第23話 光の届かない場所
「こっちへ寝かせてください」
マレナが、膝をついたまま空いた場所を指した。
ダリオと私でロイを運ぶ。軽くはなかった。それより、抱えた身体から力が抜けきっているのが怖かった。
毛布の上へそっと下ろす。
マレナはロイの呼吸を確かめ、脇腹の血で固まった服をめくった。
「この傷は、さっきの争いだけではありませんね」
「キングオークに吹き飛ばされて、そのあと村への攻撃も受けたわ。走ったとき、血も吐いてる」
話しながら、なんで私はもっと早く止めなかったのかと思った。
「今は呼吸を保てています。けれど、骨と内側の傷は、私の光だけでは治せません」
マレナは近くの冒険者へ布と水を求めた。広がる淡い輪の内側で、彼女の額から汗が一滴落ちる。
「この光は、倒れた人を見つけやすくして、命が消えるまでの時間を延ばします。時間があるうちに、人の手で運ばなければ」
マレナが遠くの瓦礫を指した。
「あちらの二人をお願いします」
私はロイを見た。
「ここにいたいのは分かります」
マレナの声は穏やかだった。でも、譲る気はない。
「この子のそばには私がいます」
「……分かった」
ロイの手を毛布の上へ戻す。欠片を入れた革袋は、その手から少し離した箱の中に置いた。布で包み、口も結んである。
目が覚めたら、隠さずに伝える。
その前に、まだ助けを待っている人がいる。
◇
村の道は、もう道の形をしていなかった。
ギルドのあった方は大きくえぐれ、その周りに、壁や屋根が折り重なっている。淡い光が瓦礫の下まで届いていても、人がどこにいるのかまでは見えない。
「こっちです!」
リンの声がした。
彼女は剣を鞘へ戻し、崩れた市場の脇で数人の冒険者と板を動かしていた。
「ニナは?」
「東街道の避難列に預けた。あの子、お母さんの上着を覚えてるって」
「上着?」
「赤い袖。手首に黄色い花を縫ってもらったって」
私は瓦礫を見渡した。
赤い布なら、土に埋もれた屋根の下から少しだけ覗いている。
「あれ」
リンも見た。
「私が上を押さえる。エステルは隙間を見て」
「待って。屋根を持ち上げたら、下の柱も動く」
私は周りの冒険者を呼び、転がった梁を支えに使うよう頼んだ。リンが片端を持ち、二人が反対側から差し込む。
板が、少しだけ上がった。
「聞こえますか!」
リンが声をかける。
「……ここ」
小さな返事。
「いる!」
私は泥に肘をつき、隙間を覗いた。
赤い袖。手首には黄色い糸で縫われた花。
女性が横向きに倒れていた。意識はある。けれど、片脚が梁の下敷きになっている。
「ニナのお母さん?」
女性の目が見開かれた。
「あの子は」
「生きてる。東の避難列にいるわ」
「よかった……」
肩から、力が抜けるのが見えた。
「今、出す。でも脚を引っ張れない。少し待って」
私は炎を指先へ灯した。梁の継ぎ目だけを焼いて切れないか考えたが、上には屋根が残っている。火を入れれば女性ごと潰れるかもしれない。
炎を消す。
「切れる?」
リンに聞く。
「ここを切れば上が落ちる。支えをもう一本」
剣を振るう前に、彼女は周囲を見た。冒険者の一人が材木を持ってくる。マレナの光の中で動けるからといって、急いでいいわけじゃない。
支えが入ってから、リンが折れた横木だけを斬った。
女性が息を詰める。冒険者たちが梁を上げ、私は彼女の肩を支えた。
「一、二、三!」
脚が抜けた。
変な向きに曲がっていた。見ないふりはできない。
「布を! 担架も!」
私の声に、周りの人が動く。
マレナの光がここまで届いているおかげか、女性の顔から血の気が失われきることはなかった。それでも、自分の足で歩ける状態じゃない。
担架へ乗せたところで、路地の奥から低い唸りが聞こえた。
「魔物!」
黒牙蛇が、倒れた店の陰から頭を出す。
私は掌を向けた。大きな炎は使えない。すぐそばに女性と、担架を持つ冒険者がいる。
「リン、左へ」
「分かった」
火の筋を蛇の正面へ短く落とす。
蛇が首をそらし、石壁の方へ回った。そこには、リンがいる。
彼女の剣が一度だけ走った。
蛇は路地へ倒れた。リンは刃を振って血を払い、すぐ担架へ目を戻す。
「行こう。ニナが待ってる」
私は頷いた。
広い炎なら、いつもはもっと楽に倒せる。でも、今ここで必要だったのは、蛇一匹を派手に焼くことじゃない。担架の四人が歩ける道を作ることだった。
◇
ニナが母親の手を握ったのは、東街道の仮設の寝床だった。
「お母さん」
「ニナ」
母親は身体を起こせない。ニナもそれを見て、抱きつくのをためらった。
「手なら、大丈夫よ」
母親がそう言うと、ニナは両手でその指を包んだ。
私は二人のそばを離れた。
少し先で、マレナの光の輪が薄くなっている。冒険者たちが新しい担架を作り、負傷者を運んでいた。運ばれていく人の中には、呼びかけに応えない人もいる。
「全員は、助からないんだね」
いつの間にか隣に来たリンが、低く言った。
「……ええ」
「ロイは?」
「息はしてる。目はまだ覚まさない」
リンは剣の柄を握ったまま、黙っていた。
「さっきは、任せてくれてありがとう」
私が言うと、彼女は驚いた顔をした。
「ニナを」
「私こそ。あなたがあの子を見つけてくれたから」
それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。私たちはまだ、お互いのことをほとんど知らない。
それでも、同じ子の手を順番に離さずに済んだ。
遠くで夜明けの空が白み始める。
東街道の治療所へ行くと、ロイは救助の間に、革袋を入れた箱と一緒に運ばれていた。ダリオが寝台の横に座っていた。左腕には新しい布が巻かれていた。
「目は覚めた?」
「まだだ」
その答えに胸が沈む。
けれど次の瞬間、毛布の上に置かれたロイの指が、ほんの少し曲がった。
「……ロイ?」
私は寝台へ近づく。彼の目は閉じたままだ。
もう一度名前を呼んで、返事を待った。




