第25話 戻ってきたおっちゃん
翌朝。
「立って運ぶのは、まだ駄目です」
マレナにそう言われ、俺は座ったまま包帯を巻く係になった。
納得はしていない。でも、少し動くだけで脇腹が痛み、立ち上がろうとしただけで息が詰まる。言い返せる身体じゃなかった。
避難所の長机には、洗った布が山になっている。俺が細く裂き、隣の冒険者が傷に当てる。三年間ギルドで雑用をしていたから、こういう手の動かし方なら分かる。
「あんた、もういいよ。寝てな」
隣の冒険者が言った。
「俺の仕事、取るなよ」
「病人は仕事に数えねえの」
布を引っ張ると、胸に響いた。
「……じゃあ、もう少しだけ病人らしくする」
そいつが笑った。
何人助かったのか、まだ分からない。数えたくない方の名前も、きっとこれから増える。だから今は、目の前の布を切る。
外で荷車の軋む音がした。
「森から戻ったぞ!」
誰かの叫び。
俺は椅子を蹴るように立ち上がりかけ、机につかまった。
「座って!」
マレナの声を背に受けながら、扉の方を見た。
最初に入ってきたのは、泥だらけの冒険者二人。間に挟まれた負傷者を支えている。
その後ろに、大きな男がいた。
「……おっちゃん」
サイのおっちゃんは、いつもより遅い足取りで入ってきた。左肩に厚い布を巻き、片脚を引きずっている。顔は怖いままだった。
「なんだ、まだ生きてやがったか」
「それ、こっちの台詞だよ」
声がひっくり返った。
「森で連絡が途絶えて……もう……」
「勝手に終わらせるな」
おっちゃんは支えていた負傷者を寝台へ渡すと、俺の前へ来た。
拳が上がる。
殴られると思って、少し身構えた。
大きな手は、俺の頭へ載っただけだった。
「ひどい顔だ」
「あんただって」
「俺は元からだ」
笑おうとした途端、目の奥が熱くなった。
「……よかった」
「ああ。俺もだ」
おっちゃんはすぐ手を離し、隣の寝台へ目を向けた。
「森の奥で魔物を引きつけた。戻る道の沢が崩れて、こっちへ抜けるのに時間がかかった」
「村のことは」
「途中で煙を見た。ここへ来るまで、どこがやられたかは知らなかった」
「ギルド長は?」
おっちゃんの表情が固まる。
「会ってねえ」
「……そうか」
「俺が見てないだけだ。死んだと決めるな。生きてると決めるのも、まだ早い」
その言い方が、おっちゃんらしかった。
希望はくれる。でも、根拠のない安心はくれない。
◇
おっちゃんが治療を受けたあと、俺たちは避難所の裏へ出た。
遠くに村の屋根が少しだけ見える。戻れば、見慣れた道の続きがなくなっているはずだ。
「エステルから聞いた」
おっちゃんが言った。
「黒い障壁のことか」
「ああ」
「俺、人を狙った」
「そうだな」
おっちゃんは否定しない。
「どうしてああなったかは分からない。欠片を触ったせいかも……」
「分からねえなら、そこは分からねえままにしとけ」
「だけど、俺が出したんだ」
「それは分かってる」
風で包帯の端が揺れる。おっちゃんは痛む肩を押さえた。
「お前は力が欲しかった。出た力に飛びついて、誰が前にいるか見失った」
「……うん」
「次に同じことになりそうなら、先に言え。一人で抱えて、誰かが止めてくれるまで待つな」
「おっちゃんでも、止められたか分からないぞ」
「俺が一人で止めるとは言ってねえ」
言われて、黙った。
サイのおっちゃんは俺を鍛えた。だから俺が困ったら、必ずおっちゃんが答えを出す。どこかでまだ、そう思っていたのかもしれない。
「……今は、透明な一枚も出すのが怖い」
やっと言えた。
「そうか」
「情けないだろ」
「怖くねえと言ったら、そっちの方が困る」
おっちゃんは俺の額を指で軽く押した。
「でも、お前が三年かけて覚えた置き方は、あの黒いのに食われたわけじゃねえ。身体が治ってから、確かめろ」
まだ信じられなかった。
ただ、全部なくなったと決めるには早い。そのくらいなら、今の俺にも分かった。
◇
夕方、リンが中庭へ来た。
「おっちゃんとは話せた?」
「怒られた」
「元気そうでよかった」
「今のは俺じゃなくて、おっちゃんにだろ」
「両方」
リンは俺の隣へ座った。少し間を空けて。
「昨日の続き、話していい?」
「うん」
彼女は膝の上へ両手を置いた。
「三年目の手紙、書きかけたの」
「……届かなかった」
「出さなかったから」
風の音だけがした。
「王都に来たばかりの頃は、怖いって書けた。ロイも同じように頑張ってると思えたから」
「ああ」
「でも三年たっても、私はまだ怖かった。周りはもう《剣聖》なんだからって、平気な顔を期待する。私も、平気なふりをしてた」
彼女の指が、服の裾をつまむ。
「手紙に『元気です』って書いて、そこで止まった。嘘じゃないけど、ロイに一番言いたいことでもなかった」
「俺には、言えなかった?」
「言ったら、ロイが全部背負おうとする気がした。それに、格好つけたかった。私も強くなるって、約束したから」
思い当たることがありすぎて、返す言葉が出ない。
「遠征に出る前に出そうと思って、結局、机に置いたままにした。遅れるって一行だけでも送れたのに、しなかった。ごめん」
「……ずっと心配してた」
「うん」
「でも、俺もお前に返す手紙じゃ、失敗した日はほとんど書かなかった」
「そうなの?」
「格好つけたかったから」
リンが目を丸くして、それから少し笑った。
「同じだね」
「嫌なところまでな」
俺も笑う。脇腹が痛んだので、すぐやめた。
「手紙は、まだある?」
「ある。途中で止まったまま」
「いつか読ませてくれ」
「うん。今の私が書き足してから」
急に三年の空白が埋まったわけじゃない。
でも、手紙が来なかった理由を、俺はもう勝手に想像しなくていい。
中庭の向こうで、負傷者を乗せた荷車が出る。王都方面へ向かう列だった。
父ちゃんの欠片を渡す相手は、あの先にいる。
ギルド長が「生きろ」と言って託したものだ。今の俺にできる仕事は、まだ残っている。




