↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/40

第20話 黒い障壁

「ロイ」


「……何だ」


 エステルが、近くを見る。


 そこには。


 さっき母親を探して泣いていた、小さな女の子がいた。


「この子を連れて避難しなさい」


「……は?」


「聞こえなかった?」


 エステルが少女の背中を、俺の方へ押す。


「この子を連れて、東街道へ行くの」


「何言ってるんだよ」


「何が?」


「お前は?」


「私は残る」


「…………」


「まだ逃げ切れてない人がいる」


 森を見る。


「それに、もうすぐ魔物がここまで来る」


 エステルが右手を上げた。


 小さな炎が、その掌に灯る。


「時間を稼ぐわ」


「馬鹿言うなよ」


「あんたに言われたくないわね」


「今のお前だって――」


「早く行きなさい」


「…………」


 低い声だった。


「エステル」


「行って」


「死ぬかもしれないんだぞ」


「…………」


「分かってるだろ」


「ええ」


 あっさり答えた。


「だったら、どうして……」


「…………」


 エステルは、少しだけ笑った。


「強い方が、弱い方を守る」


「…………」


「当然でしょ?」


 さっきも聞いた。


 あの言葉。


「それが私の流儀よ」


「…………」


 でも。


 俺は見ていた。


 エステルの足が震えている。


 ほんの少し。


 だけど、確かに。


 こいつだって怖い。


 限界なんだ。


 《紅蓮の雨》。


 《星墜灼光》。


 キングオークとの戦い。


 避難誘導。


 ずっと。


 休まず動いている。


 なのに。


 俺に負い目を感じさせないように。


 笑っている。


「くそ……」


「何よ」


「くそっ……!」


 何なんだよ。


 俺は。


 なにが英雄だ。


 ギルド長を置いて。


 村を守れなくて。


 あの冒険者も助けられなくて。


 今度は、エステルまで?


「…………」


 力が。


 欲しい。


 ドクン。


 もっと。


 力が。


 ドクン。


 誰も。


 置いていかなくて済むくらい。


 全部。


 守れるくらいの。


「力が……欲しい」


「ロイ?」


 ドクン。


 また。


 胸の奥が脈打った。


 守りたい。


 守らなきゃ。


 今度こそ。


 誰も。


 奪わせない。


 ドクン。


 違う。


 何かが違う。


 守りたい。


 はずなのに。


 腹の奥から湧いてくるのは、それだけじゃない。


 熱い。


 気持ち悪い。


 どろどろした何かが、身体の中を満たしていく。


 許せない。


 あいつも。


 魔物も。


 俺から何かを奪おうとするものが。


 全部。


 許せない。


 近づくな。


 奪うな。


 邪魔するな。


「…………」


 頭がぼんやりする。


 エステルが何か言っている。


 聞こえているはずなのに。


 遠い。


 それより。


 邪魔だ。


 全部。


 邪魔だ。


 だったら――。


 カチ。


「……?」


 カチ。


 カチカチ。


「ロイ?」


 何かが鳴っている。


 手元。


 革袋。


 父ちゃんがギルド長へ預けていた、黒い欠片。


 カチ。


 カチカチ。


 カチカチカチカチカチ――!


「…………」


 取り出す。


 どうして取り出したのか。


 自分でも、よく分からなかった。


「ロイ、それ……!」


 黒い欠片が光っていた。


 黒。


 黒いのに。


 光っている。


 ドクン。


「…………っ」


 頭の奥で。


 何かが外れた。


 そんな気がした。


「ロイ?」


 誰かが俺を呼んでいる。


 エステル?


 そうだ。


 エステル。


 守らないと。


 誰から?


 全部から。


 何を?


 全部。


 近づくものを全部、遠ざければいい。


 そうすれば。


 もう。


 誰も奪えない。


「キャッ!」


「…………!」


 声。


 振り向く。


 エステル。


 その後ろ。


 黒牙蛇。


 牙。


 近づいてくる。


 また。


 奪いに来た。


「…………」


 許さない。


「《障壁》」


 声が、自分のものじゃないみたいだった。


 ぽん。


「…………え?」


 エステルと黒牙蛇の間。


 硬貨一枚分の円盤。


 俺の《障壁》。


 でも。


 黒い。


 真っ黒。


「……黒い?」


 エステルが何か言った。


 どうでもいい。


 蛇が障壁へ触れた。


 ブオンッ――!


