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第16話 あなたの行く先に、幸あらんことを

 ガタゴト、ガタゴト。


 俺とエステルは、サイのおっちゃんたちが乗ってきた荷馬車に揺られていた。


 御者台にはギルド職員が一人。


 荷台には俺たちのほか、応急処置のできる職員が二人乗っている。


 死ぬかもしれない戦いから解放された途端。


 俺の身体からは、一気に力が抜けていた。


 荷台に横になったまま、指一本動かすのすら面倒なくらいだ。


「……これで、一安心なのかしら」


 エステルが小窓の外を眺めながら呟いた。


「そもそも、なんでキングオークがあんなところまで出てきたのよ」


「さっきからずっとそれ言ってるな」


「気になるんだから仕方ないでしょう」


「俺だって気にはなってるけどさ」


 痛む身体をどうにか起こし、荷馬車の壁へ背中を預ける。


「エステル」


「何?」


「身体の方は?」


「さすがに疲れたわね」


 エステルが右手を軽く握っては開く。


「でも、簡単な術式なら使えるくらいには戻ってきたわ」


「そっか」


 なら。


 今のうちに聞いておきたい。


「今回の件……やっぱり変じゃないか?」


 エステルが俺を見る。


「私も思ってた」


「王都から調査に来たの、お前一人だったんだろ?」


「ええ」


「キングオークまで出てきて、スタンピード寸前だったんだぞ。それなのに?」


「…………」


 エステルの顔から笑みが消える。


「王都のギルド上層部が、本当にここまで何も把握してなかったのかしら」


「だよな」


 キングオークが突然この森まで来た理由。


 あれだけ多くの魔物が、一斉に人里の方へ押し出された理由。


 何も分かっていない。


 キングオークを倒した。


 それなのに。


 終わった気がしなかった。


「まあ、ギルドに戻れば何か――」


 サッ。


「……ん?」


 窓の外。


 流れる木々の隙間を、黒い何かが横切った。


「どうしたの?」


「いや……」


 見間違いか?


 違う。


 また。


 サッ。


「……何かいる」


「何?」


 荷馬車の周囲。


 木々の間を縫うように。


 何かが並走している。


 一つじゃない。


「おい、止め――」


 ドンッ!


「きゃっ!」


 激しい衝撃とともに、荷馬車が大きく傾いた。


 馬が甲高く鳴く。


 車輪が泥を滑り。


 荷馬車が急停止した。


「ぐっ……!」


 脇腹に鋭い痛みが走る。


「ロイ!」


「大丈夫。それより――」


「いやはや」


 声。


「まさか、こんなところで予定を狂わされるとは」


「…………」


 聞いたことのない男の声だった。


「驚きましたよ。おっほっほ」


 いつ。


 入った?


 荷馬車の中。


 俺たちの真正面に。


 一人の男が立っていた。


 派手な色の道化服。


 顔を覆う、笑った仮面。


 大げさな立ち姿。


 まるで祭りにでも出てくるピエロだ。


「…………」


 俺は息を呑んだ。


 足音どころか。


 気配すら分からなかった。


「エステル」


「何よ」


「……いけるか?」


 エステルがゆっくり右手を上げる。


「いけないと死んじゃうでしょ」


 口元だけ笑う。


「あんたも私も。こんなところで」


 俺も身体を起こす。


 肋骨が痛む。


 まともに戦える状態じゃない。


 エステルだって。


 キングオーク戦から、ほとんど休めていない。


 それでも。


 やるしかない。


「おやおや」


 道化師が首を傾げた。


 仮面越しなのに。


 なぜか。


 相手が笑っているのが分かった。


「いえいえ」


 両手をひらひらと振る。


「こちらに戦闘の意思はありませんよ」


「だったら――」


 そこで。


 気づいた。


「……おい」


 さっきまで俺たちの横にいた。


 二人のギルド職員が。


 倒れている。


「何をした!」


「ご安心を」


 道化師が楽しそうに答えた。


「少々、眠っていただいただけです」


「眠らせた……?」


 見る。


 胸は上下している。


 血も出ていない。


 本当に。


 気を失っているだけらしい。


 でも。


 いつだ?


