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第17話 父ちゃんから預かったもの

「ロ、ロイ!? ちょっと待ちなさい!」


 背後から、エステルの声が聞こえた。


「…………」


 そこで初めて、自分が走っていることに気づいた。

 村へ。全力で。


「なんで……」


 考えてから走り出したわけじゃない。気づいたときには、身体が勝手に動いていた。


「待ちなさいって! あんた、その身体で――!」


 分かってる。肋骨をやってる。まともに息をするだけでも痛かったはずだ。

 なのに今は、痛みなんて、ほとんど感じなかった。


 ただ、頭の中に次々と顔が浮かんでくる。


 会うたびに菓子を押しつけてくる、近所のばあさん。

 この三年間、まだ冒険者ですらなかった俺を、何度もギルドへ出入りさせてくれた受付嬢。

 雑用を頼んできた職員たち。一緒に荷物を運んだ冒険者。

 森のことを教えてくれた奴。くだらない話をした奴。飯を奢ってくれた奴。


 気づけばこの三年間で、守りたいと思う顔がずいぶん増えていた。


 もし、あれが本当に村へ撃たれたら。


「…………っ」


 ドクン。


 胸の奥。まただ。あの感覚。


「ぐっ……!」


 次の瞬間、脇腹へ激痛が走った。足がもつれる。


「ロイ!」


「っ……!」


 喉の奥に鉄みたいな味が広がった。手の甲で口元を拭う。

 少し、血がついた。


「…………」


 それでも、足は止まらなかった。


「馬鹿! 止まりなさい!」


「止まれるかよ!」


「その身体じゃ本当に死ぬわよ!」


「それでも行くんだよ!」


 泥を蹴る。村が近づく。

 屋根が見える。柵が見える。門が見える。

 そして。


「…………!」


 村の入口には、大勢の冒険者が集まっていた。


「おい! サイさんたちからの連絡はまだか!」


「森へ入った連中はどうなってる!」


「誰か、あの空の穴が何なのか分からないのか!?」


「東側の住民を避難させろ!」


「待て! 勝手に持ち場を離れるな!」


 十人や二十人じゃない。ざっと見ただけでも百人を超えている。


 サイのおっちゃんが出した緊急招集。それを受けて、村にいた冒険者だけじゃなく、周辺で活動していた連中や、近隣から駆けつけた冒険者まで集まっているらしい。

 スタンピードに備えて、剣も、盾も、治療道具も、ありったけを持ってきている。


 普段なら、これだけいれば、どんな魔物が森から出てきてもなんとかなる。そう思えたはずだった。

 なのに。


「…………」


 誰も、空へ武器を向けていない。

 剣を握ったまま、ただ立ち尽くしている。震えている奴までいた。


「なんなんだよ……あれ」


「あんなのと戦えっていうのか……?」


「無理だろ……」


 分かる。俺だって同じだ。

 キングオークを前にしたときですら、まだどう戦えばいいかを考えられた。


 でも、あれは違う。

 戦うとか、倒すとか、そんなことを考える相手じゃない。


「ロイ!?」


 入口にいた冒険者の一人が俺に気づいた。


「ロイじゃねえか!」


「よかった! 無事だったのか!」


 何人かが駆け寄ってくる。


「サイさんは!?」


「森の先行班はどうなってる!」


「あの空の穴はなんなんだよ!」


「キングオークは!?」


「待ってくれ!」


 俺は声を遮り、振り返った。

 空。黒い亀裂。そこへ集まる光。

 そして、その向き。


「…………」


 違う。村全体じゃない。

 やっぱり、あいつが見ているのは一点。


「どこだ……」


 光の向きを目で追う。真っ直ぐ、村の中へ。


「教会……?」


 違う。その横。市場。

 違う。もっと奥。


「…………」


 その先にある建物を見つけた瞬間、全身が冷たくなった。


「……ギルド?」


 なんで。どうして。

 でも、考えている時間なんてない。空の光が、さらに強くなっている。


「ロイ……?」


「…………」


 俺は息を大きく吸った。肋骨が悲鳴を上げる。

 構うもんか。


「全員、逃げろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 百人を超える冒険者が、一斉に俺を見た。


「何だ!?」


「ロイ、お前――」


「ギルドだ!」


 喉が裂けるくらい叫ぶ。


「今すぐギルドから離れろ!」


「は?」


「何言って――」


「いいから走れ!」


 俺は空を指差した。


「あいつが狙ってるのは――」


 光が。

 一つになった。


「ギルドだぁぁぁぁぁっ!!」


     ◇


 その叫びで、冒険者たちも光の変化に気づいた。


「…………」


 誰もが空を見上げる。

 黒い亀裂。その前へ集まっていた無数の光は、もう粒と呼べるような大きさじゃない。

 一つの巨大な光へ、どんどん、どんどん、縮まりながら集まっている。眩しさも増していた。


 いつ撃たれる?

