第30話 王都の門
王都の城壁が見えたとき、荷車の中で誰かが小さく拍手した。
つられて顔を上げる。遠くからは一枚の灰色の壁に見えたものが、近づくほど高くなった。門の上を歩く人影まで見える。
「着いたね」
リンが荷車の横へ来た。昨夜、狼の足跡を確かめに行ったせいで、靴の縁に泥が残っている。
「お前が手紙を書いてた場所か」
「うん。でも、学校はまだ向こう」
指さした先には、壁の内側から塔の屋根がいくつも覗いていた。どれが学校か分からない。
「広すぎるな」
「私も最初、迷ったよ」
「お前でも?」
「《剣聖》になったら道まで分かると思ってる?」
「いや。馬の方が話を聞くって言われたから」
リンが笑い、車の中の老夫婦もつられた。
門に近づくと、その笑い声は人のざわめきに呑まれた。荷を積んだ車、鎧の冒険者、昼食を売る人。俺たちのように村から来た一団も、別の列に並んでいる。
傷を負った冒険者が、同じ荷車の奥から声を出した。
「このまま並ぶのか。脚が、少し」
言い終わる前に顔をしかめる。橋を迂回してから、痛みが増していた。
「受入所は門を入ってすぐよ」
エステルが門の内側を見上げた。
「先に引き継ぐ。話はそのあと」
見張りの兵に事情を告げると、彼は俺たちの車と隣の車を覗いた。
「怪我人が三名か。通路を空ける」
「歩ける人もいます。別れないで移したい」
リンが言った。
兵は彼女の顔を見て、急に姿勢を正す。
「リン・アステリア殿。育成機関から戻るよう伝言が来ています。門を通り次第、迎えの者が――」
「先に、この人たちを受入所へ運びます」
「ですが、あなたの所在確認が」
「所在はここです」
リンは負傷者の乗った荷車の手すりを握った。
「あの人の脚を診てもらってから、そちらへ行きます」
兵は目を丸くしたが、道を塞ぎはしなかった。仲間に声をかけ、歩く列と荷車の列を少しだけ分ける。
「頼むぞ、《剣聖》様」
俺が小声で言うと、リンが肘でつついた。
「その呼び方、ロイまでしないで」
「悪い」
「でも今、道が開いたのは事実だから。使える時は使う」
照れた顔ではなかった。三年前のリンなら、そう言う前に一度謝っていたかもしれない。
俺たちの荷車が門をくぐる。
頭上を石の影が通った瞬間、胸が詰まった。村から持ってきたものを、ここまで運んだ。革袋が腰に当たる。布に巻かれた欠片は、今日も何も鳴らない。
◇
受入所は門の内側の広場に建てられていた。寝台より先に水を置いてあるのを見て、肩の力が少し抜ける。
負傷した冒険者を降ろすとき、俺も板の端へ手を伸ばした。
「ロイは向こうの端を押さえて。持ち上げないで」
リンが言う。
「脚に触らないでね」
「分かってる」
リンと受入所の人が板を持ち上げた。俺は端の揺れを止めようとして脇腹が痛み、エステルが代わる。
「私が押さえる」
「俺、持ち上げてないぞ」
「押さえるだけでも、その顔」
「顔のせいにするな」
三人が板を運ぶ間、俺は脚の位置を見ていた。板は揺れなかった。
受入所の手当て役が冒険者の脚を見て、包帯を換える。俺たちは彼の名と、村でいつ負傷したかを伝えた。老夫婦は親類の家へ行けるという。荷車の事故で助けた子どもは、父親の背から降りて、まっすぐ水の桶へ走った。
「ありがとう」
父親に言われ、俺は返事に詰まった。
礼を受け取っていいのは、あの時子どもを引いたエステルだ。それに、その前の村では守れなかった人がいる。
「あの子が無事でよかった」
それだけ言うと、父親は頷いた。
エステルが隣で何か言いたげにしたが、口には出さなかった。
荷車の御者が空になった座席を確かめ、俺たちへ手を振る。彼らは宿を探しに行く。ここまで一緒に来た列が、少しずつ別の道へほどけていった。
「お前も、一度診てもらいなさい」
エステルが俺の脇腹を見る。
「ギルド長に先に――」
「受入所の手当て役がそこにいる。五分よ」
言い返せなかった。布を巻き直してもらう間、リンは門から来た迎えの者へ、負傷者の引き継ぎが終わったことを告げに行った。
◇
エステルは受入所の隅の机を借り、報告書を広げた。
紙には西の森の地図が描かれている。村への襲撃、逃げた魔物、見失った大きな影。彼女の字は、急いで書いても読みやすかった。
「村で、俺がやったことも書くんだな」
「書くわ」
エステルはペンを止めない。
「黒いものが出て、マレナに向いた。ダリオが止めた。あんたの障壁が避難を妨げたこともあった。そこは消せない」
「ああ」
「ニナを逃がしたことも、母親を助けた人たちも書く。あんた一人で全部起こした話にはしない」
俺は紙の端を見つめた。自分の行為を薄くするためではない。誰が、どこで、何をしたか。エステルはそこを曲げない。
「俺にも読ませてくれ」
「もちろん。間違いがあったら言って」
読み進めると、村のギルド長の欄で手が止まった。
安否不明。
サイのおっちゃんも、村のギルド長には会っていない。書けるのはそこまでだった。
「このままでいい」
俺は紙を返した。
門の外で、また荷車の音がする。受入所へ人を呼ぶ声も続く。王都へ着けば何かが終わると思っていたが、ここでは新しく始まる仕事の方が多そうだ。
「ギルド長へ行こう」
革袋を確かめる。約束の相手へ渡すまでは、俺が持つ。
リンが戻ってきて、二人の間へ顔を出した。
「迎えの人には、夕方まで待ってもらった。先にギルドへ行っていい?」
「いいに決まってる」
「聞かないと、勝手に決めたって言うでしょ」
「言うかもな」
エステルが報告書を畳んだ。
「はいはい。道案内はリンね。ロイはここが初めてなんだから」
「任せて」
リンが先へ出る。三年前、見送った背中とは違う。俺はその背中を追いかけ、今度は同じ道を歩いた。




