第15話 そのE級は、何をやった?
泥まみれの負傷者を担いだ冒険者たちがギルドの扉を蹴破るようにして雪崩れ込んできた時、サイはただ事ではないと即座に直感した。
一人は下肢に重傷を負い、残る二人も血と泥にまみれている。
顔面は蒼白で、息を吸うことすら困難な様子だった。
「スタンピードの前兆だ!」
その絶叫がホールに響き渡った瞬間、ギルド内の空気が一変した。
「落ち着いて詳細を話せ」
サイは三人を用務用の椅子へ座らせ、鋭く問い詰めた。
森の外縁部にまで普段は見かけない魔物が押し寄せていたこと。
縄張り争いをするはずの魔物たちが、種族の垣根を越えて狂乱状態で逃走していること。
そして、森の深部において、異様な怪物が木々を薙ぎ倒していたこと。
「頭部に、王冠のような角が生えていました……!」
「……キングオークか」
サイの眉根が険しく引き結ばれる。
B級魔物。
問題は、その王に縄張りを追われた無数の魔物の群れだ。
このまま外縁部を突破されれば、人里を飲み込む本物のスタンピードへと発展する。
「それで」
サイは三人を見据えた。
「お前たちを救出したという二人はどうした?」
「……森に残りました」
「何だと?」
「キングオークを食い止めるって……!」
「誰が残った」
「赤髪の女の子と……ロイという、E級の冒険者です」
「…………」
サイは深々と額を押さえた。
「あの、大馬鹿野郎が……!」
逃げるのが当然の局面だ。
逃げ帰ったところで、誰一人として責めはしない。
ロイは晴れて登録を果たしたばかりの新米中の新米、E級冒険者だ。
エステル・アルヴェインも術式評価こそSだが、冒険者ランクはB。
たった二人で、キングオークとその配下の群れを相手取るなど、自殺志願者の暴挙に等しい。
「あのクソガキが……!」
サイは腰の剣を掴み、怒号を張り上げた。
「緊急招集をかけろ! 動ける冒険者を全員広場へ集めろ! B級以上は強制招集、C級も前衛で戦える者は即座に武装しろ!」
「は、はい!」
「近隣都市の支部へも早馬を飛ばせ! 街道と集落の防衛線を直ちに構築させろ!」
静まり返っていたギルドが、一瞬にして蜂の巣をつついたような騒乱へと突入する。
「俺は一足先に森へ入る」
「サイさん!?」
「先行救出班だ」
「なら、こっちは俺が引き受ける」
奥から出てきたギルド長が、サイの隣に立った。
「集まった連中は俺が振り分ける。お前は二人を連れ帰れ」
「任せた」
サイは腰の剣を取る。
「森の奥に、死に損ないの馬鹿が二人取り残されてるんでな」
◇
西の森へ突入して以降、散発的な魔物の襲撃には遭遇した。
だが――。
「……数が少なすぎるな」
報告にあったような大群の気配が感じられない。
「サイさん!」
先行していたスカウト役の冒険者が叫んだ。
「こちらを見てください!」
ぬかるんだ大地の上に、幾重にも重なる魔物の死骸。
一体や二体ではない。
さらに奥へ進むにつれ、その密度は異様なものとなっていった。
「オークの群れまで……」
土砂降りの雨に打たれる樹海の中に、黒焦げになった無数のオークの骸が転がっていた。
「あの赤髪の嬢ちゃんか」
術式評価S。
「……なるほどな、看板倒れじゃねえってわけだ」
その瞬間だった。
森の最深部において、視界のすべてが真っ赤に染まった。
「っ!?」
紅蓮の光輪。
その中心を貫く、目を焼くほど白い光。
木々の遥か向こう側で、圧倒的な光条が森を一刀両断にした。
そして、一拍の静寂を置いて――。
ドォォォォォォォン――!
大地を揺らす轟音。空気まで震えた。
「な、なんだ今の威力は……!?」
「人間が出していい威力じゃねえぞ……!」
「エステルとかいう嬢ちゃんだな」
ならば、まだ生き残って抗戦している。
「走れ! 遅れるなよ!」
◇
サイのおっちゃん率いる救援部隊が戦場へ到達したのは、《星墜灼光》の光が霧散して間もない頃だった。
木々を薙ぎ払うようにして、大勢の足音が雪崩れ込んでくる。
「ロイ!」
「おっちゃん?」
先頭を切って駆け込んできたのは、血相を変えたサイのおっちゃんだった。
背後には十数名もの完全武装したベテラン冒険者たちが続いている。
「無事か、貴様ら!」
「ああ、なんとか生きてるよ――」
「おいおいおい……」
俺の返答を遮るように、おっちゃんはその場に立ち往生した。
「なんなんだよ、この惨状は……」
それも無理はない。
周囲には《紅蓮の雨》によって殲滅された大量のオークの残骸。
クレーターのように抉れ、白煙を噴き上げる黒焦げの大地。
そして少し離れた場所に転がる、主を失った不気味な巨大戦斧。
「キングオークの姿はどこだ?」
おっちゃんの声が低く張り詰める。
「奴は狡猾でタフな化け物だ。一度撃退した程度で気を緩めるな。直ちにギルドへ後退して本隊の合流を――」
「…………」
なんか、根本的な勘違いをしていないだろうか。
「あのさ、おっちゃん。実は――」
「討伐完了したわよ」
横から、エステルが事も無げに言い放った。
「…………へ?」
おっちゃんが完全に硬直した。
背後の冒険者たちも、古代語の呪文でも聞かされたかのように目を白黒させている。
「おいおい……術式評価Sのお嬢ちゃんは、死線の中で冗談を飛ばす度胸もお持ちのようだ」
