第31話 五秒の一枚
王都のギルド長には、その日のうちに会えなかった。
俺たちの到着を伝えると、受付の冒険者が慌てて奥へ走った。戻ってきたのは本人ではなく、「明日の朝、直接話を聞く」という返事だった。村から来た負傷者の受け入れと、西の森からの報せが重なっているらしい。
欠片を置いていくかと聞かれたが、俺は首を振った。
「渡す相手に会ってからにする」
受付の人は無理に預かろうとしなかった。
エステルは報告書を先に提出した。ダリオは村から来た人の宿を探しに出て、リンには夕方に育成機関へ顔を出す約束がある。
俺だけ、立ち止まっていた。
「練習場、借りられるわよ」
エステルが俺の手を見た。
「狼の時、出たんでしょう。どうして外れたのか、見ておかない?」
断る理由を探したが、見つからなかった。
◇
ギルドの裏庭には、剣の打ち込み台と、的を吊るすための横木があった。エステルが地面に丸を描き、俺から三歩離れたところへ木片を一つ置く。
「あれを守って。投げるのはこっちの柔らかい木片」
彼女が手にしたのは、角を削った小さな板だった。
「火じゃないのか」
「今日はね」
「いつか燃やす気か」
「出せたら考える」
笑って返されたが、俺は笑えなかった。エステルはそれに気づき、投げる手を下ろす。
「やめる?」
「……いや。やる」
木片が飛んできた。
「《障壁》!」
何もない空気のまま、木片が地面の丸を越える。足元で乾いた音がした。
「もう一回」
二度目は俺が合図を出してから投げてもらった。障壁は出ない。
三度目、掌の奥が熱くなった。
黒い円盤が並ぶ光景がよみがえる。マレナへ向けて動いた、あの形。
「ロイ」
リンの声が横からした。
「止めていい」
俺は手を下ろした。木片が丸の上を滑って止まる。
「怖い。たぶん、そこまでなら言える」
声が自分のものではないように低かった。
「うん」
リンは丸の中へ歩き、木片を拾った。
「私が立ってると、もっと怖い?」
「今のままだと、何が出るか分からない」
「じゃあ、立たない」
すぐに丸から出る。押し問答をしないところが、今は助かった。
エステルが俺の手から視線を外し、丸を指した。
「狼の時、一つ左へずれたのよね」
「このくらい」
俺は手のひら一つ分を示した。
「向こうから来るものばかり見て、出す場所を見てなかったかも」
「なら、投げる位置を変える」
エステルは丸の左に小さな線を引いた。そこへ向かって木片を転がす。速さは、狼とは比べものにならないほど遅い。
「こんなの、戦いにはならないぞ」
「戦う練習じゃない。場所を見る練習」
反論しかけ、やめた。
最初の一枚は、線の手前に出た。透き通った硬貨ほどの円盤。木片は横を抜ける。
「出た!」
リンが声を上げる。
「外した」
「でも出た」
「そこは分けよう」
エステルが短く言い、円盤が消えるまでの時間を指で数えた。
「二つ。少し足りない」
昔は五秒、持たせられた。それも一枚きり。二枚出たあの時のことも、今は思い出すだけで掌が冷える。
次は、俺から線を指定した。エステルがそこへ木片を転がす。
「《障壁》」
円盤が木片の先に浮いた。板の端が触れ、くるりと向きを変える。
「当たった!」
リンが一歩寄る。
その足音で、俺は円盤から目を離した。透明な一枚が消える。
「ごめん」
「謝ることか?」
「勝手に近づいたから」
「見ててくれ。今のは俺がよそ見した」
リンは頷き、今度は丸の外に立った。
何度か繰り返す。三歩の距離を、二歩にした。木片を転がす向きも変えた。出ない時が続き、出ても線からずれる時があった。
肩が重くなってきたころ、エステルが木片を投げ上げた。
「落ちる場所、分かる?」
空を見上げる。木片は一度回り、リンの靴の少し前へ落ちる。
「そこ」
俺が指した場所へ、リンが細い棒を立てた。
「私が守ってほしいのは、この棒じゃない」
「分かってる」
「棒を倒さないで。足の前を空けておいてほしい」
リンは靴を半歩引く。守る位置が決まった。
エステルが投げる。俺は木片ではなく、棒の先を見た。
「《障壁》」
透明な円盤が棒の前へ出る。木片の角が触れ、地面へ落ちた。
一つ。二つ。三つ。
四つと数える前に、円盤は消えた。
「今のは?」
俺が聞く。
「三つ半くらい」
エステルが木片を拾う。
「五秒に戻ったわけじゃない。でも、指定した場所に置けた」
俺は掌を握った。黒いものは出なかった。出したいとも思わない。
「もう一度やる」
「休んでから」
二人の声が重なった。
リンが俺の脇腹を見る。エステルは、俺の肩の上がり方を見ていた。
「三つ半で倒れないでよ」
「倒れてない」
「座る前の顔してるわよ」
座ったら負けのような気がしていた。けれど、ここで無理をして明日ギルド長の前で倒れたら、何のための練習か分からない。
俺は打ち込み台の脇へ腰を下ろした。
リンが丸の上から棒を拾い、俺の横へ置く。
「うまくいかなかったことも、手紙で読んだよ」
「半年ごとに、何度も書いたな」
「今日の三つ半も、覚えておく」
エステルが木片を箱へ戻す音がした。
五秒の一枚に、まだ戻っていない。だが、一枚をどこへ置くかは、俺たち三人で決められた。