 一分後? 十秒後?

 それすら分からない。


「住民を避難させるんだ!」


 俺は叫んだ。


「村の外へ! ギルドからできるだけ離れた場所に!」


「待てよ!」


 冒険者の一人が声を上げる。


「何言ってるんだ! 森じゃスタンピードが起きかけてるんだぞ!」


「そうだ! 外へ出したら魔物に襲われる!」


「村を捨てろっていうのか!」


「…………」


 分かってる。外だって安全じゃない。

 森にはまだ、キングオークに追い出された魔物が残っている。サイのおっちゃんたちが掃討しているとはいえ、全部倒せたわけじゃない。


 でも、俺は空を見る。

 あれを見たあとじゃ、答えなんて決まっていた。


「村なら!」


 声を張り上げる。


「また作ればいいだろ!」


「…………!」


「家だって! ギルドだって! 壊れたなら作り直せる!」


 でも。


「死んだら――そこで全部終わりなんだよ!」


 静まり返った。

 今日だけで何度同じことを言っただろう。

 それでも、これだけは変わらない。


「……残念だが」


 低い声がした。


「この小僧の言う通りだ」


「…………!」


 人混みが割れる。その奥から、一人の男が歩いてきた。

 何度も見た顔。サイのおっちゃんがギルドへ来るたび、仕事の話からくだらない話まで、よく二人で話していた。


 この村の、冒険者ギルド長。


「ギルド長!」


「ですが――!」


「分かってる」


 ギルド長は一度だけ空を見た。顔がほんの少し強張った。

 それでも、すぐに俺たちへ向き直る。


「もう、安全な選択肢なんざどこにもねえ」


 静かな声だった。


「だったら」


 一度、大きく息を吸う。


「生き残る可能性が一番高い方を選ぶ!」


 声が変わった。


「避難開始!」


 ざわっ!


「動ける冒険者は住民の誘導へ回れ! 子供、老人、怪我人を最優先!」


「はい!」


「荷物なんざ置いていかせろ! 命より大事なもんなんかねえ!」


「了解!」


「東街道を使え! 王都方面へ退避する! 途中の宿場と集落にも受け入れを頼め!」


 さっきまで空を見上げて固まっていた冒険者たちが、一斉に動き始めた。


「聞いただろ! 動け!」


「西側から回れ!」


「住民を出せ!」


「治療班はこっちだ!」


「…………」


 すげえ。

 ついさっきまで混乱していたのに、やるべきことが決まった途端、動きがまるで違う。

 これが、何度も命懸けの現場をくぐってきた冒険者たちなのか。


「坊主」


「……ん?」


 ギルド長が俺の前まで来た。そして、どこか懐かしそうな目で俺を見る。


「大きくなったな」


「……何だよ、いきなり」


「親父さんに似てきた」


「…………」


 時間が、一瞬だけ止まったような気がした。


「今……なんて?」


「…………」


「あんた」


 ギルド長を見る。


「父ちゃんを知ってるのか?」


「ああ。知ってる」


「だったら――」


「悪いな」


 遮られた。


「話してやりたいことは山ほどある」


 ギルド長が懐へ手を入れる。


「だが」


 取り出したのは、年季の入った小さな革袋だった。


「どうやら時間がねえ」


「……何だ、それ」


「持っていけ」


 放られた革袋を、慌てて受け取る。


「おい」


「王都へ着いたら、冒険者ギルドの長へ直接渡せ」


「だから、これは何なんだよ」


「俺にも全部は分からん」


「は?」


「だが」


 ギルド長が、まっすぐ俺を見る。


「お前の親父から預かっていたものだ」


「…………!」


 急いで袋を開く。


 中から出てきたのは、手のひらに乗るくらいの黒い金属の欠片。

 何かの一部。そうとしか分からない。

 古そうなのに、表面にはほとんど傷がない。


 そして、触れた瞬間。


 ドクン。


「…………っ」


 胸の奥が脈打った。


「今の……」


 《障壁》?


 何で、これに。


「……やっぱりか」


「え?」


 ギルド長が小さく呟いた。


「やっぱりって何だよ」


 ギルド長は、俺の問いには答えなかった。


 ただ。


 王都の方角へ視線を向けて。


 一言。


「続きは王都で聞け」

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