 俺にも。


 エステルにも。


 何をしたのかすら分からなかった。


 救護を任されているとはいえ。


 この二人だって、それなりに場数は踏んでいるはずだ。


 それを。


 一瞬で。


「何が目的なの」


 エステルが低い声で聞いた。


「目的?」


 道化師が首を傾げる。


「さて。何のことでしょう」


「ふざけないで」


「ふざけてなどいませんとも」


 そう言いながら。


 道化師は何気なく窓の外へ目を向けた。


「…………」


 数秒。


「うん」


 満足そうに頷く。


「そろそろ、頃合いでしょうか」


「頃合い……?」


 嫌な言葉だった。


 道化師が。


 誰もいない森へ向かって手を叩く。


 パン。


 パン。


「はいはい」


 楽しそうな声。


「皆さん。撤収しますよ」


「……皆さん?」


 俺は周囲を見る。


 誰もいない。


 少なくとも。


 俺には何も見えない。


 でも。


 こいつには。


 仲間がいる。


「待て!」


 道化師が荷馬車から降りる。


「お前ら、いったい何を――」


 そこで。


 道化師が足を止めた。


 ゆっくりと振り返る。


 笑った仮面の奥から。


 まっすぐ。


 俺を見ている。


「では」


 胸に片手を当て。


 芝居がかった仕草で。


 深く一礼。


「あなたの行く先に――幸あらんことを」


「おい、待て!」


 シュンッ!


「…………!」


 消えた。


 本当に。


 その場から。


 最初から誰もいなかったみたいに。


「……なんなのよ、あいつ」


「さあな……」


 エステルも。


 答えは出ないようだった。


 不可解なことばかりだ。


 あいつらは誰なのか。


 何をしていたのか。


 そして。


『頃合い』


 とは。


 何のことだったのか。


「ロイ」


「ああ」


 エステルが倒れている職員を見る。


「ここに居続けるのは危険よ」


「俺もそう思う」


「とにかく村へ戻りましょう」


     ◇


 御者まで気を失っていたため。


 今度はエステルが御者台へ座ることになった。


「馬車、扱えるのか?」


「馬くらい扱えるわよ」


「さすがB級」


「関係ないでしょう」


「ですよね」


 俺は意識のない職員たちと一緒に、再び荷台へ横になる。


 ガタゴト。


 ガタゴト。


 荷馬車が走り始めた。


 身体が痛い。


 頭も重い。


 それ以上に。


 さっきの道化師の言葉が引っかかっていた。


 何だったんだ。


『頃合い』


 何の時間を待っていた?


 あれだけのことができるなら。


 今の俺たちを殺すなんて。


 たぶん。


 簡単だった。


 なのに。


 なぜ何もしなかった?


 いや。


 そもそも。


 あいつは――。


「ロイ!」


 エステルの声で顔を上げた。


「見えてきたわ!」


「……やっとか」


 なんとか上半身を起こす。


 荷台の縁につかまり。


 前を見る。


 木々の切れ間。


 その向こうに。


 見慣れた村の入口が見えた。


「ああ……」


 ようやくだ。


 帰ってきた。


 あとは。


 ギルドへ戻って。


 今回のことを報告して。


 怪我を治して。


 サイのおっちゃんたちが戻ってくるのを待って。


 それから――。


 次の瞬間。


 視界のすべてが。


 真っ白に焼かれた。


「――っ!?」


 何が起きた?


 落雷か?


 いや。


 違う。


 あまりにも突然で。


 あまりにも眩しくて。


 頭が、何が起きたのか理解することを拒んでいた。


 ほんの一瞬。


 何も考えられない。


 ただ。


 白い。


 そして。


 少し遅れて。


 キィィィィィィィ――――ンッ!


「っ……!」


 耳をつんざくような高い音。


 何か。


 とんでもなく大きなものが壊れた。


 そんな音だった。


 直後。


 ドォォォォォォン――!!


「うわっ!」


 荷馬車が跳ねた。


 いや。


 揺れているのは荷馬車だけじゃない。


 地面そのものが震えている。


 さらに。


 ゴオッ!