「…………!?」


 黒牙蛇が消えた。


 いや。


 吹き飛んだ。


 遥か後ろへ。


 まるで。


 向かってきた力を全部、逆向きにされたみたいに。


 ドガッ!


 瓦礫へぶつかる。


「ロイ……?」


「…………」


 何だ。


 できるじゃないか。


 簡単だ。


 近づいてくるなら。


 遠ざければいい。


 奪いに来るなら。


 消せばいい。


 そうすれば。


 守れる。


 全部。


「ロイ、ちょっと待って」


「…………」


 何か言われている。


 でも。


 頭に入ってこない。


 目の前に。


 黒い《障壁》が浮かんでいる。


 なのに。


 怖くない。


 むしろ。


 落ち着く。


 これなら。


 もう。


 奪われない。


「許さない……」


「ろ、ロイ?」


 気配。


 後ろ。


「ロイ! 後ろ!」


 振り返る。


 灰牙狼。


 走ってくる。


 こっちへ。


 近づいてくる。


 俺から。


 何かを奪うために。


「…………」


 邪魔だ。


 手を向ける。


 ぽん。


 黒い《障壁》。


 ブオンッ――!


「――!?」


 灰牙狼が地面から浮いた。


 そのまま後方へ。


 ものすごい勢いで吹き飛んでいく。


 俺は、それを見て。


 何も思わなかった。


 ただ。


 次は、どいつだ。


 そう思った。


     ◇


 ドドドドドドドド――!


 魔物の群れが。


 森から姿を現した。


 灰牙狼。


 跳爪猿。


 黒牙蛇。


 それ以外にも。


 名前すら分からない魔物が。


 入り乱れて。


 村へ向かって走ってくる。


「ロイ!」


「…………」


「ロイ! 聞こえてる!?」


 エステルの声。


 近くにいる。


 でも。


 遠い。


 今は。


 それよりも。


 前。


 敵。


 近づいてくる。


「……来るな」


 ぽん。


 黒い《障壁》。


 ブオンッ!


 一体が吹き飛ぶ。


「近づくな」


 ぽん。


 ドンッ!


 二体目。


「邪魔するな」


 ぽん。


 ブオンッ――!


 三体目。


「…………」


 いつの間にか。


 黒い円盤が。


 三枚。


 俺の周囲に浮かんでいた。


「ロイ……」


 エステルの声が、さっきとは違っていた。


 怯えている?


 何を?


 大丈夫だ。


 これなら。


 守れる。


「強くなってる……?」


 自分の手を見る。


 でも。


 そんなこと。


 どうでもいい。


 もっと。


 必要だ。


 もっと。


 もっと。


「《障壁》」


 ぽん。


 四枚目。


「《障壁》」


 ぽん。


 五枚目。


「…………!」


 エステルが息を呑む。


 なんだ。


 三年間。


 どれだけやっても。


 一枚しか出なかったのに。


 こんなに簡単だったんだ。


 どうして。


 今まで。


 できなかった?


 いや。


 どうでもいい。


「ロイ!」


「…………」


「返事しなさい!」


 魔物が来る。


「《障壁》」


 ドンッ!


 吹き飛ぶ。


 また。


「《障壁》」


 ブオンッ!


 吹き飛ぶ。


 また。


「ロイ!」


 うるさい。


 邪魔だ。


 今は。


 全部。


 守らないと。


 俺が。


 全部。


「死ね……」


「…………え?」


 エステルの声。


「死ね」


 魔物が走ってくる。


「俺から……」


 黒い《障壁》が一枚。


 その進路へ。


「大切なものを奪う奴は……」


 ブオンッ――!


 魔物が後方へ消える。


「全部……」


 また一枚。


 ドンッ!


「死んでしまえ……」


「ロイ!」


「…………」


 どうして。


 エステルは。


 そんな顔をしている?


 守っているのに。


 俺が。


 ちゃんと。


 守れているのに。


「ロイ! ねえ! 返事して!」


 避けろ?


 違う。


 避けなくていい。


 来るなら。


 置けばいい。


 右。


 ぽん。


 ドンッ!


 左。


 ぽん。


 ブオンッ!


 正面。


 ぽん。


 ドガァンッ!


 今までみたいに。


 肩を見る必要もない。


 腰を見る必要もない。


 足を見る必要もない。


 軌道を読む必要もない。


 避ける必要すらない。


 近づいたら。


 拒めばいい。


「…………」


 簡単だ。


 こんなに。


 簡単だったんだ。


「ロイ……」


 エステル?


 どうして。


 震えてる?


