第38話 分けて守る
上から、木箱が倒れる音がした。
「テオ、聞こえる?」
リンの声が床の向こうで響く。
「いる! でも、蓋が曲がってて――」
テオの返事が水音に途切れた。
俺は整備路から南の板扉を見た。下の隙間は、もう靴の高さではない。水が廊下へ走り、鈍い音を立てている。
ダリオは広場の避難者を受入所へ送り出す方に残った。ここには来ない。水門へ降りた俺たちで、まずテオの道を作る。
「リン! 扉は開けるな! 上の口から引き上げろ!」
「分かってる!」
短い返事。次に、剣の先が金属をこじる音がした。
石穿猪が頭を上げる。
「上の音を聞いた?」
エステルが指を構える。
「分からない。でも、また支柱を見てる」
牙の先が、ゆっくり南へ向いた。
俺は水門番に聞いた。
「楔は」
「切ってる。あの石のくぼみに、幅を合わせないと入らん」
「俺の一枚で、鉄の留めだけ押さえたら?」
「板全体なら無理だ。水に負ける」
「分かってる。鉄の先だけ、石へ戻す」
水門番が俺の顔を見た。
「あんたの盾は、どれくらい持つ」
「前なら五秒。王都の訓練場では三秒半。ここで出る保証はない」
「一つ打つには足りる。入れ始めれば、俺と仲間で叩ける」
少し前なら、「足りる」と言われただけで俺は飛び込んだだろう。
今は、首を振る。
「魔物が支柱へ来たら無理だ。まず向きを変える。楔を持つ人は、俺の合図があるまで出ないで」
「分かった」
エステルが水路の北を見た。乾いた古い横流路は、人が二人並べないほどの口を開けている。石穿猪には窮屈だが、入ってしまえば、すぐには向きを変えられない。
「あそこへ寄せる」
「広い火は出せない」
「細く撃つ。あいつが火を避ける方へ、私が回る」
「一人で近づくなよ」
「あんたも。一枚のために落ちたら困る」
「互いに面倒だな」
「だから三人いるんでしょう」
エステルが笑う。リンはまだ上にいるが、その言い方に俺も少し息が戻った。
鉄の留めが揺れた。
「テオ! 手を出せる?」
リンの声がした。
「無理。高い!」
「縄を下ろす。腰に回して。両手で結べなくてもいい、私が引く!」
上の荷揚げ口が開いたのだ。
石穿猪が飛び出す。
「エステル!」
彼女の《炎矢》が、魔物の右の牙をかすめた。石穿猪は火を嫌って支柱から離れたが、北の口とは逆へ滑った。すぐに支柱へ戻ろうとする。
「北よ、北!」
エステルが整備路を上流へ移る。細い足場では、狙った角度へ立ち直るだけでも時間がかかる。
俺は足元の小石を拾い、北の横流路へ投げた。
石が奥の壁へ当たり、乾いた音を返す。石穿猪の耳が動いた。
「向いた」
「一瞬だけね」
エステルがその隙に、整備路の先へ移る。
上では、何か重いものが床へ落ちた。
「痛っ」
テオの声。続いて、リンが叫ぶ。
「上げた! テオは私といる!」
胸に詰まっていた息が抜ける。
「よし。今はこっちだ」
俺は水門番へ言った。
倉庫の階段から二人の作業者が降りてきた。一人は太い木楔を抱え、もう一人は槌を持つ。
「子どもは上がったか」
「上がった。だけど、板はまだ危ない」
水門番が楔を受け取る。石のくぼみへ当ててみて、すぐ引いた。鉄の留めが揺れているうちは、先端が割れる。
「一つ打つ。そこで板は石にかかる。あんたの一枚は、木を打つ間だけ鉄の先を押してくれ」
「消えたら言う。手を離すな」
「分かってる」
向こうでエステルが石穿猪の進路へ火の線を置く。魔物は足を止め、乾いた横流路と、きしむ水門を交互に見た。
「ロイ!」
上から呼ぶ声がした。
リンが荷揚げ口の縁に立っている。テオは彼女の後ろで、濡れた上着を絞っていた。
「私は下りる。作業者を守る」
「こっちは狭いぞ」
「剣を振る場所は探す」
リンが笑う。上から飛び降りはせず、階段へ消えた。
水門番が楔を握り直す。
「ロイ。始めるなら、今だ」
俺は留め具の位置を目で追った。鉄の頭の外側へ障壁を斜めに置けば、石から抜けようとする動きは止まる。楔が入るくぼみは、その横だ。
水を受ける板は、残った支柱と石の枠が持つ。俺の一枚は、そこへ木を入れる時間しか買わない。
石穿猪が低く鳴いた。
エステルの火を避け、頭を下げる。右の牙が、留め具の方角へ向いた。
「まだだ!」
俺は楔を持つ水門番を止めた。
あの牙を先に外さないと、打ち込む人間が潰される。




