ありがとうございます、師匠」
「気持ち悪いからやめろ」
「サイ先生」
「もっとやめろ」
「おっちゃん」
「それでいい」
三年前と同じ呼び方に戻った。
でも。
俺とサイのおっちゃんの間にあるものは。
もう、三年前とは少しだけ違っていた。




