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第1話 硬貨一枚分の障壁

「え……嘘でしょ」


 エステル・アルヴェインが、珍しく目を見開いていた。


「なんで防げたのよ。あなた、E級でしょう?」


 驚くのも無理はない。


 なにせ――逸らした俺自身が、一番驚いていたのだから。


 俺とエステルが向かい合っていた森の空き地は、爆撃でも受けたように黒く焼け焦げている。


 彼女の足元から俺へ向かって放射状に伸びる焦土。高熱で地面はひび割れ、あちこちから白い煙を噴き上げていた。


 それなのに。


 俺の背後だけが、不自然なほど細長く無傷のまま残っていた。


「……あっぶねえ」


 本当に口から煙が出そうだった。


 防いだ――というのも少し違う。


 《星墜灼光》の直撃は逸らした。


 だが、吹き荒れた熱波と衝撃までは消えてくれない。


 上着の袖は焦げ、頬はひりつき、全身が殴られたみたいに痛む。


 それでも。


 俺は立っていた。


 真正面から放たれた、エステルの奥義――《星墜灼光》。


 その一撃を、俺は目の前で二つに割って逸らしたのだ。


「殺す気配分ゼロの威力じゃねえだろ!」


「ち、違うわよ!」


「地面、ドロドロに溶けてるけど?」


「あなたの首の横を通すつもりだったの! 威力だって落としてたし!」


 慌てふためく様子を見るに、本当にそのつもりだったらしい。


 せいぜい俺の横を派手に焼いて、腰でも抜かせるつもりだったのだろう。


 たぶん。


「術式評価Sってのは威力だけか? コントロールはE級冒険者並みだな」


「誰がE級よ!」


「誰のことだろうな?」


 俺がにやりと笑う。


 エステルは一瞬ぽかんとしてから、意味を察したらしい。


「う……嘘でしょ」


 さっきとは別の意味で顔を赤くした。


 こいつ、意外とからかいに弱い。


 とはいえ、一番混乱しているのはエステルの方だろう。


 《星墜灼光》は、炎系術式を応用したエステルの奥義だ。


 本来よりかなり威力を落とし、射線も細く絞っていた。


 それでも、並の防壁ならまとめて焼き抜く一撃だ。


 なのに。


 その一撃は俺の目の前の一点で軌道を崩し、真っ二つに割れて左右へ逸れた。


 理由は一つしかない。


 俺は右手を開いた。


 手のひらから二十センチほど先。


 何もない空中に、半透明の円盤が浮かんでいる。


 大きさは――硬貨一枚分。


 俺が使える、唯一の術式。


 《障壁》。


 三年前。


 十五歳だった俺が、この名を初めて知ったとき。


 困惑より先に湧いてきたのは――とんでもない期待だった。


     ◇


 適性盤に浮かんだ文字は、たった二文字だった。


 《障壁》


「障壁……?」


 思わず呟いた。


 知らない術式だった。


 十五歳になるまで、術式についてはかなり調べたつもりだ。


 炎を放つ攻撃術式。


 身体能力を高める強化術式。


 傷を癒やす治癒術式。


 遠くの気配を探る感知術式。


 珍しいところでは召喚術式なんてものもある。


 有名な術式なら、だいたい頭に入れていた。


 なのに《障壁》なんてものは、一度も聞いたことがない。


 ということは。


「……これ、もしかして当たりを引いたんじゃないか?」


 口元が勝手に緩んだ。


 誰も知らない。


 誰も使ったことがない。


 俺だけの術式。


 十五歳の少年を舞い上がらせるには、それだけで十分すぎた。


 父ちゃんは昔、よく英雄譚を聞かせてくれた。


 誰にも知られていない力を手に入れた少年が、最初は笑われながらも強くなり、やがて世界を救う。


 そんな物語に、ずっと憧れていた。


 まずは冒険者になる。


 S級まで駆け上がる。


 ドラゴンだってばったばったとなぎ倒す。


 近接向きの術式が出るのか、遠距離向きの術式が出るのか分からなかったから、どっちに転んでもいいように、子供の頃から身体を鍛えた。剣も振った。術式理論だって独学で勉強した。


 同年代の喧嘩なら負けたこともない。


 そこへ来て、この未知の術式だ。


 わくわくしない方がおかしい。


「やっぱりロイはすごいね!」


 隣から弾んだ声がした。


 幼馴染のリンが、俺以上に目を輝かせている。


「まだ何も試してないぞ?」


「でも、誰も知らない術式なんでしょ?」


「まあな」


 悪くない気分だ。


 いや、最高だった。


 順番を待っていた周囲の連中もざわつき始める。


「障壁って何だ?」


「新種の術式か?」


「おいロイ、早く見せろよ!」


「もったいぶるな!」


「はいはい、分かったから」


 俺は得意満面に右手を突き出した。


 今振り返れば、あのときの自分を殴り倒してでも止めたい。


 せめてもう少し謙虚な顔をしておけ、と。


「――《障壁》!」


 空間が淡く光った。


 おおっ、と周囲から歓声が上がる。


 俺自身も息を呑んだ。


 透明な何かが形を作っていく。


 そして。


「…………」


「…………」


「…………」


 誰も喋らなくなった。


 目の前に浮かんでいたのは、小さな透明の円盤だった。


 本当に小さい。


 硬貨一枚とほとんど変わらない。


「あれ?」


 思わず瞬きを繰り返す。


 登録官が困った顔で声をかけてきた。


「……もう少し大きくできますか?」


「え?」


「その障壁です。もう少し広げてみてください」


「いや、これで最大ですけど」


「……では、もう一枚展開できますか?」


「出ません」


「…………」


「…………」


 さっきまで囃し立てていた連中の視線が痛い。


 登録官はなんとも言えない顔で、記録用紙へペンを走らせた。


 嫌な予感がして、そっと机の上を覗き込む。


 術式評価。


 そこに記された文字は――。


 E。


 最低評価だった。


「……嘘だろ」


 俺の英雄譚は、始まって三十秒で終わった。


 その直後だった。


「次の方。リン・アステリアさん」


「は、はい!」


 リンがおずおずと俺の袖から手を離し、適性盤の前へ進む。


 彼女が手を触れた瞬間。


 俺のときとは比べものにならない閃光が、部屋全体を埋め尽くした。


「うわっ……!」


 思わず腕で目をかばう。


 会場のざわめきが、ぴたりと止まった。


 光が引いたあと。


 適性盤に浮かんでいたのは――。


 《剣聖》


 その二文字を知らない人間など、この国にはほとんどいない。


 伝説の英雄が持っていたものと同じ、希少な術式。


 一拍の静寂のあと、割れんばかりの歓声が部屋を揺らした。


「《剣聖》だ!」


「嘘だろ、本物かよ!?」


「何十年ぶりだ!?」


 だが、当のリンは喜んでいなかった。


「ロイ……」


 泣きそうな顔で、俺のところへ戻ってくる。


 そして、きゅっと俺の袖を握った。


「……ごめん」


「なんでリンが謝るんだよ」


「だって……」


 俺は適性盤を見た。


 《剣聖》。


 次に、自分の記録用紙を見る。


 《障壁》。


 術式評価E。


 硬貨一枚分。


 なるほど。


 世界ってのは、ずいぶん容赦がないらしい。


 あの日。


 俺の華々しい英雄譚は始まらなかった。


 代わりに――。


 硬貨一枚分しか守れない障壁を抱えて、それでも英雄になるための。


 三年間の悪あがきが始まった。

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