「その《障壁》……おかしい」


 おかしい?


 何が?


 守れてる。


 今までより。


 ずっと。


 守れている。


 だったら。


 これでいい。


 もっと。


 もっと出せば。


 誰も。


 俺から。


 何も。


 奪えない。


     ◇


 そのときだった。


 空気が揺れた。


「……何?」


 私は反射的に顔を上げた。


 また、あれが戻ってきたのか。


 一瞬そう思った。


 けれど。


 違う。


 さっきの化け物が開けた亀裂とは、まるで違う。


 私たちから少し離れた場所。


 空間そのものへ、縦に一本の線が走る。


 その線が。


 静かに左右へ開いた。


「…………」


 小さい。


 人が数人通れる程度。


 黒くもない。


 禍々しさもない。


 向こう側には、別の場所の景色が見えている。


 そして。


 裂け目の中から、男の声が聞こえてきた。


「おいおいおい……」


 妙に間延びした声だった。


「急いで来てみりゃ……これはどういうことだ?」


 緊張感がない。


 目の前には壊れた村。


 押し寄せる魔物。


 そして。


 黒い《障壁》を何枚も浮かべたロイ。


 なのに。


 声には、焦りがなかった。


 余裕。


 ただ、それだけで。


 この男が普通じゃないと分かった。


 裂け目から出てきたのは、四十代くらいに見える男だった。


 その後ろから。


 二人の女性が続く。


 一人は、私と同じくらい?


 長い髪。


 腰には剣。


 もう一人はそれより年上の女性で、村を見た瞬間、その顔から表情が消えた。


「ひどい……」


 女性が地面へ手をつく。


「《救命圏》」


 淡い光が。


 女性の足元から円を描くように広がった。


「……!」


 十歩。


 二十歩。


 そんな程度じゃない。


 光の輪は壊れた道を越え。


 瓦礫を越え。


 倒れている人たちの下を通り。


 さらに遠くへ。


 村全体を包み込むかと思うほど、一気に広がっていく。


「これは……」


「やれやれ」


 男が頭を掻いた。


「こいつを連れてきたのは正解だったな」


「……重傷者が多すぎます」


 女性が目を閉じたまま答える。


 額には、すでに汗が浮かんでいた。


「しばらく私は、ここから動けません」


「あいよ」


「周囲をお願いしま――」


「きゃあっ!」


 女性が悲鳴を上げた。


「え?」


 黒いものが。


 視界を横切った。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 あの黒い《障壁》。


 まっすぐ。


 治療を始めた女性へ向かっている。


「ロイ!?」


 彼を見る。


 その目は。


 女性を見ていなかった。


「……化け物の……」


「ロイ?」


「手下……」


 違う。


「殺す……」


「待って!」


「殺す」


 黒い《障壁》が加速する。


「《障壁》」


「《障壁》」


「《障壁》」


 三枚。


 同時。


 ガキンッ――!


「っ……!」


 何が起きたのか。


 一瞬、分からなかった。


 男が。


 いつの間にか女性の前に立っている。


 いや。


 違う。


 さっきまでいた場所から歩いたようには見えなかった。


「おいおい」


 男の目が。


 初めて少しだけ細くなった。


「こりゃまた……」


「ロイ!」


 私は叫んだ。


「彼らは味方よ!」


「…………」


 届かない。


 ロイの周囲で。


 また黒い円盤が浮かぶ。


「救援の方ですよね!?」


「ああ」


「助かります。私はロイを――」


「お嬢ちゃん」


 男が私を制した。


「だいたい状況は分かった」


「でも!」


「あいつ」


 男がロイを見る。


「自分の力を制御できてねえだろ」


「…………」


 何も言えなかった。


 その通りだった。


「だったら、まず止める」


 男が一歩前へ出る。


 そのとき。


「待ってください!」


 もう一人の少女が走り出した。


「おい、リン」


 リン?


 少女は止まらない。


 黒い《障壁》が浮かぶロイへ向かって。


 一歩。


 また一歩。


「ロイ!」


「…………」


「ロイ、私よ!」


 その声に。


 ロイの指が。


 ほんの少し動いた。


「お願い、返事して!」


「…………」


「ロイ!」


 少女の声が震える。


「私よ」


 さらに一歩。


「リンよ!」


「…………」


 次の瞬間。


 黒い《障壁》が。


 ぴたりと止まった。


「え……?」


 ロイが。


 初めて。


 少女を見た。


「…………リン?」


 ロイが、その名前を口にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。