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第4話 硬貨一枚なら、当てればいい

 どうやら俺の《障壁》は、岩を砕くくらいには硬いらしい。


 だったら。


「……これ、防御だけじゃなくて攻撃にも使えるんじゃないか?」


 思いついたら試す。


 それが一番早い。


「《障壁》」


 ぽわん。


 いつもの硬貨サイズの円盤が浮かぶ。


 そのまま、少し離れた木の幹へ向けて動かしてみた。


「行け!」


 すーっ。


 障壁が飛んでいく。


 いや。


 飛んでいく、というほど速くない。


 ふわふわと頼りなく進んで――。


 こん。


 木の幹に当たって止まった。


「…………」


 当然、木は無傷だった。


「弱っ」


 昨日、岩を砕いた勢いはどこへ行った。


 何度か試してみて、少しずつ分かってきたことがある。


 まず、《障壁》を出せるのは俺を中心にだいたい五メートル以内。


 その範囲なら、ある程度自由に位置を動かせる。


 ただし、一度出した障壁を保てるのは今のところ五秒ほど。


 しかも、俺の身体から離れるほど安定しなくなる。


 一メートル。


 問題なし。


 二メートル。


 少しふらつく。


 五メートル近くまで離すと、物に押されただけでも簡単に位置がずれる。


 逆に。


 障壁を手元へ引き戻す。


 指先のすぐ前。


「……やっぱり、近い方が安定するな」


 昨日、大石を叩きつけたときもそうだった。


 障壁そのものが岩を砕いたわけじゃない。


 俺が岩を全力で叩きつけた。


 その衝撃を障壁が一歩も引かずに受け止めたから、岩の方が耐えきれずに割れた。


「ってことは……」


 障壁そのものを飛ばして敵を倒すのは難しそうだ。


 でも。


 硬さだけは本物。


 使い方次第では、防御以外にも何かできるかもしれない。


「うーん……」


 考える。


 考える。


 さらに考える。


「……分からん」


 十五歳の俺に、いきなり未知の術式を使った新しい戦い方を考えろという方が無茶だった。


 こういうとき。


 頼れる人間が一人いる。


     ◇


「おーい、サイのおっちゃん」


 その日の夕方。


 俺は一度山を下り、冒険者ギルドの訓練場へ顔を出した。


「お前……」


 木剣を片付けていた大男が、呆れた顔で振り返る。


 サイ。


 父ちゃんと同じパーティーで戦っていた、元A級冒険者だ。


 冒険者を引退した今は、ギルドで新人の試験や訓練を担当している。


 顔は怖い。


 身体もでかい。


 声もでかい。


 初対面の子供なら、たぶん泣く。


 でも。


 俺が両親を亡くしたあと、何かと面倒を見てくれたのもこの人だった。


 飯をちゃんと食っているか確認しに来る。


 壊れた家の屋根を直してくれる。


 俺が無茶をすれば怒鳴る。


 そして最後には、なんだかんだ手を貸してくれる。


 いかつい見た目とは正反対なくらい、面倒見がいい。


「山に籠もったって聞いたぞ」


「早いな、情報」


「お前が食料と術式本を山ほど抱えて歩いてりゃ、嫌でも耳に入る」


「なるほど」


「それで?」


 サイのおっちゃんが腕を組む。


「まさかとは思うが、まだ冒険者になるつもりじゃないだろうな」


「そのまさかだ」


「…………」


 深いため息。


「ロイ」


 声が変わった。


 冗談を言うときの声じゃない。


「これは真面目に聞いてる」


「ああ」


「今のお前が冒険者になったら、死ぬぞ」


 俺は黙って聞いた。


「お前が努力してきたのは知ってる。剣も振った。身体も鍛えた。頭だって悪くない」


「褒めすぎるなよ」


「最後まで聞け」


「はい」


「だが、外に出りゃ努力だけじゃどうにもならん相手がいる。俺はお前の親父たちに、あの世で『息子を何してくれてんだ』って殴られたくねえ」


「父ちゃん、多分殴るな」


「だろ?」


「母ちゃんも蹴ると思う」


「もっと嫌だわ」


 思わず笑った。


 でも。


 俺の答えは変わらない。


「本気だよ」


 サイのおっちゃんを見る。


「だから来た」


「何?」


「俺の戦い方を見てくれ」


 懐から硬貨を一枚取り出した。


「俺の《障壁》、これくらいしかない」


「ああ」


「でも、めちゃくちゃ硬い」


「それで?」


「まだ分からん」


「…………」


「だから、元A級冒険者に教えてもらおうと思って」


 サイのおっちゃんはしばらく俺を見ていた。


 そして。


「はぁぁぁぁ……」


 今日一番長いため息をついた。


「分かった」


「お?」


「そこまで言うなら、一回だけ付き合ってやる」


 訓練場の端に立てかけてあった木剣を一本取った。


「お前の術式も、戦い方も、全部見てやる」


 木剣を肩に担ぐ。


「その代わり――」


 サイのおっちゃんの目から、さっきまでの優しさが消えた。


 ぞくりとした。


 初めて見る。


 元A級冒険者の目だった。


「俺相手に何もできなかったら、冒険者なんて馬鹿な夢は諦めろ」


「……望むところだ」


     ◇


「ほらよ」


 サイのおっちゃんが木剣を一本放り投げてきた。


 慌てて受け止める。


「構えろ。少しだけ本気で行くぞ」


「……少しだけ、だろ?」


「ああ」


 嫌な笑みを浮かべている。


 俺も木剣を構えた。


 ――次の瞬間。


 消えた。


「え?」


 視界から、サイのおっちゃんの姿が完全に掻き消えた。


 何が起きたのか理解するより早く。


 ドンッ!


