第29話 先に教えてくれ
「前の曲がり角、魔物の足跡がある」
斥候をしていた冒険者が、声を落として戻ってきた。
街道の両側は背の高い草で、荷車から先が見えない。ここで群れに囲まれたら、負傷者を乗せた車は逃げにくい。
「何体?」
エステルが聞く。
「見えたのは灰牙狼が二頭。跡はもっとある」
「私が先に――」
「待って」
俺は荷車の縁へ手をついた。
「俺の《障壁》、今は当てにしないでくれ。出るかどうかも分からない」
言うまで、喉がつかえた。
リンが頷く。
「分かった。車の左右は私とエステルで見る」
「俺は前の動きを見る。後ろはダリオに頼む」
ダリオは列の最後で片腕を吊ったまま、右手に剣を持った。
「俺にも仕事が来たか」
「元からあるだろ」
「お前に割り振られると、急に重くなる」
軽口の間にも、リンとエステルは車から離れた。俺は二人の背中の間に見える曲がり角を見つめる。
草が一度、倒れた。
「右!」
灰牙狼が飛び出す。
エステルの指から細い《炎矢》が走った。狼は火を避け、街道の端へ飛ぶ。そこにはリンがいた。
剣が鞘から抜かれる音。
狼の身体が地面へ落ちた。
「一頭!」
リンが声を上げる。
草の奥で、別の足音が重なった。
「左に二つ。いや、三つ!」
「三つもいるの!?」
「右の一頭で止まると思うなよ!」
エステルが振り返り、口元だけで笑った。
「言われなくても」
火の筋が地面を横切る。二頭は手前で止まったが、三頭目だけが低く潜り、荷車へ向かってくる。
狙いは俺じゃない。馬だ。
馬が怯えて走れば、負傷者を乗せた車が道から落ちる。
「リン、馬の前!」
彼女が踏み出す。間に合うか。
俺は掌を向けた。
透明なものが、一瞬だけ浮かぶ。
「……出た!」
だが、思った場所より手のひら一つぶん左だった。狼の進路にはかからない。すぐ消える。
黒くはなかった。
その事実に胸が跳ねたが、喜んでいる暇はない。
「外れた! リン、まだ止めてない!」
「見えてる!」
リンが馬の前へ滑り込む。狼の牙を剣の腹で受け流し、横へ押し出した。
そこへエステルの《炎矢》が地面を穿つ。熱を嫌った狼が後ずさる。
もう一頭が、火の向こうからリンの背中へ回った。
「後ろ!」
俺の声に、リンが身体を低くする。狼が頭上を越え、空を噛んだ。
エステルが追いかけようとしたが、広い炎を出せる場所じゃない。すぐ横に荷車がある。
狼は着地する足を探すように首を振った。道端で草の切れた場所は、大きな石の周りだけだ。
「右の石!」
俺は道端の大きな石を指差した。
「あいつ、そこへ着地する!」
狼の前足が石へ触れた瞬間、リンが剣を振った。狼は避けて転んだが、起き上がる前にリンが仕留めた。エステルが短い炎で荷車への道を塞ぐ。
残りの二頭は、倒れた仲間を見て草へ逃げた。ダリオが後方から追うかと思ったが、負傷者の車の横を動かなかった。
「追わないのか?」
「列を守る仕事をもらったんでな」
ダリオが俺を見て肩をすくめる。
エステルが最後の火を消した。草は少し焦げたが、車へ燃え移ってはいない。
「ロイ。今の」
「出た。でもずれた」
掌を開く。何もない。
「一瞬、透明だった」
リンが近づく。剣先を下げたまま、俺の手を見た。
「うん。私も見た」
「助かったとは言えないな」
「外れたって教えてくれたから、私は別の手を選べたよ」
「あんた、さっきから偉そうに叫びっぱなしだったわね」
エステルが腕を組む。
「悪かったな」
「謝らなくていい。次も見えたら言いなさい」
「命令か?」
「頼んでるの。聞こえない?」
リンが吹き出した。
「ロイ、手紙ではもっと静かだったのに」
「手紙で右とか左とか叫ぶ必要ないだろ」
「じゃあ、今の方がいい」
林の奥から狼の足音は戻ってこない。
出た一枚は、狙いから外れて役に立たなかった。でも透明だった。そこへ喜びを置く前に、守れていないと仲間へ伝えられた。
俺は手を下ろし、御者へ進んでいいと合図した。




