第24話 目が覚めてから
息を吸った瞬間、脇腹が痛んだ。
「……っ」
目を開く。見知らぬ天井。板と布を継ぎ足しただけの、小さな部屋だった。
身体を起こそうとして、また痛みに止められる。
「起きた?」
エステルが寝台の横にいた。椅子にもたれ、腕を組んでいる。赤い髪には泥が残り、目の下に濃い影ができていた。
「ここは……」
「東街道の避難所。村から出たところよ」
村。
頭の中で、壊れた道と空の亀裂がつながる。
魔物の群れ。エステルの震える足。父ちゃんの欠片。
黒い《障壁》。
「……俺は」
そこから先が、うまく並ばなかった。
吹き飛ぶ魔物が見える。何枚も増えていく黒い円盤。リンの声。それなのに、自分が何をしていたのか、途中からぼやけている。
「どこまで覚えてる?」
エステルの問いに、俺は首を横へ振った。
「リンを見た。……そのあと、分からない」
「そう」
エステルは膝の上で、握った手を開いた。
「だったら、話すわ」
嫌な予感がした。
「黒い《障壁》は、魔物を吹き飛ばした。村へ来た救援の人にも向かった。治療をしていた人へも」
「……治療を?」
「敵だと思い込んでいたみたい。私が味方だと言っても、届かなかった」
俺は毛布の端を握った。
欠片を取り出した後、近づくものが全部邪魔に見えたことだけは覚えている。あの人たちの顔は、覚えていない。
「怪我は」
「治療者のマレナは無事。あなたを止めた人は、左腕を怪我した」
「……俺がやったのか」
「黒い障壁を逸らした勢いで、瓦礫に腕を打った。あんたが出したものよ」
エステルは言い切った。
怒鳴られる方が、まだ楽だったかもしれない。
「俺、守ろうとしてた」
「知ってる」
「なのに……」
「うん」
それ以上は続かなかった。
エステルも、俺が言葉を見つけるまで待っている。
部屋の外から、担架を運ぶ足音が聞こえた。
「村は?」
「避難できた人は東へ出た。まだ瓦礫の下にいる人もいる。分からない人数も」
「ギルド長は」
エステルが首を振る。
「まだ見つかってない。サイとも連絡は取れてない」
胸が冷えた。
あの人たちを置いて逃げた。そう思った記憶が、今度ははっきり戻ってきた。
「……あの女の子は?」
「覚えてるのね」
「……女の子を、お前が俺に託そうとした」
「ニナっていうの。あの子は無事。お母さんも見つけた」
「本当か」
「ええ。ただ、脚を怪我してる。すぐ歩けるようにはならない」
少しだけ息が吐けた。
でも、それで俺のしたことが消えるわけじゃない。
「欠片は?」
エステルが部屋の隅の木箱を指した。
「あんたの革袋に戻した。布で包んである。勝手に誰かへ渡してないわ」
「……ありがとう」
父ちゃんのものだ。王都へ運ぶと、ギルド長に約束した。
けれど今は、あれへ手を伸ばすのが怖い。
俺の目が箱へ向いたのを見て、エステルが言った。
「欠片のせいかどうかは分からない。あんたが触って、そのあと黒い《障壁》が出た。それだけ」
「分かってる」
分かりたくないだけかもしれない。
◇
治療者のマレナは、俺の包帯を替えながら何度も息を確かめた。
「胸と脇腹はしばらく痛みます。無理に走れば、また悪くなる」
「……治してくれたんじゃないのか」
「死なずに済むよう支えました。治るのは、これからです」
はっきりしている。サイのおっちゃんに少し似ている、と思った。
「俺、あなたを――」
「聞きました」
マレナは布を結ぶ手を止めなかった。
「怪我はしていません。でも、怖かった。私の術式は動きながら使えませんから」
「……すみません」
「謝罪は受け取ります」
彼女はそこで初めて、俺を見た。
「この避難所には、まだ手当てを待つ人がいます。休んで、動けるようになったら手を貸してください」
許してもらえたのかは、分からない。
けれど、次に何をするかは教えてくれた。
入れ替わりに、左腕を布で吊った男が入ってきた。
「目、覚めたか」
村に開いた小さな裂け目から出てきた男だ。
「ダリオだ。リンに剣を教えてる」
「あなたが俺を止めたんですか」
「押さえつけただけだ。最後はお前が力尽きた」
「腕は、俺が」
「見りゃ分かる程度の傷だ。反省はしろ。でも俺の手当てまでお前が背負うな」
そう言って、ダリオは吊った腕を動かそうとした。痛かったらしく、すぐ顔をしかめる。
「……見りゃ分かりますね」
「口は回るらしい」
少しだけ笑いそうになって、肋骨が痛み、やめた。
「あの裂け目も、あなたが?」
「俺の《折路》だ。細い道を一度つないだ。もう今すぐ同じことはできねえ」
「なら、どうして……」
「詳しい話は、歩けるようになってからでいい」
ダリオは廊下を見た。
「先に、待ってる奴がいる」
◇
扉の向こうから入ってきたのは、リンだった。
三年前より髪が伸びていた。腰の剣にも、手を伸ばしかけてやめる癖にも、俺の知らない時間がある。
「ロイ」
「……リン」
声に出すと、急に本当になった。
リンは駆け寄ってきたが、寝台の手前で足を止める。
「痛い?」
「ちょっとな」
「ちょっと、の顔じゃないよ」
昔と同じ言い方だった。
「三年ぶりに会って、最初に叱られるのか」
「最初に心配するの。叱るのはそのあと」
リンが笑おうとする。うまくいかない。
俺も笑えなかった。
「……俺、昨日、お前にも障壁を向けたか」
「向けなかった。名前を呼んだら、一度止まった」
「一度?」
「また増えた。でも、私には来なかった」
リンは服の裾をつまんだ。あの頃から変わっていない癖だ。
「怖かったよ」
「……ごめん」
「怖かったけど、来てよかった」
彼女が手を伸ばす。俺は自分の手を見た。黒い円盤を出した手だ。
少し迷って、握り返した。
指先には、訓練でできた硬い豆があった。手紙で読んだ豆とは、きっともう違う。
「お前も強くなったんだな」
「うん」
「俺は、ちゃんと追いつけたと思ってた」
「ロイ」
「今は、分からない」
リンの手が、逃げずにそこにあった。
「私も、ロイに何を話せばいいか分からなかった」
「手紙のこと?」
彼女の指が止まる。
「……明日、話してもいい?」
「ああ」
何かあったんだろう。それを勝手に悪い方へ決めるのは、もうやめたい。
俺は窓の外を見た。避難所の庭で、誰かが担架を運んでいる。
身体が動くようになったら、手を貸す。
その前に、もう一度、自分の手で何を出したのかを知っておかなきゃならない。




