第35話 水門の下で
倉庫の床の下から、鐘が鳴った。
夕方の巡回を終え、俺たちが広場へ戻った時だった。金属を叩く高い音が三つ続き、少し間を空けて、また三つ。
倉庫から飛び出してきた男が、リンを見つける。
「下にいる見張りの子だ! さっきから水門の方で何かがぶつかってる」
古い倉庫は、村から来た人を含む避難者の寝床になっていた。床下に水路があるとは聞いていたが、水門まであるとは知らない。
「中の人を外へ」
リンが入口へ走る。
「私、奥を見てくる」
エステルが階段へ向かった。俺は彼女を追い、途中で男を呼び止めた。
「見張りの子は、どこだ」
「テオ。下の点検廊で番をしてた。水が漏れたら鐘を鳴らす役だ」
その役を任されるくらいには、道を知っている子だろう。逃げられない理由がある。
階段を下りると、石の壁が湿っていた。倉庫の下を流れる暗渠の音が、足元から伝わる。
「テオ!」
エステルが呼ぶ。
奥の板扉の向こうで、金属が一つ鳴った。
「ここ! 扉が開かない!」
少年の声だ。近くで水が跳ねる音もした。
俺は扉の取っ手を引いた。上側は動くのに、下が石の床に噛んでいる。
「無理に開けると水が来る」
テオが向こうから叫ぶ。
「水門の板がずれてる。こっちの点検廊、もう靴が濡れてる!」
エステルが壁の小窓へ顔を寄せた。格子の向こうは主水路だ。薄暗い水の上に、何か大きな影が動いた。
ガンッ!
影が木の支柱へぶつかる。壁の中で鉄が震え、扉の下から水が細く走った。
「魔物」
エステルの声が変わる。
「どれくらい?」
「大きい。猪に似てる。でも、牙で石を削ってる」
俺も格子を覗いた。
暗渠の先から、頭を低くした魔物が戻ってくる。左右に曲がった牙の片方が、石を白く削り取った。背の高さは人の胸ほど。狭い水路では、巨体に見えた。
「石穿猪だ」
後ろから来た水門番が言った。槌と灯りを持つ、日に焼けた男だった。
「昼に、西側の古い排水路が破れていると報告があった。そこから入ったのかもしれん」
「なぜここを叩く」
「水音に向かって暴れる奴だ。逃げ道を探してるんだろう」
水門番が格子へ灯りを寄せる。
「あの板は南の古い分水路を塞いでる。向こうが倉庫の点検廊だ。留め具が外れたら水が倉庫の下へ回る」
板扉の向こうで、テオが咳をした。
「今は、まだここに上がれる場所がある!」
水門番の顔が強張る。
「その上がり場まで水が来たら、外から引き上げるしかない」
俺は上の階へ続く階段を見た。寝ている人たちを動かす時間が必要だ。テオを救い、魔物を止め、板が外れる前に支える。
全部を俺の障壁で覆うことはできない。
「まず、上を空ける」
エステルへ言うと、彼女は頷いた。
「リンがもう動いてる」
水門番が槌で小窓の格子を叩いた。錆びた留めが一つ落ちる。
「ここから主水路の整備路へ行ける。だが魔物もいる」
俺は格子の向こうを見た。足場は壁沿いに細く続き、魔物のいる水路より一段高い。反対の北壁には、使われなくなった横流路の口が開いている。水は入っていない。奥の天井は石組みだった。
「支柱を直すには、整備路へ出ないと?」
「下の鉄の留めを押さえている間に、木楔を打ち込む。人手が要る」
魔物が再び走り出した。牙が水を分ける。
「離れろ!」
水門番の声と同時に、エステルが俺の肩を引いた。
ガンッ!
今度は支柱の横の石が欠けた。水が扉の下へ広がる。
テオの鐘が、向こうでまた三つ鳴った。
「ロイ、上の人に知らせて」
エステルが言う。
「私はここで魔物を見てる」
「一人で撃つなよ。上は木梁だ」
「分かってる。見るだけ」
俺は階段を駆け上がりかけ、脇腹の痛みに足を緩めた。上ではもう、リンが寝台を運ぶ人へ道を示している。
「下に魔物がいる! 水門の板がずれてる。全員、外へ!」
声を張ると、リンがこちらを向いた。
「テオは?」
「点検廊に閉じ込められた。まだ声は出てる」
「分かった。寝台を出したら、私が行く」
もう一度、床の下で鉄が鳴る。
今度の音は鐘ではなかった。何かが少しずつ、折れていく音だ。