「は?」
「悪いがな、今は子供の法螺話に付き合っている暇は――」
「だ・か・ら!」
エステルが眉を吊り上げて詰め寄った。
「仕留めたと言っているのよ! 私たち二人でね!」
「…………二人で、だと?」
「そうよ」
俺は思わず苦笑しながら口を挟んだ。
「いや、実質的に仕留めたのはエステルだろ」
「はあ?」
「最後に《星墜灼光》を叩き込んだのはお前だしさ。二人で倒したって言うのは、ちょっと語弊が――」
「胸を張りなさいよ、ロイ!」
「……え?」
エステルが正面から、まっすぐに俺の瞳を射抜いた。
「あなたが前線を支えてくれなかったら、《星墜灼光》を編み上げる時間なんて一秒たりとも稼げなかったわ」
「…………」
「あなたが命懸けでキングオークの突進を止め、私の奥義を通すための隙を完璧にこじ開けたのよ」
誇らしげに、当然の事実を告げるように。
「あれは紛れもなく、私たち二人が掴み取った完全な勝利よ」
「…………」
まったく。
こいつという奴は。
一番欲しい言葉を、一番欲しい瞬間に真っ向から投げつけてくる。
つい先日までは。
『人選、間違えてない?』
そう言って俺を鼻であしらっていたはずの天才が。
今は、対等な戦友として俺の功績を誇ってくれている。
それが、どうしようもなく誇らしくて、嬉しかった。
この傲慢な実力者に、一人の戦士として認められたのだ。
「……そうだな」
俺は泥だらけの顔で笑った。
「ああ、その通りだ」
エステルを見つめ返す。
「俺たち二人で、あの怪物をぶっ倒した」
「まあ、最後にとどめを刺した一番の功労者は私だけどね!」
「そこはきっちり主張するんだな!」
「事実を言ったまでよ!」
「せっかくいい雰囲気だったのに台無しだよ!」
視線が交わり、どちらからともなく吹き出した。
「…………」
サイのおっちゃんは、口を半開きにしたまま茫然自失としていた。
「おっちゃん?」
「……ああ」
激しく頭を振って、ようやく正気を取り戻す。
「分かった。とりあえず今のところは、それを事実として処理しておく」
「とりあえずってなんだよ」
「細かい経緯の追及は後回しだ」
一瞬だけ、その厳めしい表情が崩れた。
「ギルドを代表して礼を言う。よくぞ最悪の事態を防いでくれた」
「…………」
「ただし」
即座に鬼のような形相に戻る。
「無謀な独断専行に対する説教は、山ほど溜まっているから覚悟しておけ」
「やっぱりそうなるのか……」
「当たり前だ!」
おっちゃんは踵を返し、樹海の奥を睨みつけた。
「まだ事態が完全に収束したわけじゃねえ」
ボスの首を落としたとはいえ、森から押し出された魔物の残党が消えたわけではない。
「すでに外縁部へ流出した個体もいる。このまま近隣の集落や街道へ雪崩れ込ませるわけにはいかん」
背後の冒険者たちへ指示を飛ばす。
「予定通り残敵の掃討作戦へ移行する! 街道側にも警戒網を敷け!」
「了解!」
「それから」
転がる巨大な戦斧を見下ろす。
「こいつが、なぜ突如としてこの森へ侵入してきたのか、その根本原因を徹底的に調査する必要がある」
「キングオークの移動が原因じゃないのか?」
「魔物が押し出された原因はキングオークだ」
おっちゃんは重々しく首を横に振った。
「だが、そのキングオーク自身が本来の生息域を捨ててここまで逃げてきた理由は、別にあるはずだ」
「…………」
言われてみれば、その通りだ。
「なら、俺たちも手伝――」
立ち上がろうと足に力を込めた瞬間。
「っ……!」
膝から急速に力が抜けた。
「おっと」
地面に崩れ落ちそうになった肩を、おっちゃんの手が力強く支えた。
「……あれ?」
「馬鹿野郎」
「まだ動けるって……」
「どこがだ」
おっちゃんは冷徹な目で俺の全身を観察した。
泥まみれの衣服、小刻みな浅い呼吸、無意識に庇い続けている左の脇腹。
「お前、あばらを何本か持っていかれてるな」
「…………」
「完全に折れてるか、良くて骨にヒビだな」
「一目見ただけで分かるのかよ」
「何年冒険者の現場をくぐってきたと思ってる」
これが、元A級冒険者の観察眼か。
「それにだ」
おっちゃんは視線をエステルへと転じた。
「嬢ちゃんのほうも、術式を使いすぎて限界近いだろ」
「…………」
「さっきから直立を保っているだけで手一杯じゃねえか」
エステルは観念したように自嘲の笑みを零した。
「さすがね、サイ」
「ふん」
「まだまだ現役で通用するんじゃないかしら」
「若造共に後れを取る気は毛頭ねえよ」
おっちゃんは再び俺を見下ろした。
「だからといって、満身創痍の重傷者を残敵掃討に駆り出すほど、俺の目は腐っちゃいねえよ」
「…………」
「二人とも、直ちに村へ戻って治療を受けろ」
「でも――」
「元凶の首は取ったんだ」
サイのおっちゃんは、俺の痛む肩をそっと叩いた。
「初陣としちゃ、これ以上ない満点の大仕事だ」
そして、照れ隠しのように口元を緩めた。
「よくやったな、新米」
ようやく冒険者証を手に入れたばかり。
ランク、E。
新米冒険者。
その肩書き自体は、何ひとつ変わっていない。
けれど、その響きは今、不思議なほど誇らしく胸に染み渡っていた。




