第2話 剣聖は王都へ行く
あの日、俺は逃げるように家へ帰った。
リンの隣にいるのが、どうしようもなく惨めで恥ずかしかった。
《剣聖》と《障壁》。
最高評価と最低評価。
並んで歩いているだけで、周りから比べられている気がした。
帰り道、リンが何度も俺の腕を掴もうとした。
それすら振りほどいた。
最低だったと思う。
でも、あのときの俺には自分のことで精いっぱいだった。
◇
翌朝。
ドンドン、と扉を叩く音で目を覚ました。
「ロイ、いる?」
リンの声だった。
俺は布団を頭まで引っ被った。
「……ごめん。一人にしてくれ」
「お願い。少しだけでいいから話を聞いて」
「今日は誰とも話したくない」
「私、王都へ行くことになったの」
跳ね起きた。
「……は?」
「急に決まったの。明日の朝には村を出なきゃいけないって」
俺はしばらく扉を見つめた。
それから観念して鍵を開ける。
そこに立っていたのは、昨日《剣聖》を発現した少女。
でも。
俺の知っている、いつものリンだった。
肩まで伸びた柔らかい髪。
少し困ったように下がった眉。
不安になると、服の裾を指で摘まむ癖。
昨日の俺は、自分が術式評価Eだったことしか見えていなかった。
リンだって、いきなり《剣聖》なんてものを背負わされたのだ。
「昨日は……悪かった」
「ロイが謝ることじゃないよ」
「お前の手、振りほどいただろ」
「……うん」
「だから、それは俺が悪い」
リンは少しだけ笑った。
でも次の瞬間。
「……っ」
顔を伏せた。
「リン?」
小さく鼻をすする音がした。
「おい。泣いてるのか?」
「泣いてない」
「泣いてるだろ」
「泣いてないってば」
「どこか痛いのか? 昨日、誰かに何か言われた?」
リンはふるふると首を横に振った。
「違うの」
ぽろり、と涙が落ちた。
「なんか……いろんなことが、一気に起きすぎて」
「……うん」
「昨日まで普通だったのに。《剣聖》が出た途端、偉い人たちがたくさん来て……王都の学校に入らなきゃいけないって」
特に希少な術式を発現した者は、王都で専門教育を受ける。
知識としては知っていた。
でも、自分の幼馴染がその対象になるなんて考えたこともなかった。
「私、剣なんてちっとも好きじゃないのに」
絞り出すような声だった。
「人と戦ったことだってないし……お花の冠を作ったり、小さい子たちのお世話をしてる方が好きなのに」
知っている。
リンは争い事が嫌いだ。
虫一匹殺すのにも迷う。
誰かが転べば真っ先に駆け寄るし、両親を亡くして塞ぎ込んでいた頃の俺のところへ、毎日のように顔を出してくれた。
「怖いよ、ロイ……」
その一言で。
昨日から胸の中に溜まっていたものが、一気に馬鹿らしくなった。
俺は何をやっていたんだ。
自分の術式評価がEだった。
リンが《剣聖》だった。
そんなことで勝手に惨めになって、一番怯えているこいつを突き放した。
「……俺が」
「え?」
言いかけて止まる。
何を言おうとしている。
俺に使えるのは、硬貨一枚分の《障壁》だけ。
一方のリンは《剣聖》。
普通に考えれば、守られるのは俺の方だ。
だけど。
リンの前では格好つけるって、とっくに決めたじゃないか。
両親を失った、あの日から。
だったら。
「俺がお前を守ってやる」
リンが目を丸くした。
「……ロイ?」
「今は無理だけどな」
「そこ、わざわざ言わなくてもよくない?」
「嘘ついてもしょうがないだろ」
リンが涙を浮かべたまま笑った。
「でも、すぐ追いつく」
俺は自分の胸を叩いた。
「王都だろうが《剣聖》だろうが関係ない。俺も冒険者になって、そこまで行く」
「……うん」
「だから心配すんな」
「うん」
「それまで勝手にくたばるなよ」
「それ、こっちの台詞だよ」
リンは涙を拭った。
そして少しだけ迷ってから、今度は俺を真っ直ぐ見た。
「私も頑張る」
「え?」
「怖いけど……《剣聖》になっちゃったなら、ちゃんと使えるようになりたい」
小さく拳を握る。
「ロイに守ってもらうだけじゃ嫌だから」
「……そっか」
「次に会ったとき、びっくりさせるから」
「だったら俺の方がびっくりさせてやるよ」
「勝負だね」
「ああ」
今度は、二人ともちゃんと笑った。
――その瞬間だった。
カチリ。
胸の奥深くで。
今まで噛み合っていなかった何かが、ほんの一目盛りだけ動いた。
「……?」
「どうしたの?」
「いや」
周りを見ても、何も変わっていない。
気のせいだと思った。
このときはまだ。
それが俺の《障壁》に起きた、最初の変化の兆しだったなんて。
知るはずもなかった。




