第34話 炎の狭さ
仮設街区の道は、二人並ぶと肩が触れた。
王都の古い倉庫を寝床にし、空き地には布の屋根を張っている。西から来た人が増え、樽と荷箱で道はさらに細くなった。
「ここで《紅蓮の雨》を撃ったら、魔物より先に屋根がなくなるわね」
エステルが頭上の布を見た。
「撃つなよ」
「例えよ」
「お前の例えは、ときどき実演がつく」
「つけないわよ。今は」
「最後が気になる」
リンが前を歩きながら笑った。彼女は巡回の人から、夜間に使う通路と、病人のいる部屋を聞いて回っている。剣を握っていない手には、迷わず道を描き足せるよう小さな地図があった。
「奥の井戸から戻ったら、今日は終わり」
リンが言った直後、荷箱の裏で金属が鳴った。
小さな子どもが足を止める。足元の排水口から、灰色の鼻が覗いていた。
「下がって」
エステルが子どもの肩を引く。
排水口の蓋が浮いた。出てきたのは、俺の膝ほどの高さの魔物だった。鼠に似ているが、前脚が長く、口から細い牙が突き出ている。
「溝鼠よ。噛まれると深い」
リンが剣を抜く。
溝鼠は子どもから離れ、荷箱の間へ駆けた。その先には、昼の炊き出しで使った布の幕と、人のいる広場がある。
「広場へ行かせない」
リンが走る。狭い道の真ん中を塞ぎ、魔物は壁際へ折れた。そこにエステルが指を向ける。
火の色が灯る。
「待て、そこは幕の下だ!」
俺の声で、エステルの指が止まった。
溝鼠が荷箱を蹴り、俺へ飛びかかる。
掌を向けた。透明な一枚を、牙の前へ。
「《障壁》!」
何も出なかった。
俺は足を引き、そばの空箱を立てる。牙が木に刺さった。衝撃で脇腹が軋む。
「ロイ!」
「平気だ。箱はまだもつ」
言い終える前に、魔物が箱を蹴った。俺は後ろへ下がり、床の石を一つ見つけた。
「リン、左の道を塞げ!」
「分かった!」
リンの剣が出口を横切る。溝鼠はその手前で反転した。
右には幕。正面には俺。後ろは、井戸へ続く石敷きの細い道だ。
「エステル、火を出すなら奥の石まで待て」
「分かってる。でも、あいつが戻る」
溝鼠は俺の空箱を覚えたらしい。こちらを警戒し、幕の方へ首を振る。
火があればすぐ追い払える。でも、幕まで燃やせば、そこにいる人を逃がす道がなくなる。
「広く撃てないなら、狭い方へ来させる」
俺は箱を地面へ滑らせた。溝鼠は跳び越える。そこへリンが剣の腹を差し込み、牙を石敷きへ向けて払った。
「今!」
エステルの指先から、細い《炎矢》が走る。
魔物は最後に身体をひねった。火は背ではなく、前脚の先をかすめる。溝鼠が石へ転がったところへ、リンが剣を突き立てた。
短い呻き声が途切れる。
俺は幕を見た。焦げていない。石にだけ、細い黒線が残った。
「当て損なった」
エステルは溝鼠を見下ろす。
「外したら、また人の方へ行ったかもしれない」
「でも、石の上へは追い込めた」
リンが剣を拭いた。
「そこで外しても、私が止められる」
「俺の箱もある」
足元には、牙で穴が空いた木箱。
「それ、二回目は使えないでしょ」
「お前だって、二射目は幕が危なかっただろ」
エステルは一度口を開き、それから笑った。
「なら、最初から射線を作ってよ」
「広さが武器の奴に狭さを教えるのは、変な感じだな」
「硬貨一枚の人に言われたくない」
リンが地図へ、溝鼠の出た排水口に印をつけた。
「井戸へ行く前に、ここの蓋を見張りの人に伝える。まだいるかもしれない」
子どもは広場へ走って行った。戻ってきて、遠くからリンへ手を振る。剣を持つ手ではなく、地図を持つ方の手でリンは振り返した。
俺は空箱を起こして道の端へ寄せた。障壁はまた出なかった。けれど、何もないまま立っていたわけじゃない。
「次は、石の場所を先に決めよう」
「石の上に魔物が来なかったら?」
エステルが聞く。
「その時は、リンに道を変えてもらう」
「私もいる前提なんだ」
「いるだろ」
リンが少し驚いた顔をして、それから頷いた。
「うん。今日はいるよ」
三人で井戸への道を進んだ。狭い道でも、役割まで一人分に減らす必要はなかった。