「ぐふっ……!」


 みぞおちに強烈な衝撃が走った。


 気がつけば、俺は地面を転がっていた。


 一拍遅れて、内臓が焼けるような痛みが突き上げてくる。


「いっ……てぇ……!」


「骨は折っちゃいねえ。加減はした」


「これで加減したのかよ……!?」


「今の程度、C級の前衛なら普通に対応してくるぞ」


 嘘だろ。


 以前、遊び半分で相手をしてもらったときとは次元が違った。


 辛うじて何かが動いたことしか分からない。


 何をされたのかは、ほとんど見えなかった。


「俺の術式は《剣術》だ」


 サイのおっちゃんは木剣を肩に担いだ。


「術式評価はC」


「……C?」


「そうだ」


 元A級冒険者。


 それほどの男の術式が、術式評価C。


「術式がCでも、身体を鍛え、実戦を積み、剣を何万回と振ればA級にだって届く」


 サイのおっちゃんが俺を見下ろす。


「だから俺は、お前に『Eだから諦めろ』と言ってるわけじゃない」


 その言葉が胸に刺さった。


「今のままのお前じゃ、死ぬと言ってるんだ」


「……」


「外には俺より強い連中がいくらでもいる。凶悪な魔物もいれば、何を仕掛けてくるか分からん外道もいる」


 おっちゃんは背を向けた。


「お前は頭が回る。術式の知識もある。ギルドでそれを生かせ。冒険者になることだけが人生じゃない」


 分かっている。


 これがサイのおっちゃんの優しさなのも。


 両親に続いて俺まで死んだら、あの世の父ちゃんと母ちゃんに顔向けできない。


 だから。


 ここで俺に諦めさせようとしている。


 でも。


 ドクン。


 胸の奥が熱く脈打った。


 父ちゃんが語ってくれた英雄譚。


 憧れ、追いかけ続けた背中。


 そして――。


『怖いよ、ロイ』


 泣いていたリン。


『私の、英雄様』


「……無理だ」


 サイのおっちゃんが足を止めた。


「何だと?」


「ここで諦める方が、よっぽど無理だって言ってんだよ」


 木剣を杖代わりにして立ち上がる。


 足は震えている。


 腹も痛い。


 怖い。


 それでも立つ。


「俺は約束した」


「威勢だけで渡れる世界じゃないぞ」


「そんなの百も承知だ!」


 だから考えろ。


 頭を回せ。


 今の俺は弱い。


 サイのおっちゃんに真正面から剣で勝てるわけがない。


 同じ土俵で戦えば、百回挑んで百回負ける。


 持たざる者が強者に勝つなら。


 同じ戦い方をしてちゃ駄目だ。


「もう一回だ」


「……」


「頼む。もう一回やってくれ」


 サイのおっちゃんはしばらく無言で俺を見ていた。


 やがて短く息を吐く。


「後悔するなよ」


 再び構える。


 俺も木剣を握り直し――。


 違う。


 木剣じゃない。


 これで戦おうとするから負けるんだ。


 俺は木剣を地面へ放り捨てた。


「ほう」


「剣術で元A級に敵うわけないだろ」


「やっと理解したか」


「だから、俺のやり方でいく」


 両手を空ける。


 サイのおっちゃんが、わずかに腰を落とした。


「その割り切りの良さは買ってやる」


 一歩。


「だが――目だけで俺を追いきれるか?」


 消える。


 来る。


 目だけで追うな。


 足音。


 地面を蹴る音。


 肩の動き。


 風。


 全部使え。


「ここだ!」


 無我夢中で身体を横へ投げる。


 ブンッ!


 木剣が鼻先すれすれを通過した。


「おっ」


 避けた。


 初めて。


「悪くない」


 サイのおっちゃんが獰猛に笑った。