「くっ!」


 凄まじい突風が叩きつけてきた。


 俺はとっさに荷台の縁へしがみつく。


 御者台のエステルの赤い髪が、大きく乱れた。


「な……何なんだよ、今の……!」


 自分でも情けなくなるくらい。


 声が震えていた。


 かなり離れているはずだ。


 なのに。


 ここまで風が届いている。


 どれだけの威力だったんだ。


 分からない。


 何が起きたのか。


 何を見たのかすら。


 ただ。


 幼い子供みたいに。


 訳も分からず。


 怖かった。


「ロイ……」


 エステルが遠くを見ている。


 いつもの強気な顔じゃない。


 俺もその視線を追った。


「…………」


 煙。


 巨大な煙の柱が。


 森の奥から立ち上っている。


「……待て」


 あっちは。


 西。


 西の森。


 キングオークと戦った場所。


 そして。


 今も。


 サイのおっちゃんたちが残っている場所。


「……おっちゃん」


 背中を冷たい汗が流れた。


 そのときだった。


「――――――――――ッ!!」


「…………っ!」


 声。


 いや。


 あれを声と呼んでいいのかすら分からない。


 耳で聞いているはずなのに。


 頭の中へ。


 身体の奥へ。


 直接、叩き込まれてくる。


 聞いた瞬間。


 膝から力が抜けた。


 頭を下げたくなった。


 耳を塞いで。


 泣きながら。


 ここから逃げ出したくなった。


 本能が。


 今すぐ逃げろと叫んでいる。


「なに……これ……」


 エステルの声まで震えていた。


「…………」


 エステルが。


 あのエステルが。


 キングオークを前にしても。


 《星墜灼光》を撃つときでさえ。


 あれだけ強気だった奴が。


 怯えている。


 その事実が。


 何より怖かった。


 俺は恐る恐る。


 西の空を見上げた。


 最初は。


 その異変に気づかなかった。


 いや。


 もしかしたら。


 気づきたくなかっただけなのかもしれない。


「…………なんだよ、あれ」


 異様。


 そんな言葉しか出てこなかった。


 空が。


 割れていた。


 雲じゃない。


 雨雲が裂けたわけでも。


 雷が走ったわけでもない。


 そこだけ。


 世界そのものに。


 巨大な黒い亀裂が走っている。


 そして。


 その中心に。


 ぽっかりと。


 底の見えない穴が開いていた。


「……穴?」


 エステルが呟く。


 その向こう。


 何かが。


 蠢いている。


 姿は見えない。


 大きさすら分からない。


 でも。


 いる。


 間違いなく。


 何かが。


 あの向こう側にいる。


 こちらへ来ようとしている。


 穴の奥から。


 何度も。


 何度も。


 こちら側へ身体を押し込もうとしている。


 なのに。


 出てこられない。


 何かに。


 阻まれている。


「…………」


 姿すら見えないのに。


 なぜか。


 分かった。


 あれは。


 怒っている。


 こちらへ来られないことを。


 何かに阻まれていることを。


 ひどく。


 ひどく。


 怒っている。


 そのときだった。


 ぞくっ。


「…………っ」


 全身の毛が逆立った。


 目なんて見えていない。


 顔だって見えない。


 なのに。


 今。


 確かに。


 目が合った。


 そう感じた。


「……嘘だろ」


 見られている。


 あれに。


 俺が。


「ロイ……?」


「…………」


 待て。


 違う。


 違うんじゃないか?


 あいつが見ているのは。


 俺じゃない。


 その視線は。


 俺を通り越している。


「まさか……」


 ゆっくり。


 振り返る。


 俺たちの背後。


 そこにあるのは。


 さっきまで。


 無事に帰りたいと願っていた場所。


 見慣れた。


 俺の故郷の村。


「…………」


 背筋が凍った。


「エステル」


「何よ……」


「あいつが見てるの……」


 俺たちじゃない。


 村だ。


 いや。


 違う。


 村全体ですらない。


 もっと。


 一点。


 村の中の。


 たった一つの場所。


 その瞬間。


 空の亀裂の周囲に。


 光が生まれた。


 一つ。


 二つ。


 十。


 百。


「……何をする気だ?」


 無数の光の粒。


 それらが。


 黒い穴の前へ。


 吸い込まれるように集まり始める。


「ロイ……」


 エステルの震える声。


 言われなくても。


 分かった。


 あれは。


 今から。


 何かを撃とうとしている。

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