第3話 障壁は一ミリも大きくならなかった
翌朝。
リンを迎えにやってきた王国の馬車は、想像していたよりずっと立派だった。
白馬が二頭。
王国の紋章が刻まれた車体。
護衛の兵士までついている。
昨日まで村の子供たちと花冠を作っていた少女を迎えに来るには、どう考えても大げさだ。
乗車口の前で、リンは何度もこっちを振り返った。
「大丈夫だ、リン」
「……うん」
「俺を信じて待ってろ」
「今のロイが言っても、あんまり説得力ないよ」
「うるさい」
少し笑い合う。
でも、リンの顔にはすぐ不安が戻った。
兵士が静かに出発を促す。
リンは馬車へ向かって一歩進み――途中で振り返った。
「ロイ」
「ん?」
「待ってるから」
小さな声だった。
それから、少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「あの時みたいに、助けに来てね」
一拍置いて。
「私の、英雄様」
「……おう」
何のことかは分かっていた。
俺たちの親が死んだ、あの日。
あれ以来、俺はこいつの前でだけは格好つけると決めている。
「任せとけ」
今度は迷わず答えた。
リンも頷く。
「私も、ちゃんと強くなって待ってる」
「ああ」
「だから遅すぎたら置いてくからね」
「三年待て」
「長いよ」
「じゃあ二年」
「それでも長い」
最後に、いつものリンらしく笑った。
馬車が動き出す。
リンは窓からずっと手を振っていた。
俺も、その姿が見えなくなるまで振り返した。
そして。
馬車が街道の向こうへ消えたその日から。
俺は山へ籠もった。
◇
村から半日ほど登った山の中に、小さな山小屋がある。
父ちゃんたちが昔、狩りや修練に使っていた場所だ。
両親が死んでからは、ずっと放置されていた。
近くには湧き水。
少し下れば川。
山菜も取れる。
小屋には古い寝台と竈も残っていた。
しばらく暮らすには十分だ。
「さて」
荷物を床へ置く。
剣。
食料。
着替え。
それから、かき集めてきた術式の本。
まずやることは一つ。
《障壁》の正体を調べる。
適性盤の前では硬貨一枚分しか出なかった。
でも、未知の術式なのだ。
何かある。
そう思っていた。
「――《障壁》」
ぽすん。
目の前に、半透明の円盤が浮かぶ。
硬貨一枚分。
「……まずは大きさだな」
両手を広げる。
「広がれ」
変わらない。
「もっと」
変わらない。
「せめて手のひらくらい!」
変わらない。
◇
数時間後。
「うおおおおおっ! でかくなれええええ!」
変わらなかった。
俺は草の上へ大の字になった。
「……駄目だ」
雲が流れている。
大きさ。
変化なし。
枚数。
一枚。
二枚目を無理やり出そうとすれば、頭が割れそうに痛むだけ。
「攻め方を変えるか」
小屋へ戻った。
持ってきた本を片っ端から広げる。
結界術式。
防護術式。
似ているものはいくつかあった。
でも、どれも違う。
結界なら最低でも人ひとりくらいは覆う。
防護術式なら身体そのものを術式の力で覆う。
硬貨一枚分だけを守る術式なんて、どこにも載っていない。
「ほんとに何なんだよ、これ」
右手を見つめた。
昨日。
リンに「守る」と言った瞬間。
胸の奥で何かが動いた。
あれは何だったんだろう。
気のせいと言われれば、それまでだ。
それでも妙に引っかかる。
まるで――。
ずっと眠っていた何かが、俺の声を聞いて。
ほんの一瞬だけ、こちらを向いたような。
「……考えてても分かんねえか」
だったら実験するしかない。
俺は外へ出て、拳ほどの石を拾った。
《障壁》を出す。
「次。硬さ」
石を振り下ろす。
カツンッ。
石が弾かれた。
「お?」
もう一回。
カンッ。
さらに強く。
ガンッ!
「……おお?」
障壁には傷一つない。
なら。
もっと大きな石。
両手で持ち上げ、真上から叩きつける。
ゴツンッ!
割れたのは石だった。
「…………」
俺は障壁を見る。
相変わらず硬貨一枚分。
小さい。
笑えるくらい小さい。
でも。
「これ……」
足元に転がった石を見る。
「もしかして、桁外れに硬いんじゃないか……?」
その日。
俺の《障壁》は、一ミリも大きくならなかった。
代わりに俺は初めて。
この小さすぎる術式に、ちゃんとした可能性を見つけた。
そしてここから。
三年間かけて、俺の方をこの障壁に合わせていくことになる。