「だが、逃げ回るだけじゃ勝負にならんぞ」


「分かってるっての!」


 二撃目。


 ブンッ!


「ぐっ……!」


 脛を正確に払われた。


 足の踏ん張りが利かず、その場へ崩れ落ちる。


「ほら見ろ。身体が持たんぞ」


「……まだだ。もう一回!」


 泥を舐めながら、また立ち上がる。


     ◇


 何度地面へ叩きつけられたか、もう数えていなかった。


 肩。


 脇腹。


 太もも。


 背中。


 全身が悲鳴を上げている。


 それでも。


 打たれ続けるうちに、一つずつ分かってきた。


 サイのおっちゃんが本当に消えているわけじゃない。


 俺が見る場所を間違えていただけだ。


 木剣の軌道全部を追おうとするから、目が追いつかない。


 身体の動き全部を見ようとするから、反応が遅れる。


「もう一回!」


「まだ立つか」


「当たり前だ!」


 サイのおっちゃんが地面を蹴る。


 右肩が微かに引かれた。


 斜め上から来る。


 避ける――。


 いや。


 間に合わない。


 だったら。


「《障壁》!」


 ぽわん。


 透明な円盤が胸元に出現した。


 だが。


 木剣は、そのすぐ横を抜けていく。


 バシンッ!


「がはっ!」


「的が小さすぎるんだよ」


「……言われなくても知ってる!」


 歯を食いしばって立つ。


 次。


「《障壁》!」


 今度は顔の前。


 だが、木剣は腹へ。


「ぐふっ……!」


「だから、出す場所を考えろ」


 場所。


 出す場所。


 身体を守ろうとするから駄目なのか?


 硬貨一枚しかない。


 こんな小さな面積で、全身を覆う盾の代わりなんてできるわけがない。


 なら――。


 そもそも。


 全身を守る必要があるのか?


「……あ」


 サイのおっちゃんが再び駆けてくる。


 速い。


 でも。


 俺が止める必要があるのは、あの巨体じゃない。


 木剣全部でもない。


 俺の身体に触れる。


 たった一点。


 そこだけなら。


「……いける」


「何?」


 木剣が迫る。


 見るのは、その先端だけ。


 どこへ来る。


 いつ届く。


 あと少し。


 まだ。


 まだ――。


「ここだっ!」


 《障壁》。


 カンッ!


 これまでとは違う、澄んだ硬質な音が訓練場に響いた。


「……なにっ!?」


 サイのおっちゃんの木剣が、俺の頬を打つ寸前で横へ弾かれていた。


 鼻先、わずか数センチ。


 そこに浮かんでいるのは。


 硬貨一枚分の透明な障壁。


 俺自身も、呆然とそれを見る。


「……止まった」


 サイのおっちゃんも、木剣と障壁を交互に見つめている。


「お前……今……」


「おっちゃん」


「なんだ」


「もう一回」


「……は?」


 全身の痛みを忘れるくらい、笑いが込み上げてきた。


 分かった。


 そういうことだったんだ。


 障壁を大きくする必要なんてなかった。


 俺の身体全部を守る必要もない。


 攻撃が当たる場所へ。


 その瞬間だけ。


 硬貨一枚を置けばいい。


「もう一回来いよ」


 両拳を構える。


「次は、もっとちゃんと当てる」


 俺の《障壁》は。


 その日も一ミリたりとも大きくならなかった。


 でも――。


 その日初めて。


 硬貨一枚の《障壁》が、俺の戦い方になった。

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